第21話 亡国の王子、休む
朝。
目を覚まして、最初に思ったことは――。
「……仕事に行かなくていい」
信じられない。
「仕事に!行かなくていい!」
すごい。
なんて素晴らしい言葉なんだ。
人類はもっと休日を大切にすべきである。
何をしよう。
昼まで寝る?
素晴らしい。
二度寝する?
さらに素晴らしい。
「……もう一回寝るか」
布団を頭まで被る。
ふかふかである。
使用人宿舎の寝具は、本当にそこらの宿より質がいい。
エレオノーレ殿下の言っていたことは正しかった。
廊下の向こうから、使用人たちの足音が微かに聞こえる。
みんな働いている。
俺は休み。
なんという優越感。
これはもう少し味わうべきだ。
そう思っていたのだが。
ぐぅ。
「腹減ったな」
人は布団だけでは生きられない。
◇
「おお、ロビン!寝坊か!?ガハハ!!」
使用人宿舎の食堂に顔を出した瞬間、厨房のおっちゃんからでかい声が飛んできた。
声はでかいが、気の良い人である。
「今日は休みなんです」
「休み!?」
「そこまで驚かなくても」
「いやあ、お前さんにも休みがあったんだな!」
「俺も昨日知りました」
「ガハハ!そりゃめでたい!」
何がめでたいのかは分からないが、おっちゃんは楽しそうである。
「じゃあ、朝飯は大盛りにしてやるよ!」
「ありがとうございます」
「休みの日はしっかり食って遊べ!」
大盛り。
ありがたい。
ありがたいけど、朝から少し多い。
「たまにはゆっくり食ってけよ、ロビン」
「そうします。お孫さんは元気ですか?」
「いやあ、先日も『じーじ』って言ってくれてよー、あの子は天才だぜ!」
途端にデレデレして孫自慢を始める厳つい顔のおっちゃん。
うんうん、孫を甘やかすのは全世界共通だよね。
どうせ今日は急いで出勤する理由もないし、いつもよりのんびり話を聞くこともできる。
もぐもぐ。
へー、送ったおもちゃを喜んでもらった。それは嬉しいですねぇ。
「それで、ロビンはこのあと何するんだ?」
「特に決めてません。街を歩いて、借りていた本を返しに行くくらいですね」
「地味だな!」
「休日に刺激はいらないんですよ」
「若いんだから女の一人でも誘え!」
「そんな相手がいたら苦労してません」
仕事がもう少し落ち着いたら、彼女作りたいなー。
「第七皇女殿下は?」
おっちゃん、その選択肢は不敬すぎるのでは?
「上司です」
「美人だろ?」
「皇族ですからね」
「で?」
「上司です」
「つまらんなぁ!」
何を期待しているのか。
エレオノーレ殿下を休日に誘う?
無理に決まっている。
いや、ジルベルト殿下とかは遊んでそうだし、カミラ殿下とかも男連れで歩いてそうだけど。
あの人たちは例外中の例外ということにしておこう。
あ、このソーセージ美味し。
◇
ゆっくり朝食を終え、皇城の門へ向かう。
こんな昼間から城の外に出る。
この時点ですでに少し楽しい。
「おや、ロビン殿」
見覚えのある門番さんとエンカウントした。
「お疲れ様です」
「先日はありがとうございました」
「いえ、あれくらいなら大したことないですよ」
一週間ほど前、この門番が提出書類の書き間違いで困っている場面に遭遇したのだ。
幸い、俺がたまたま関連部署の記録を持っていたので、照合して訂正しただけである。
本人は感謝してくれたが、俺としては書類を一枚確認したにすぎない。
十分もかからなかった。
「いやいや、助かりました。あれ、書き直しになると始末書がついてくるので」
「始末書は嫌ですよね」
「嫌ですねぇ」
全人類の共通見解である。
もう一人の若い方が、俺の格好を見て首を傾げた。
「今日はラフな格好ですね」
「今日は休みなんですよ」
