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亡国の王子ですが、のんびりしようと下級官吏になったら、なぜか昼行燈と噂の第七皇女の秘書官になりました  作者: 萩原梓荻(旧:萩原詩荻)
第二章 第五皇女ドロテア

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第37話 亡国の王子、再び目撃する。

「さて」


 ドロテア殿下が、一冊の帳簿を手に取った。


 その目の前には正座しているエレオノーレ殿下。


 なんだろう、この既視感。


 ジルベルト殿下、今度お会いする機会があればお聞きしたいのですが、もしかしてこの国の皇族に正座ってよくあることだったりします?


「エル、この帳簿は何!?」


「はい!」


 ドロテア殿下の本日一番大きな声に、エレオノーレ殿下の背筋が伸びる。


「規則上は問題ないわよ!?支出にも違法性はない!帳尻も合ってる!だから監査としては通してあげるけど!」


「はい……」


「私やカミラ姉さんは気付くわよ!?」


「だって、だって……」


「だって、じゃない!」


 すごい。


 エレオノーレ殿下が追い詰められている。


 俺、初めて見たかもしれない。


「何で警備関連消耗品費を、何の問題もない事務用品費と修繕費の間に挟んでるの!?」


「たまたまです」


「嘘おっしゃい!」


「……」


「昔から、見られたくないものがあると、自信のあるもの二つの間に挟む癖やめなさい!」


「だって、真ん中なら見ないかなって……」


「見るに決まってるでしょ!」


「あう」


 エレオノーレ殿下が完全に小さくなっている。


 長椅子で菓子を食べながら「どうにかして」と言ってくるあの人はどこへ行った。


「しかも、なんでちょっとだけ理屈が通るようにしてあるのよ!怒りづらいでしょう!」


「そこは工夫したので……」


「褒めてない!」


「ごめんなさい……」


 ……。


 なんだろう。


 もっとこう。


 皇位継承争いの最中にある皇女同士による冷たい視線、牽制、腹の探り合い。


 そういうものを想像していたんだけど。


 今、目の前にいるのは正座して姉に怒られている妹と、昔の悪癖まで全部覚えている姉である。


「……なあ、リズ」


 俺はそっとリズへ顔を寄せて小声で聞く。


「なに?」


「仲の良い姉妹に見える」


「奇遇ね、私もよ」


 リズも少しだけ遠い目をしているが、口元は笑っている。


 楽しんでるな、お前。


「よくあることなの?」


 ちなみに、リズと俺は壁際で完全に気配を消している。


 巻き込まれたくないし。


「たまに?でも最近はなかったから二年ぶりくらいじゃないかしら」


「割とよくあるんだな」


 俺は兄上に正座させられたことなかったけど、実は他の国もこんな感じなんだろうか。


「噂によると、カミラ殿下も何度か正座させられてるらしいわよ」


「すごいな、ドロテア殿下!?」


 カミラ殿下を正座させられる人間がこの世に存在したのか。


 帝国最強なのでは?


