第33話 亡国の王子、ダーリンになる。
「……なんで俺、昼間からラブホテルのVIPルームにいるんだろう」
ジルベルト殿下の不倫現場を押さえるために確保した例のホテル。
その最上階にある、無駄に広いVIPルーム。
四人くらい寝転がれそうな大きいベッド。
なぜか、部屋からもよく見える豪華な浴室。
「人生ってわからないなぁ……」
人生について考えたくなる光景だった。
別に何もやましいことはない。
ないんだけど。
皇女とラブホテルで待ち合わせという事実だけ切り取られたら、物理的に俺の首が飛ぶ。
ジルベルト殿下正座の真実を知る俺がこんなことしていていいんだろうか?
コンコン。
「はい」
「私」
リズの声だ。
「お待たせ」
扉を開けた瞬間、リズがするっと部屋に入ってくる。
その後ろから、深くフードを被ったエレオノーレ殿下。
廊下に人がいないことを確認してから、すぐ扉を閉める。
「……誰にも見られてないよな?」
「見られてないわ」
「本当に?」
「見られてたら、ここまで来れないわよ」
「それはそうなんだけど」
あまりにも状況が怖い。
「ふうん」
部屋に入ったエレオノーレ殿下が、興味深げにぐるりと見回す。
「ここが例の部屋なのね」
「殿下、あまり興味深そうに見ないでください」
「どうして?」
「俺の心臓に悪いからです」
「変なの」
変なのはこの状況です。
俺じゃないです。
「さて。せっかくの休みがもったいないし、さっさと始めちゃいましょ」
リズが鏡台の前に立ち、エレオノーレ殿下を手招きしながら言う。
「リズ、始めるって言い方やめない?」
微妙にいかがわしく聞こえるのはリズのせいか、それとも部屋のせいか。
「何を想像したの?」
「何も」
「嘘ね」
そんな楽しそうな顔で追及するな。
俺は休みのはずなのに、なぜこんな目に合ってるのか。
「そういえば、ロビンは変装魔術使えないの?」
変装魔術。
名前の通り、外見を変える魔術である。
声、髪や瞳の色、顔立ち、体格。
術者の腕によって変えられる範囲は違うが、上手い者が使えば、近しい人間でも一目では分からないくらいになる。
まあ、触られるとバレたり、探知魔術で簡単に解けたりするデメリットもあるんだけど。
「使えるけど、苦手」
王族時代、魔術の師には「殿下は魔術の適性が偏っておられますね」と言われた。
あれは絶対「下手ですね」の言い換えだった。
「ちなみに、エレオノーレ殿下も変装魔術使えるんですか?」
鏡台の前に座るエレオノーレ殿下に聞いてみる。
「使えるけど、普通くらいだからリズの方が上手よ」
「エッヘン、ロビンも変装したいことあったら頼ってくれていいわよ」
「普通に暮らしてたら使わないだろ」
ない、といいなぁ。
「それで、エル。希望は?」
リズが、エレオノーレ殿下の背後に立ちながら聞く。
「黒髪」
「はい」
「瞳も黒」
「顔は?」
「少し大人しめに」
「身長は?」
「そのままでいいわ」
「胸は?」
ピシィッ!
あっれぇ、なんか寒くなってきたなぁ。
おかしい、この部屋は空調も完璧なはずなのに。
「リズ」
「はい」
「そのままでいいわ」
「本当に?」
「そのままでいいわ」
「盛れるわよ?」
「いらない」
「少しくらいなら自然に――」
「い・ら・な・い」
「はいはい」
リズは笑っているけど、俺は怖い。
なんだ、このやり取り。
「じゃ、始めるわね――≪ミラージュ≫」
リズが短く詠唱すると淡い光がエレオノーレ殿下の身体を包む。
銀髪が、するすると黒く染まっていく。
瞳も黒へ。
顔立ちも少しずつ変わり、頬の線や鼻筋、目元まで別人になっていく。
光が収まった後に座っているのは、鏡を覗き込むエレオノーレ殿下改め、見知らぬ黒髪の美女。
「……ふむ」
殿下は鏡の前で、髪をちらちらと触っている。
黒髪になったせいか、本当に普通の貴族令嬢くらいにしか見えない。
美人だけど。
…………というか、黒髪黒目にするんですね。
「なんで黒髪黒目にしたんですか?」
「銀髪碧眼からほど遠い印象になるでしょ?」
「……なるほど」
そういうことですか。
まあ、たしかに。
「普段のエレオノーレ殿下と同一人物には全く見えませんね。たぶん普通に会ったらわからないです」
エレオノーレ殿下は、自分の頬を指で軽く触れている。
「声も?」
「変わってますよ」
いつもの落ち着いた声より少しだけ高い。
目を閉じて聞いたら、まず殿下だとは分からない。
そういえば、自分の声って自分ではよくわからないって言うよね。
「……どっちがいい?」
「はい?」
殿下がクルリと振り向いて聞いてきたが、何の話?
