第25話 亡国の王子、期限厳守
「遅い」
「これでも急いで来たんですが」
三日後。
残業を少しだけ早めに切り上げ、教会の図書室へ顔を出したところ、初手から怒られていた。
「約束の時間を決めた覚えはないんですが」
「定時すぐに来れば、あと一時間は早いでしょ」
「それはドロシーさんの期待です」
「期待を裏切ったのね」
「重い」
圧が強い。
まだ椅子にも座っていないのに、もう負けそうである。
「まあ、今回は時刻を指定しなかったこちらも落ち度があるから見逃すわ」
「はい、ありがとうございます?」
「それで、その」
ドロシーさんが、布に包まれた本をこちらへ差し出した。
……この布、高そうなんだけど。
「面白かったわ」
「それは良かったです」
素直にほっとした。
気に入った本を貸して「つまらなかった」と言われるのは、地味に傷つく。
「犯人の動機には少し納得がいかないけれど、伏線の配置は見事だったわ。特に、序盤の食事場面で既に凶器が示されていたところ」
「ですよね。あれ、最初は単なる描写だと思って読み飛ばすんですよ」
「読み返せば、あまりにも露骨なのにね」
「一回目だと気付かないんですよねぇ」
やっぱりこの人、本の話をしている時は面白い。
普段はちょっと言葉が刺さるけど。
でも、楽しそうな感想を聞くのは悪くない。
「まあ、だから、これ読んだことある?」
ドロシーさんは眼鏡を軽く直して、足元に置いていた鞄から一冊の本を取り出す。
あ、その作者は知ってる。
けど、その作品は読んでない。
「ないです」
「職場を首になったら、なぜか馬の声が聞こえるようになった青年の話よ……貸してあげる」
「ありがとうございます」
素直に嬉しい。
今は他に読む本もないし、ゆっくり読ませてもらおう。
「三日で返してね」
「え?」
「三日後。ここへ持ってきて」
聞き間違いではなかった。
「いや、あの」
「何?」
「俺、今ちょっと仕事が忙しいのですが……」
「言い訳は嫌いよ」
「うわぁ」
なんという圧。
期限を守れない事情を説明しただけなのに。
「私はやったわ」
「そうですね」
三日で読み切って返していただきましたね。
「なら、あなたもできるでしょう?」
「その理屈、世の中の上司が使うと嫌われるやつですよ?」
「できない理由を探す前に、できる方法を考えなさい」
「うわぁ……」
容赦がない。
「あらあら、楽しそうね」
お茶とお茶菓子を運んできてくれたヘレナさんが、のんびり笑う。
「今、この本をお借りしたところです」
「良かったわね、ドロシーちゃんが本を貸し出すってことはよっぽど仲良くなったのね」
「いいえ、あくまで本を貸してもいいと思っただけです」
そこまで否定しなくても……
「それで、この本を三日以内に返却するようにと言われたところです」
「あら、でも三日あれば読めるんじゃない?」
「最近ちょっと仕事が忙しいんです」
「まあ、ロビンくんはやればできる子だから読めるわよ」
「ヘレナさんまで!?」
俺の味方はいないのか。
神の家たる教会のはずなのに!?