「聞こえているわよ、そこの二人」


「「すみません」」


 ドロテア殿下の視線が飛んできたので、二人ですぐに頭を下げる。


「見なかったことにしなさい」


「「かしこまりました」」


 俺は何も見てません。


 ただ、皇女が皇女を正座させているところに居合わせているだけの不運な下級官吏である。


「エルはよそ見しない!」


「はい!」


 容赦がない。


 でも、叱られているエレオノーレ殿下は眉が下がって、唇が尖っている。


 ……ちょっと可愛い。


 いや、そうじゃなくて。


「リズ」


「なに?」


「俺、退室してもいいかな?」


「無理でしょ、この状況で出て行くの」


「だよな」


 この空気の中を横切って退室する勇気は、俺にはない。


 この光景を酒場で話したら、明日には帝都中に広まるだろうなぁ。


 ケイあたりが喜んで広めるだろ。


 絶対に言えない。


 ちょっと言いたいけど。



「――というわけで」


 たっぷり説教された後。


 エレオノーレ殿下はまだ正座しているが、さっきから少しずつ身体を揺らしているので、たぶん足が痺れている。


「今後、定期的に私が指導に入るわ」


「……はい?」


 エレオノーレ殿下が恐る恐る顔を上げる。


「定期的に?」


「そうよ」


「ドロテア姉様が?」


「そうよ」


「ここに?」


「他にどこへ行くのよ」


「……」


 エレオノーレ殿下の表情が、露骨に嫌そうな顔に変わる。


「その上で、正式な監査結果には『なお、今後は第五皇女宮による定期確認を実施する』と付記しておいてあげるわ」


「……ドロテア姉様?」


 今度は驚きの顔に変わった。


「少なくとも私がそう記録しておけば、兄様たちもいきなり突撃して帳簿を確認する、なんてことはできなくなるでしょう?」


「……」


「少なくとも、何か言いたいなら先に私を通す必要があるわ」


「……いいんですか?」


「いいも何も、正式な監査結果よ。規則上の問題はないが、運用上の改善点があるため、私が定期的に確認する。それだけ」


 ドロテア殿下は、当たり前のように言った。


 ……なるほど。


 エレオノーレ殿下が、この人と喧嘩したくないと言った理由が、少し分かった気がする。


「もちろん、本当に問題があれば私が指摘するわよ」


「う」


「定期的に来るわよ」


「うぅ」


 効いてる。


「嫌ならやめる?」


「お願いします……」


「よろしい」


 なんだろう。


 正座させられているのに、結果的には守ってもらっている。


 姉というものは複雑らしい。


「ああ、それと」


 ドロテア殿下が思い出したように言う。


「ジルベルトにお礼を言っておきなさい」


「ジルベルト兄様に?」


 エレオノーレ殿下だけでなく、リズもきょとんとした顔をしている。


 なぜ、ここでジルベルト殿下?


「ジルベルトが、『ちょっとエルの帳簿、見てあげて』って言ってきたのよ」


 エレオノーレ殿下もリズも俺も、揃って黙った。


 ジルベルト殿下が?


「なんで、ジルベルト兄様が?」


「知らない。私も『何かあったの?』って聞いたら、『何もないけど、ドロテア姉さんが見に行くって言ったらエルはお片付けするでしょ』って言ってたけど」


「……そうですか」


 なんだ?


 何かジルベルト殿下は、第七皇女宮の帳簿を片付けておいた方がいいと思うことがあったんだろうか?


 それか、普通に別角度の嫌がらせだろうか。


 そもそも帳簿の整理できてなかった原因の一部はジルベルト殿下ですからね!?


「私は何も知らないし、あなたとジルベルトが何を隠してるのかも聞かない。弟が妹の心配をしたから見に来た。それだけよ」


「……聞かなくていいんですか?」


「いいも何も」


 そこで、ドロテア殿下の視線が一瞬だけ俺へ向いた。


「エルも、そこのロビンとかいう秘書官から聞いたであろうことを私に聞かないでしょう?」


 ……。


 横からリズの「あんた、何したのよ」って視線がすっごい刺さってる。


 痛い。


「いえ、私は何も聞いていません」


 エレオノーレ殿下が、静かにドロテア殿下に返す。


「何も?」


「ええ。何も」


「……そう」


 短い沈黙。


 ドロテア殿下が俺を見るが、嘘は言っていない。


 俺は「何もない」としか言っていないし、エレオノーレ殿下は「聞かなかったことにする」と言ったから。


「……そう。だったら、それでいいわ」


 ドロテア殿下が少しだけ息を吐き、二人の表情と空気が柔らかくなる。


 うん、これで良かったんだろうな。


「コホン」


 ドロテア殿下が、急にあまりにもわざとらしい咳払いをした。


 なんだ。


 急に嫌な予感がするんだけど。


「だったら、一つエルにお願いがあるんだけど」


「なんでしょう?」


「そこのロビンとかいう秘書官、時々貸して」


「ドロテア姉様までそんなこと言うんですか!?」


 エレオノーレ殿下が正座したまま叫んだ。


 元気になりましたね、殿下。


「『まで』って何よ」


「カミラ姉様も同じこと言うんです!」


「あの人と一緒にしないで」


 ドロテア殿下が心底嫌そうな顔をした。


 仲悪いんですか?