「普段の姿と、この黒髪姿」
「え」
なんだ、その問い。
正解あるの?
間違えたら死ぬやつでは?
リズも横で完全に面白がっているし。
助けてよ。
「……普段もお綺麗ですが、今日の姿も新鮮で良いと思います」
よし!
我ながら完璧。
どちらも否定しない模範解答!
「……そう」
殿下は鏡に視線を戻した。
表情は変わっていないが、なんとなく満足そうに見える。
分かるようになってきた自分が少し怖い。
「じゃあ、呼び方を決めましょうか」
「え?」
呼び方?なんの?
「街中で『殿下』なんて呼ばれたら、変装している意味ないでしょ」
「たしかに……」
それはそう。
どれだけ完璧に化けても、「殿下」と呼びかけている男がいたら、変装以前の問題である。
「エレオノーレ様、って呼ぶのも駄目ですよね」
「駄目ね」
だよね。
エレオノーレなんて名前、帝都で聞けばそれだけで振り返る人もいるだろう。
「エルさんとか」
「安直ね」
安直でもいいじゃないですか……。
「それなら、最近、街の若者に流行っている男女間の呼び方がありますよ」
流れを見守っていたリズが、さも「今、思い出しました」みたいな顔で手を上げる。
……嫌な予感がする。
「そうなの?」
殿下が興味深そうにリズを見るが、リズの表情は真剣なものになっている。
逆に怪しいんだけど。
「ええ。男を『ダーリン』、女を『ハニー』と呼び合うのです」
「嘘つけよ!?」
俺、街でそんな呼び方をしている若者見たことねぇよ!
いや、でも、俺も最近の流行に詳しいわけではないし……。
あり得るのか?
帝都は広く、若者文化は速い。
俺が知らないだけかもしれない。
だけど、よく見るとリズの口元が少し震えている。
やっぱり嘘だろ!?
「決まりね、ダーリン」
黒髪黒目の姿のエレオノーレ殿下が、少し楽しそうにこちらを見上げてくる。
声まで違うのに、悪戯っぽさだけは殿下のままだった。
「決まりなんですか!?」
「男女二人でお菓子を買いに行くなら、そのくらいの方が自然よ」
「自然かなぁ!?」
「自然よ」
俺の悲鳴に、リズが真面目な顔で断言する。
「その顔で言われると信用できない」
「失礼ね」
「鏡見て言って」
「美人が映ってるわね」
「強いな、お前」
勝てない。
「じゃあ、ロビンは殿下をハニーと呼ぶということで」
「無理」
「即答ね」
「無理だろ!?」
下級官吏が皇女に向かってハニー。
不敬罪って、こういう時に使われる言葉では?
「ダーリン」
エレオノーレ殿下が俺を呼ぶ。
「でも、殿下」
「ダーリン」
「……はい」
「敬語はおかしいからやめなさい」
すっごい楽しそうですね、殿下?
「……わかった」
「ハニー」
「わかったよ、ハニー」
皇女相手に何を言っているんだ、俺は。
父上、母上、兄上。
俺は異国の空の下で、今日も何とか生きています。
でも、何か大切なものが少しずつ削れている気がします。
「もう一回」
「必要ある?」
「あるわ」
「……ハニー」
「なに、ダーリン」
殿下が、少しだけ口元を緩める。
「これで、二人とも街中に溶け込めるわね」
リズにいたっては、もう完全に隠す気もない顔で笑っている。
「リズ」
「なに?」
「あとで覚えてろよ」
「やだー、ダーリンこわーい」
この場で一番悪いのは絶対リズだ。
「じゃあ、リズ。あとはよろしく」
「はいはい。行ってらっしゃいませ、殿下」
エレオノーレ殿下――いや、今はハニーが楽しそうに扉に向かって歩き出す。
「ハニー」
「……なに?」
振り返った顔は、いつもの皇女のものではなく、ただの機嫌の良い女の子の顔に見えなくもない。
だったら、これ以上グダグダ言うのは無粋な気がした。
……いや、ただの女の子は変装魔術をかけて、ラブホから出発したりしないけど。
「いや、なんでもない。行こう」
「ええ、ダーリン」
でもさあ。
監査準備を頑張ったご褒美に半休取って、お菓子を買いに行くって話だったじゃないか。
なのに今。
上司でもある皇女殿下と。
ラブホテルから出発しようとしている。
……。
ご褒美って、もっと普通のやつじゃ駄目だったのかな。




