第35話 亡国の王子、聞かなかったことにされる。
「ダーリン、あれ何?」
「砂糖漬けの果物」
「美味しい?」
「甘い」
「それは見ればわかるわ」
「じゃあ聞かないでよ」
「美味しいかどうかを聞いたの」
「食べてみる?」
「……じゃあ、少しだけ」
この調子で何個目だろう。
……晩御飯入らなくなっても俺は知らないからな。
さっきまでと違う道を通る、ということ以外特に考えず、ぶらぶらと食べ歩きを満喫する。
そのまま歩いていると、白い石造りの大きな建物が見えた。
高い尖塔に荘厳な扉、そして大きな聖印。
「大きいわね」
隣を歩くハニーが、ぽつりと言った。
「来たことないの?」
「行事では何度かあるけど、こうやってぼんやりと見るのは初めてね」
人混みからは少し離れた場所で立ち止まり、大聖堂を見上げる。
扉は大きく開かれており、入口へ続く階段には、祈りに来たらしき人の他にも、観光気分で見上げている人、慈善の炊き出しを待っている人もいる。
炊き出しの列には、旅装の者もいる。
……戦災で流れてきた人間かもしれないな。
「中、入ってみる?」
「今日はやめておくわ」
「そう?」
「たぶん大聖堂クラスなら結界貼ってるでしょう」
「たしかに」
そうか、探知されたら変装は解けるし、下手すると大騒ぎになるな。
…………もしかして、あの人が街外れの教会に来るのって。
改めて、隣に立つ黒髪黒目の横顔を少し眺める。
「ダーリン、どうかした?」
リズのせいで、馬鹿みたいに軽い呼び方だ。
でも、今はその馬鹿みたいな呼び方のおかげで、少しだけ話しやすい気がした。
「……ハニー」
「なに?」
「もし、もしもさ」
「ええ」
「皇族の誰かが、教会に頻繁に出入りしてるってバレたらどうなる?」
……。
沈黙が落ちる。
夕方の大通りは、人が行き交って、荷車が軋んで、どこかで子どもが笑っている。
賑やかなはずなのに、俺とハニーの周りだけ音が減った気がした。
「教会で何かあったの?」
「何もない」
「ダーリン」
「何も、ない」
嘘は言っていない。
教会で何かがあったわけではない。
たまたま、眼鏡をかけた本好きの女性と知り合って。
たまたま、その女性が夜会で見た第五皇女殿下と口調も仕草も雰囲気も妙に似ていて。
……俺が勝手に「あの人もしかしてドロテア殿下では?」と思っているだけである。
「……致命的ではないわ」
ハニーの声のトーンが低い。
声質は全く違うのに、第七皇女殿下の時の声だとわかってしまう。
「……」
「でも、貴族連中には色々言われるでしょうし、兄様たちに政治的な材料として使われる可能性もあるわ」
「うわぁ」
やっぱり、そうか。
普通の官吏である俺が教会へ出入りするのとは意味が違う。
「信仰そのものを咎める形には出来ないけど、『お父様が嫌っているものを信じている』ってだけで十分よ」
すごく嫌な話だったが、分かる。
例えば、『皇帝陛下の意向に反している』とか、『外国勢力との繋がりがあるんじゃないか』とか、いくらでもやりようはある。
……昔、それで失脚した人も死んだ人も見たことあるし。
「面倒だな」
「面倒よ。正しさとか信仰とか、そういう綺麗な言葉が絡むと、政治は余計に汚くなるもの」
ハニーの声は小さく、静かだった。
それでも、街の雑踏の中なのに妙にはっきり聞こえた。
「つまり、あまり表に出さない方がいい」
「そういうこと」
「……」
「……」
夕方を告げる大聖堂の鐘が鳴った。
普段は荘厳に聞こえるだけなのに、こういう時に聞くと、なんとなく神様に見られてる感じがして……少し困る。
「それで?」
ハニーがこちらを見る。
「何もないのね?」
黒い瞳。
本来の碧眼ではないが、視線の鋭さは何も変わっていなかった。
それでも。
「……はい」
何かはある。
かなりの確率で。
俺が知っている黒髪眼鏡の読書仲間が、本当は銀髪眼鏡の第五皇女である可能性がとても高い。
――でも。
夜中の礼拝堂で、静かに祈っていた背中を。
あれを、政争の材料にするのは。
……なんか、違う気がした。
「そう」
ハニーは少しだけ目を伏せた。
――そして、何事もなかったように歩き出す。
「なら、聞かなかったことにするわ」
「……え」
鳴り終わった大聖堂の鐘の残響が街に広がる。
「聞かなかったことにする、って言ったの」
……。
ハニーは、前を向いて歩いている。
表情は、よく見えない。
「……いいの?」
もっと聞かれると思った。
誰なのか。
どこの教会なのか。
何を見たのか。
情報を握った以上、使えるかどうか。
少なくとも王族だった頃の俺なら、そのくらいは考えた。
「そんなことでドロテア姉様と喧嘩したくないもの」
――あ。
……この人、俺が誰の話をしているのか気付いてるのか。
それでも聞かない。
使わない。
喧嘩したくないから。
その理由が、少し子どもっぽくて、少し姉妹っぽくて、そしてたぶん、すごく大事だった。
「それに」
「うん?」
「もし本当に何かあっても、ダーリンは隠すべきだと判断したのでしょう?」
「……信用されてるなぁ」
「ええ」
そういう真っすぐな信頼は困る。
俺は自分がそこまで信用に値する人間だとは思っていない。
そもそも自分が誰なのかすら隠している人間だから。
でも、今の俺は彼女の秘書官で。
彼女は、俺の上司で。
俺は、彼女が「姉様と喧嘩したくない」と言ってくれたことが、思ったより嬉しかった。
「それに」
「ん?」
「信じてるものくらい、好きに信じればいいでしょ」
……。
ああ。
「……ハニー」
「なに?」
「素敵です。忠誠心が増しました」
「もっと褒めなさい」
「今日も綺麗です」
「バカ。敬語になってるわよ」
「ごめんなさい、ハニー」
「よろしい」
ハニーが、とてもいい笑顔で笑っている。
納得いかない。
こっちは生まれてからずっと敬語を使う教育を受けてきたんだぞ。
皇族に対して「ハニー」と呼びながらタメ口で褒める訓練なんて受けてない。
そんな授業があったら教師の正気を疑ってたよ。
「さ、そろそろ帰るわよ。リズが待ってるわ」
「もう?」
「半休は永遠ではないもの」
「現実に戻さないでほしい」
「監査二日前よ」
「もっと現実に戻さないでほしい」
せっかく少し良い話でまとまりかけたのに。
でも、今日はもう仕事しないが、明日の仕事は減らない。
見たくはない現実である。
「あ、待って」
「何?」
「お土産多めに買って帰ろ」
リズには買って帰らないと、絶対に何か言われる。
「リズに?」
「リズにも買うけど、ホテルの人たちにも」
「あら、どうして?」
「今日、俺たちを見なかったことにしてくれてると思うから」
「なるほど。気遣いね」
「口止め料とも言う」
ハニーが小さく笑う。
「ふふふ。じゃあ、そうしましょう」
夕方の帝都は、相変わらず人が多い。
隣には黒髪黒目の、どこにでもいそうで、どこにでもはいない女の子。
……明後日の監査本番、俺はどんな顔すればいいんだろうな。
まあ、いいか。
主役は俺じゃなくて、殿下姉妹だし。