「下級官吏試験の首席で、うちの職場環境改善に役立ちそうだからよ」


「本当ですか?」


「本当よ」


「ドロテア姉様」


「……本当よ」


「それは、本当ではあるけど、言ってないことがあるってことですよね?」


 おお、エレオノーレ殿下の反撃!


 ドロテア殿下が目を逸らした!


「……時折、仕事が終わった後に読書感想を話すこともあるかもしれないわね」


 言っちゃったよ、この人。


「……」


 エレオノーレ殿下が、ゆっくりとこちらを見たが、俺は目を逸らす。


 俺は何も知りません。


 本の趣味が合う知人の心当たりなんてありません。


「……分かりました。時々なら貸します」


 分かっちゃったんですね、エレオノーレ殿下。


「いいの?」


「はい。ただし」


 エレオノーレ殿下が少しだけ表情を整える。


 まだ正座のままなのに、なぜか少しだけ勝ち誇っているように見える。


「ドロテア姉様も、今度私のお願いを一回だけ聞いてください」


「内容によるわ」


「内容は、その時に言います」


「危険ね」


「一回だけです」


 ドロテア殿下とエレオノーレ殿下がじっと見つめ合う。


 片方は正座だけど。


「……一回だけね」


「ありがとうございます」


 何の取引が成立したのかは知らないが、俺が貸し出されることだけは確定したらしい。


 俺の意思は?


 ありませんか、そうですか。


「じゃあ、今日はこれで終わり。正式な監査結果は後日送るわ」


「はい、よろしくお願いします」


 ドロテア殿下が、ようやく「立っていい」という仕草をすると、エレオノーレ殿下が少しだけほっとした顔で立ち上がる。


 ……ちょっとぷるぷるしてるから、足は痺れてそうだな。


「ああ、ロビン秘書官」


「はい」


 ドロテア殿下に急に呼ばれて、背筋を伸ばす。


「私の知人が、『今日なら本を貸してあげる』と言っていたわ」


 ……すっごい遠回しな伝言が来たな。


 私の知人、ですか。


 まあ、確かに知人と言えば知人なんでしょうね。


「……分かりました。『行きます』とお伝えください」


「伝えておくわ」


 まあ、その辺が落としどころかな。


「それと、エル」


「はい」


 ドロテア殿下が扉に向かい、手をかけたまま、エレオノーレ殿下に話しかける。


「ありがとうね」


 その表情は見えないが、色んな想いが混ざっている事だけは俺にもわかった。


「いえ。こちらこそ」


 それだけを返したエレオノーレ殿下には、俺よりずっと色んな想いが伝わったんだろう。


 きっと、この姉妹にはこのやり取りだけで十分なんだろうな。


「じゃあ、またね」


「はい。また」


 扉が閉まる。


 ……。


 監査は無事終わった。


 説教も無事かは知らんが、終わった。


 秘密は、秘密のまま残った。


 これで今夜は安心して麦穂亭で飲めるぜ!


「……秘書官」


「なんでしょう?」


 エレオノーレ殿下の声が少し低い。


 あれ?殿下?


 ここは監査が無事終わったことを喜ぶ場面ですよ?


「今後、私以外の皇族からの評価が上がる行為を一切禁じます」


「いくらなんでもめちゃくちゃすぎるのでは!?」


 俺、基本的に言われた仕事をしているだけなんですけど!?


「命令よ」


「勝手に貸し出す約束までしたくせに!?」


「カミラ姉様には貸さないから大丈夫よ」


「そういう問題ですかね!?」


 リズが隣で肩を震わせている。


 笑ってないで助けてくれ。


 そのまま、エレオノーレ殿下は長椅子に向かって歩き出して、ぽすん、と倒れこんだ。


「疲れたわ」


「お疲れ様でした」


「褒めて」


「正座して説教されるお姿も、大変気品がありました」


「それは褒めてない!」


 クッションが飛んできたが、監査は終わった。


 ドロテア殿下も味方と言っていいのかは分からないが、少なくとも敵ではないことは分かった。


 そして俺は、今日も皇女にクッションを投げられているし、同僚は楽しそうにお茶とお菓子を用意している。


 つまり、概ね平和である。

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