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亡国の王子ですが、のんびりしようと下級官吏になったら、なぜか昼行燈と噂の第七皇女の秘書官になりました  作者: 萩原詩荻
第二章 ???

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第25話 亡国の王子、期限厳守

「遅い」


「これでも急いで来たんですが」


 三日後。


 残業を少しだけ早めに切り上げ、教会の図書室へ顔を出したところ、初手から怒られていた。


「約束の時間を決めた覚えはないんですが」


「定時すぐに来れば、あと一時間は早いでしょ」


「それはドロシーさんの期待です」


「期待を裏切ったのね」


「重い」


 圧が強い。


 まだ椅子にも座っていないのに、もう負けそうである。


「まあ、今回は時刻を指定しなかったこちらも落ち度があるから見逃すわ」


「はい、ありがとうございます?」


「それで、その」


 ドロシーさんが、布に包まれた本をこちらへ差し出した。


 ……この布、高そうなんだけど。


「面白かったわ」


「それは良かったです」


 素直にほっとした。


 気に入った本を貸して「つまらなかった」と言われるのは、地味に傷つく。


「犯人の動機には少し納得がいかないけれど、伏線の配置は見事だったわ。特に、序盤の食事場面で既に凶器が示されていたところ」


「ですよね。あれ、最初は単なる描写だと思って読み飛ばすんですよ」


「読み返せば、あまりにも露骨なのにね」


「一回目だと気付かないんですよねぇ」


 やっぱりこの人、本の話をしている時は面白い。


 普段はちょっと言葉が刺さるけど。


 でも、楽しそうな感想を聞くのは悪くない。


「まあ、だから、これ読んだことある?」


 ドロシーさんは眼鏡を軽く直して、足元に置いていた鞄から一冊の本を取り出す。


 あ、その作者は知ってる。


 けど、その作品は読んでない。


「ないです」


「職場を首になったら、なぜか馬の声が聞こえるようになった青年の話よ……貸してあげる」


「ありがとうございます」


 素直に嬉しい。


 今は他に読む本もないし、ゆっくり読ませてもらおう。


「三日で返してね」


「え?」


「三日後。ここへ持ってきて」


 聞き間違いではなかった。


「いや、あの」


「何?」


「俺、今ちょっと仕事が忙しいのですが……」


「言い訳は嫌いよ」


「うわぁ」


 なんという圧。


 期限を守れない事情を説明しただけなのに。


「私はやったわ」


「そうですね」


 三日で読み切って返していただきましたね。


「なら、あなたもできるでしょう?」


「その理屈、世の中の上司が使うと嫌われるやつですよ?」


「できない理由を探す前に、できる方法を考えなさい」


「うわぁ……」


 容赦がない。


「あらあら、楽しそうね」


 お茶とお茶菓子を運んできてくれたヘレナさんが、のんびり笑う。


「今、この本をお借りしたところです」


「良かったわね、ドロシーちゃんが本を貸し出すってことはよっぽど仲良くなったのね」


「いいえ、あくまで本を貸してもいいと思っただけです」


 そこまで否定しなくても……


「それで、この本を三日以内に返却するようにと言われたところです」


「あら、でも三日あれば読めるんじゃない?」


「最近ちょっと仕事が忙しいんです」


「まあ、ロビンくんはやればできる子だから読めるわよ」


「ヘレナさんまで!?」


 俺の味方はいないのか。


 神の家たる教会のはずなのに!?