「「休みあったんですね」」
二人分の声が綺麗に重なった。
「俺もそう思いました」
三人で笑った。
いや、笑い事ではないんだけどな。
……他の皇女や皇子の秘書官ってどうなんだろうな。
「では、良い休日を」
「ありがとうございます。お二人も良い勤務を」
「勤務は良くならないですよ」
「それはそうですね」
軽く手を振り、皇城の門を出る。
うーん、いい天気だ。
◇
街に出ると、朝の帝都は普通に忙しかった。
朝から香ばしい匂いを漂わせるパン屋。
店先に色とりどりの布を並べる仕立屋。
平和だ。
帝都には、平和がある。
……世界的に見れば珍しいことに。
国が滅ぶ前は、こんなふうに一人で街を歩くことはほとんどなかった。
外へ出る時には必ず護衛がいて、行き先が決められていた。
今は、露店を覗いても誰にも止められない。
「お兄さん、焼き菓子どう?」
「帰りに寄ります」
「帰りには売り切れてるよ!」
「商売が上手いなぁ」
「毎度!」
止める人がいないので買ってしまった。
エレオノーレ殿下への土産である。
リズの分も買ったので問題ない。
そのまま街をぷらぷら歩いていると、見慣れた聖印が目に入った。
世界中に広く信徒を持つテルシア教の大聖堂だ。
今の皇帝は教会を疎んじている、なんて噂もあるが、帝都の一等地にこれだけの建物があるあたり、色々複雑なんだろう。
「ま、俺には関係ないか」
目の前を通り過ぎて、街外れへ足を向ける。
用があるのは、この大聖堂じゃないんだよなー。
皇城から離れるにつれて、建物は少しずつ小さくなる。
石造りの立派な商館が減り、年季の入った家や工房が増えていく。
その先。
帝都の片隅に、小さな教会がある。
立派な大聖堂ではない。
石造りの壁。
小さな鐘楼。
手入れされた花壇。
けれど、俺にとっては帝都で一番馴染みのある教会だった。
その入り口に、見慣れた金髪の後ろ姿があった。
「ヘレナさん」
「あら、ロビンくん。久しぶりね」
ヘレナさん。
金色の長い髪。
白を基調とした修道服。
柔らかく落ち着いた顔立ち。
そして、修道服でも隠しきれない、とてもすごい胸。
最近まで俺の中で断トツ一位だったのだが、最近アンナちゃんという強敵が現れたため、惜しくも二位となった。
……何の順位か、神様には秘密でお願いしたい。
「ご無沙汰しております」
「うふふ。元気そうで何よりね」
「はい、おかげさまで」
本当に、この人には頭が上がらない。
五年前。シャーウッド王国辺境にあった教会で、この人に俺は命を拾われた。
着ていた服は泥と血で汚れ、まともに歩くこともできなかった。
目を覚ました時に最初に見た顔がこの人で、最初に食べさせてもらった粥もこの人が作ったもので、つまり俺は一生頭が上がらない。
あの時、とっさにロビンと偽名を名乗った自分を褒めたい。
おかげで今も、亡国の王子ではなく、ただのロビンとして生きている。
「今日はどうしたの?」
「本を返しに」
「あらあら、いつでもよかったのに」
「そういうわけにもいかないですよ」
借りたままは気持ち悪い。
それに、ヘレナさんにも会いたかったし。
「立ち話もなんだし、奥にどうぞ。今ちょうどお茶を用意するところだったの」
ヘレナさんが教会の扉を開け、奥を示す。
「いいんですか?忙しいんじゃ」
「大丈夫よ。今ちょうど、お客様が来ているのよ」
「なおのこと、お邪魔では?」
来客対応中に割り込むのは気が引ける。
「たぶんロビンくんと気が合う人よ。うふふ」
ヘレナさんが口元に手を当てて、小さく笑う。
「?」
「さあ、入って」
「はあ」
促されるまま、教会の中へ足を踏み入れる。
誰がいるんだろう?
まあ、ヘレナさんがそういうのなら従ってみるか。




