第30話 亡国の王子、見られる
夜会の会場は相変わらず眩しかった。
シャンデリア。
絹の衣擦れ。
貴族たちの作り笑い。
腹の探り合い。
……帰って、麦穂亭でエール飲みたい。
「殿下、本日もお美しゅうございます」
「ありがとう」
貴族たちの挨拶をこなすエレオノーレ殿下の斜め後ろを歩く。
うん、こうして見ると、この人お世辞じゃなく美しいよな。
顔がいいのは当然として、所作も綺麗だ。
ちなみに、俺も礼服のサイズはぴったりである。
悔しいが、着心地も良い。
「エル」
背後から、凛とした、よく通る声がした。
殿下がゆっくりと振り返る。
俺も殿下の半歩後ろへ立ち位置を調整し、頭を下げる。
「ドロテア姉様。ご機嫌よう」
殿下が少しだけ声のトーンを落として応じる。
ショートボブの銀髪に碧眼。
眼鏡。
背筋が定規みたいにまっすぐな女性。
この人がドロテア第五皇女殿下か。
「ご機嫌よう。……相変わらず姿勢が悪いわ」
「そんなことは」
「肩が落ちているわ。一度、鏡の前で確認なさい」
開始三秒で指導が入った。
噂通りの人だ。
「手紙は届いているわね」
「はい、確かに」
「監査は予定通り行うわ。不明点があれば事前に提出しなさい」
「はい」
姉妹の会話なのに、仕事の打ち合わせしかしてない。
ジルベルト殿下に見習ってほしい。
「そちらが、噂の秘書官?」
ドロテア殿下の視線が、こちらに向いた。
噂の。
もう俺の名前より先に「一か月辞めてない秘書官」で通じてない?
「ロビンと申します」
礼法通り、頭を下げる。
監査に来る相手だ。
顔を覚えられるのは避けられない。
「……そう。よろしくね」
……ん?視線がほんの一瞬だけ泳いだ気がする。
何かおかしかっただろうか。
「……姉様?」
エレオノーレ殿下も気づいたのか、怪訝そうに声をかける。
「なんでもないわ」
ドロテア殿下が、少し慌てたように眼鏡の位置を直す。
「監査の際にはよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
「では」
ドロテア殿下はそう言って、あっさりと去っていった。
所要時間、一分あるかないか。
嵐というより、点検だった。
けど。
「……もしかして、ドロテア姉様と会ったことある?」
エレオノーレ殿下が、ドロテア殿下が消えた方向を少しだけ見つめながら尋ねてくる。
「ありませんよ」
即答する。
王族時代にも会ってない。
少なくとも、覚えている限りでは。
「本当に?」
「普通に暮らしてたら、第五皇女殿下とお会いする機会なんてありません」
「……そうよね」
「そうですよ」
一般人と皇女に接点なんてあるわけがないじゃないか。
なお、カミラ殿下とジルベルト殿下に顔を覚えられたのは例外とする。
「ドロテア姉様が、あなたを見た時に少し変だった気がしたから」
「殿下もそう思われました?」
「……なんでかしらね」
俺の気のせいではなかったらしい。
まあ、妹でもあるエレオノーレ殿下にわからんなら俺にはわかるはずもない。
「あ、エル!ちょっとこっちいらっしゃい」
艶のある猛獣の声。
カミラ殿下だ。
「カミラ姉様」
「ハインリヒ兄さんが呼んでる。集合よ、ロビンくんは置いてきなさい」
「……ここで待ってて」
「はい」
間違ってもそんな皇族大集合みたいなところに近づきたくないので、喜んで待ってます!
あー、あっちの奥の方にいるのがハインリヒ第一皇子殿下かな。
ジルベルト殿下が近づいてって……あ、なんか仲良さそうだ。
よし、今のうちにご飯食べよ!
「ロビン殿、少々よろしいかな」
……食べられなかった。
「はい。私でよろしければ」
声をかけてきたのは、四十代くらいの貴族だった。
たしか帝国東部に領地を持つ子爵家の当主。
一度、第七皇女宮を訪ねてきたこともある。
「例の件、担当部署を教えてくれてありがとう。ようやく話が進んだ」
「それは良かったです」
「いやあ、中央官庁は複雑でなぁ。誰に聞けばいいのかも分からなくて困るよ」
「部署多いですからね」
気持ちはわかる。
同じような名前の部署も多いせいで、働いている俺も、たまに混乱する。
「実は、他にも少々相談したいことがあってね」
「私にですか?」
「ええ。大したことではないんだがね」
大したことではない。
偉い人のこの言葉は信用してはいけない。
「皇城へ納めている薬草についてなんだが、最近、検品部門から戻される量が増えていてな」
「ああ」
それなら、少し心当たりがある。
「最近、基準が変わったと先日見ました」
「やっぱりかね」
「正式な通達も出ていたと思うんですが、伝わってない可能性がありますね」
「なんと」
「たしか、乾燥状態の基準が厳しくなったはずです。詳しい資料、探しておきましょうか?」
「いいのかい?」
「それくらいなら」
「助かるよ!」
子爵の顔がぱっと明るくなる。
大した仕事ではない。
それに、困った時にちょっと聞ける誰かがいるありがたさは俺もよく知ってる。
「あ、エレオノーレ殿下の秘書官くん、私もいいかな」
横から別の声。
「はい」
「財務省の申請なんだが――」
「ああ、それは――」
増えた。
ご飯が!