「昔も、歩けるようになった翌日には中庭を三周できたじゃない」


「させられたんです」


「歩けてえらかったわね」


「……」


 そう言われると、ヘレナさんには何も言い返せない。


「……子ども扱いなのね」


 ドロシーさんが、ちょっと意外そうにこちらを見る。


「まあ、否定しづらいところがありまして」


「なぜ?」


「命の恩人なので」


「そうなの?」


「戦災で家を失って、大怪我してるところを教会に拾われたんですよ」


 言い慣れた説明である。


 嘘は言ってない。


 ただ、その家が城だったことを言ってないだけである。


「……悪いことを聞いたわね」


 ドロシーさんが、さすがに少し口ごもった。


 こういうとき、ちゃんと引っかかってくれる人は、たぶん良い人である。


「いえ。もう五年も前の話ですから」


 五年。


 長いようで、短い。


 短いようで、長い。


 腹が減る回数を数えるには、十分すぎる時間だった。


「その時に教会までたどり着けたのは、神のご慈悲ね」


 そう言って、ドロシーさんが静かに祈る。


「……」


 どう返せばいいのか、少し迷った。


 俺は別に、熱心な信徒ではない。


 困った時に祈るし、助けてくれた教会とヘレナさんには感謝している。


 だけど、俺が教会までたどり着けたのは、誰かが逃がしてくれたからだ。


 誰かが――俺の代わりに死んだからだ。


 でも、俺はドロシーさんやヘレナさんの信仰に文句をつける気もない。


「……そうですね」


 だから、そう答えた。


 嘘ではない。


 全部でもないだけだ。


「だから、ヘレナさんには頭が上がらないのね」


 祈りを解いたドロシーさんが、どこか納得したように頷いた。


「はい。たぶん一生」


「うふふ。そんなことないわよ」


「返せる恩じゃないですから」


「元気でいてくれれば、それで十分よ」


 こういうことを平然と言うから、この人には勝てない。


 俺は誤魔化すように、お茶菓子へ手を伸ばした。


 美味い。


「まあ、それでヘレナさんの異動にくっついて帝都に来たってわけです」


 あえて軽く言う。


「……あなた、そんなにヘレナさんと離れたくなかったの?」


 ドロシーさんの視線に一気に不信感が混じった気がする。


 うん、それくらいのリアクションでいい。


 保護された時のことをあまり詳しく突っ込まれると困るからね!


「それもないとは言いませんが」


「あら、嬉しい」


 ヘレナさんが嬉しそうに笑う。


「そこで頬に手を当てないでください、ヘレナさん」


 違う。


 いや、違わないけど、何か違う。


「ヘレナさんが、『勤め先を探すにしても、帝都は今一番平和な場所の一つ』って教えてくれたからです」


 皮肉な話にも思えるが、帝都は国境から遠く、食料も仕事も集まり、治安もいい。


 そして、何より人が多い。


 隠れるなら最適だと思ったのだ。


 その時はね!?


「事実ね」


 ドロシーさんは静かに頷いた。


「帝都は、少なくとも今の世界で最も安全な都市の一つだわ」


「でしょう?」


 皇城にさえ入らなければね。


「身元不明では、うちの官吏試験は受けられないでしょう。身元保証は教会?」


「はい」


「なるほど、問題行動はなかったのね」


 テルシア教会が発行する身元保証書。


 教会の保護下で三年以上暮らし、その間に問題を起こさなかったことを保証してくれる書面。


 各国でも準公的な証明として扱われているので、過去の経歴が焼け落ちた人には非常にありがたい制度である。


「ちなみに試験は難しかった?」


 なぜか、少し楽しそうにドロシーさんが聞いてくる。


 官吏試験に興味があるのだろうか?


「一応、首席だったらしいです」


 ぶっちゃけ余裕でしたとは言わない。


「ふうん。あなた、優秀なのね」


「親が教育熱心だったもので」


 この言い訳便利だな。


「うふふ。ロビンくんは、基本的には良い子だったもんね」


「基本的には?」


 あ。


 ヘレナさんの言葉にドロシーさんがピクリと反応する。


「ヘレナさん、あの――」


「夜中に書庫へ忍び込んで本を読んでたくらいかしら」


 バラされた!?


「問題を起こしてるじゃない」


 ドロシーさんの指摘が刺さる。


 だが、あれは書庫の鍵が開いていたのも悪いと思う。


「……読みかけだったんです」


 あと、見つけたのがヘレナさんだったので怒られるだけで済んだんです。


 めっちゃ怖かったけど。


「まあ、それだけ読書が好きなら三日で大丈夫そうね」


「話が戻った!?」


「戻すわよ、私そろそろ礼拝したいし」


 あ、それは邪魔しちゃ悪いな。


「せめて四日」


「三日。時間の指定はしないであげるから、夜遅くなったら、ヘレナさんか誰か教会の人に渡しておいてちょうだい」


 交渉の余地がない。


「……わかりました」


 でも、読みたい。


 ヘレナさんが、お茶を飲みながら楽しそうに笑っている。


 助けてほしい。


「うふふ、頑張ってね、ロビンくん」


 チラリと目をやったが見捨てられた。


「ヘレナさんまで……」


 ため息を吐きながら、心の中で神様に祈る。


 せめて向こう三日間、これ以上何も起きませんように。


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