第36話 亡国の王子、監査を受ける。
コンコン。
事前通告時間ピッタリのノック。
「どうぞ」
エレオノーレ殿下の声に応じて、扉が開く。
先頭は、銀髪碧眼に眼鏡をかけた背筋が定規のようにまっすぐな女性。
ドロテア第五皇女殿下である。
「ご機嫌よう、エル」
「ご機嫌よう、ドロテア姉様」
監査なのに「ご機嫌よう」なの、なんかちょっと面白い。
……現実逃避もほどほどにしとこ。
「先だって通知したとおり、第七皇女宮の支出及び備品管理、関連する書類一式について監査を行います。よろしいですね?」
「はい」
「では、始めましょう」
ドロテア殿下が片手を上げると、後ろの文官たちが一斉に動き出した。
静かで、速く、無駄がない。
うわぁ。
できる人たちだ。
……でも、この人たち、よく辞めるらしいんだよなぁ、もったいない。
よく見ると、みんな少し目が死んでいる。
今度、何か差し入れしてあげよう。
「では、まずは昨年度の支出一覧を」
「はい、こちらです」
ふはは、準備は万全である。
この日のために、俺が夢に見るほど確認した書類たちよ、がんばれ。
お前たちならやれる。
「こちらが備品購入記録です」
「受領します」
「関連する領収書と仕様書はこちらへ」
「人員配置表は?」
「こちらです」
「ありがとうございます」
淡々。
美しき書類と帳簿の山が、ものすごい速度で文官たちの手へ吸い込まれていく。
待って。
もう少し大事に見て?
頑張って作ったんだよ、それ?
「……」
ドロテア殿下の視線がちらりとこちらに向いた。
……何ですか?
俺はただの秘書官です。
あ、でも、この監査が終わったら本の続きは貸してくださいね?
「こちらの茶葉購入費は?」
「来客用です」
「随分高級なものね」
「カミラ殿下が来られますので」
「なるほど」
納得するんだ。
「こちらの菓子代は?」
「来客用です」
「回数が多いですね」
「ジルベルト殿下が来られたので」
エレオノーレ殿下がいっぱい食べるからです、とは言わない。
「なるほど」
皇族の名前、便利だな。
まあ、来るたびに大騒ぎだから感謝すべきかどうかは怪しいけど。
「ただし、一品だけ単価の記載方法が他と異なるものがありますね」
「……消耗品の単価記載については規則がなかったかと思いますが」
なんで気付いた。
三百枚くらいある中の一枚だぞ。
「規則はありませんが、様式は統一されることが望ましいですね。内容に誤りはないので、今回は指摘に留めます」
「ありがとうございます」
「礼を言われることではありません」
厳しいけど、公平だ。
俺の背中は汗でびっしょりだし、なんか第五皇女宮の皆さんから同情の視線を向けられてる気がするけど。
◇
監査というものを、一言で表すなら。
とても地味。
紙の音。
ペンの音。
小さな確認の声。
それだけが執務室に響く状況が丸一日続く。
昼食?
一応取ったけど、味わう余裕なんて全くなかったよ!
「殿下。第七項、備品購入の内訳について確認が必要かと」
……さすが、第五皇女宮のできる人たち。
例の「普通じゃないのが混ざった」やつは見逃してくれないか。
「具体的には」
ドロテア殿下、部下が報告してる時は、そっち見るくらいしてあげてもいいと思うよ?
書類見ながら返事すると怖いよ?
「はい。警備関連消耗品、として一括計上されています」
「金額は」
「規定の範囲内です」
「用途は」
「宮内警備、および要人警護に関する備品、との記載です」
「……」
ドロテア殿下、見るのは俺の方じゃないよ?
報告した部下の人もちょっとびくびくしてるよ?
「警備備品の詳細目録は」
「こちらに」
用意しておいたけどな!
だって、絶対突っ込まれると思ったもん!
「……」
「使用場所は?」
「第七皇女宮内です」
「具体的には?」
「保管区画です」
嘘は言ってない。
隠し通路も広義では保管区画内に存在している。
「……警備上の判断として尊重します」
あ、通った。
背後で、エレオノーレ殿下とリズも少し驚いてる気がするけど。
「ありがとうございます」
「ただし」
「はい」
「品目名が抽象的すぎますね。次回からは具体的に記載してください」
できません。
「……善処します」
「善処ではなく、対応を」
「はい」
こんなやり取りがずっと続くのが監査である。
昔、よくわかんない点がある部署の報告があった時、「とりあえず監査してみたら?」と発言したことがあったが、ごめんなさい。
もう言いません。
◇
さらに数時間が経過し、窓の外が赤くなってきたころ。
「備品確認、終了しました」
「保管場所、記録と一致しています」
「昨年度予算及び支出記録について照合完了しました」
第五皇女宮の文官たちが、それぞれ報告を上げる。
ちゃんと定時に間に合わせてくるあたり、さすがだな。
ドロテア殿下が頷いて、手元の帳簿を閉じる。
「すべての書類、および抽出した備品の確認が終了しました」
部屋の空気が、ほんの少しだけ緩む。
エレオノーレ殿下とリズは平静な顔をしている。
俺は正直、今すぐ床に寝転がりたい。
「正式な監査結果は後日、文書で通達します」
「よろしくお願いします」
「では」
ドロテア殿下が第五皇女宮の文官たちを見る。
「あなたたちは先に戻りなさい。口頭での簡易結果通知は私が行います」
「よろしいのですか?」
「ええ。ここから先は私一人で十分です」
「承知いたしました。では、一名のみ第七皇女宮出口近辺で待機します」
ドロテア殿下の指示に、文官たちが一礼して、静かに部屋を出ていく。
バタン。
「さて」
ドロテア殿下が眼鏡の位置を直して、エレオノーレ殿下に向き直る。
「エレオノーレ・フォン・ライヘンバッハ第七皇女殿下」
「……はい」
エレオノーレ殿下の返事が、少しだけ弱い。
……。
待って。
なんだ、この空気?
「支出そのものに違法性はありません。帳簿も綺麗です。監査結果としては問題ありません」
「はい」
おお、よかった!
これで今夜は美味しいお酒が飲めそうだ!
「ですが」
何ですか。
その『ですが』。
今、一番聞きたくない接続詞なんですけど。
ゆらり、とドロテア殿下が立ち上がる。
「正座」
「……はい」
エレオノーレ殿下が、すっごくゆっくり立ち上がって、のろのろ歩く。
そして、ドロテア殿下の前で少しだけ表情を伺うような顔をする。
「エル」
「……はい」
そのまま、静かに床へ正座した。
……。
なにこれ?
「……始まったわね」
リズが隣で小さく呟いた声が耳に届く。
何が?
何が始まったんだ?