「昔も、歩けるようになった翌日には中庭を三周できたじゃない」
「させられたんです」
「歩けてえらかったわね」
「……」
そう言われると、ヘレナさんには何も言い返せない。
「……子ども扱いなのね」
ドロシーさんが、ちょっと意外そうにこちらを見る。
「まあ、否定しづらいところがありまして」
「なぜ?」
「命の恩人なので」
「そうなの?」
「戦災で家を失って、大怪我してるところを教会に拾われたんですよ」
言い慣れた説明である。
嘘は言ってない。
ただ、その家が城だったことを言ってないだけである。
「……悪いことを聞いたわね」
ドロシーさんが、さすがに少し口ごもった。
こういうとき、ちゃんと引っかかってくれる人は、たぶん良い人である。
「いえ。もう五年も前の話ですから」
五年。
長いようで、短い。
短いようで、長い。
腹が減る回数を数えるには、十分すぎる時間だった。
「その時に教会までたどり着けたのは、神のご慈悲ね」
そう言って、ドロシーさんが静かに祈る。
「……」
どう返せばいいのか、少し迷った。
俺は別に、熱心な信徒ではない。
困った時に祈るし、助けてくれた教会とヘレナさんには感謝している。
だけど、俺が教会までたどり着けたのは、誰かが逃がしてくれたからだ。
誰かが――俺の代わりに死んだからだ。
でも、俺はドロシーさんやヘレナさんの信仰に文句をつける気もない。
「……そうですね」
だから、そう答えた。
嘘ではない。
全部でもないだけだ。
「だから、ヘレナさんには頭が上がらないのね」
祈りを解いたドロシーさんが、どこか納得したように頷いた。
「はい。たぶん一生」
「うふふ。そんなことないわよ」
「返せる恩じゃないですから」
「元気でいてくれれば、それで十分よ」
こういうことを平然と言うから、この人には勝てない。
俺は誤魔化すように、お茶菓子へ手を伸ばした。
美味い。
「まあ、それでヘレナさんの異動にくっついて帝都に来たってわけです」
あえて軽く言う。
「……あなた、そんなにヘレナさんと離れたくなかったの?」
ドロシーさんの視線に一気に不信感が混じった気がする。
うん、それくらいのリアクションでいい。
保護された時のことをあまり詳しく突っ込まれると困るからね!
「それもないとは言いませんが」
「あら、嬉しい」
ヘレナさんが嬉しそうに笑う。
「そこで頬に手を当てないでください、ヘレナさん」
違う。
いや、違わないけど、何か違う。
「ヘレナさんが、『勤め先を探すにしても、帝都は今一番平和な場所の一つ』って教えてくれたからです」
皮肉な話にも思えるが、帝都は国境から遠く、食料も仕事も集まり、治安もいい。
そして、何より人が多い。
隠れるなら最適だと思ったのだ。
その時はね!?
「事実ね」
ドロシーさんは静かに頷いた。
「帝都は、少なくとも今の世界で最も安全な都市の一つだわ」
「でしょう?」
皇城にさえ入らなければね。
「身元不明では、うちの官吏試験は受けられないでしょう。身元保証は教会?」
「はい」
「なるほど、問題行動はなかったのね」
テルシア教会が発行する身元保証書。
教会の保護下で三年以上暮らし、その間に問題を起こさなかったことを保証してくれる書面。
各国でも準公的な証明として扱われているので、過去の経歴が焼け落ちた人には非常にありがたい制度である。
「ちなみに試験は難しかった?」
なぜか、少し楽しそうにドロシーさんが聞いてくる。
官吏試験に興味があるのだろうか?
「一応、首席だったらしいです」
ぶっちゃけ余裕でしたとは言わない。
「ふうん。あなた、優秀なのね」
「親が教育熱心だったもので」
この言い訳便利だな。
「うふふ。ロビンくんは、基本的には良い子だったもんね」
「基本的には?」
あ。
ヘレナさんの言葉にドロシーさんがピクリと反応する。
「ヘレナさん、あの――」
「夜中に書庫へ忍び込んで本を読んでたくらいかしら」
バラされた!?
「問題を起こしてるじゃない」
ドロシーさんの指摘が刺さる。
だが、あれは書庫の鍵が開いていたのも悪いと思う。
「……読みかけだったんです」
あと、見つけたのがヘレナさんだったので怒られるだけで済んだんです。
めっちゃ怖かったけど。
「まあ、それだけ読書が好きなら三日で大丈夫そうね」
「話が戻った!?」
「戻すわよ、私そろそろ礼拝したいし」
あ、それは邪魔しちゃ悪いな。
「せめて四日」
「三日。時間の指定はしないであげるから、夜遅くなったら、ヘレナさんか誰か教会の人に渡しておいてちょうだい」
交渉の余地がない。
「……わかりました」
でも、読みたい。
ヘレナさんが、お茶を飲みながら楽しそうに笑っている。
助けてほしい。
「うふふ、頑張ってね、ロビンくん」
チラリと目をやったが見捨てられた。
「ヘレナさんまで……」
ため息を吐きながら、心の中で神様に祈る。
せめて向こう三日間、これ以上何も起きませんように。