「ロビン殿、ちょうどよかった」
「はい」
「いや、うちの甥が官吏試験を受けたがっていてね」
「なぜ、それを私に」
どんどん増える。
「ロビン君は話しやすくていいねぇ」
「ありがとうございます?」
誰か助けて。
「いやあ、第七皇女宮は派閥色が薄いから、こういうことを聞きやすくて助かるね」
「ああ……」
なるほど。
誰かの派閥に属している人間へ頼み事をすると、『あの子爵はあちら側に付いた』とか言われる可能性があるわけか。
第一皇子派閥やら第二皇女派閥やら色々あることくらい流石にわかる。
面倒くさいなぁ。
「その点、エレオノーレ殿下のところなら」
「……」
その先は言わない方がいいですよ?
言いたいことは分かるけど。
「い、いや、決して悪い意味では!」
「大丈夫です。分かってます」
その点、エレオノーレ殿下は皇位争いの本命ではなく、秘書官である俺自身もどこかの家の縁者ではなく後ろ盾もない。
つまり、俺に何か頼んでも、政治的な意味が発生しない。
便利だ、というお話ですね。
「ロビン殿は若いのにしっかりしてるからな」
「そうですかね」
「先日も迷子になったうちの孫を案内してくれたそうじゃないか」
「あれは廊下で困ってたので」
小さい子が泣きそうになってたら誰でも案内するだろ。
「そういうところだよ」
「はあ」
誤魔化されている気もするが、こういうやり取りが、この一か月で随分増えた。
ただ、実際に力になるかは別として、話を聞くだけなら悪いことはない。
いろんな貴族の事情が耳に入るのは、単純に情報として有用だ。
……こういう考え方をする自分に、少しだけ嫌気が差す時もあるけど。
「――人気者だね」
銀髪碧眼。
整った顔立ちに、柔らかい笑み。
ということは。
「オスカー殿下」
第四皇子オスカー・フォン・ライヘンバッハ殿下。
魔導局長を兼任している人でもある。
噂では、穏やかで理知的な方と聞く。
周囲の貴族たちからさらに一歩後ろに下がり、慌てて頭を下げる。
「ああ、そんなに畏まらなくていいよ」
オスカー殿下は、穏やかに笑いながら手を軽く振った。
「何か困り事かい?」
「あ、いえ」
子爵が少し困った顔をする。
「で、では、ロビン殿。続きはまた後日」
「私も少々挨拶に」
「少し席を外しますね」
ああ、皆さん行かないで!
俺と皇族を二人きりにしないでください!
「エルの秘書官だろう?彼女がいい人材を見つけたと聞いてね」
「光栄なお言葉です」
注目しないでください、お願いします。
「エルのことを、よろしく頼むよ」
「はい、微力ながら」
「あの子は無理をするからね」
……ん?
無理をする?
エレオノーレ殿下が?
長椅子に沈んでお菓子を食べている、あの人が?
いや。
まあ。
……無理は、してるか。
「善処します」
「うん。頼んだ」
オスカー殿下は柔らかく笑って、他の来賓の方へ歩いていった。
……良い人だな。
皇族にもあんな人がいたんだなぁ。
濃い人ばっかり見てきたせいで感覚が麻痺していたのかもしれない。
「オスカー兄様と話してたの?」
入れ替わるように、エレオノーレ殿下が戻ってきた。
「はい。エレオノーレ殿下のことをよろしくと言われました」
「……そう。どう思った?」
「お優しい人だと」
「そうね。怒ってるところを見たことないわ」
「すごいですね」
俺なんて、この一か月で何度心の中で怒ったことか。
主に仕事量に。
「……それより、あなた、前回より目立ってない?」
「不本意ながら」
まあ、でも。
教会で祈った成果か、今日の夜会は総じて前回より平和である。
ドロテア殿下には少し妙な反応をされたけど、オスカー殿下はいい人だったし。
貴族にも少し頼られるようになった。
ただ。
「殿下」
「なに」
「そろそろ帰りません?」
やっぱり、夜会からはさっさと帰りたい。
「まだ一時間よ」
「一時間も経ちました」
「一時間しか経ってないわ」
「体感では三日です」
「大袈裟ね」
殿下が扇で口元を隠す。
それが、笑いを堪えてるからだということも分かるようになってきた。
色々分かることが増えている。
我ながら成長したものである。
予定とはだいぶ違う成長であることからは目を逸らすことにする。




