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亡国の王子ですが、のんびりしようと下級官吏になったら、なぜか昼行燈と噂の第七皇女の秘書官になりました  作者: 萩原詩荻
第二章 ???

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第20話 亡国の王子、監査を知る。

「監査の申し入れだって」


 エレオノーレ殿下が手紙を机の上に置いた。


 声は静かだったが、長椅子に戻ろうとする動きが、いつもより明らかに遅い。


 つまり、現実逃避するかどうか迷っているんだろうな。


「監査」


 帳簿やら予算執行やらを確認される、アレである。


 普通の組織なら、大変だが、まあ普通の出来事の範疇だ。


 しかし、ここは第七皇女宮である。


 ……うん。


 休みが消し飛んだ気配がする。


「殿下、まずくないですか?」


「まずいわね」


 殿下もあっさり認める。


「やっぱりまずいんですね?」


「まずいわ」


「どのくらい?」


「書類棚の奥から、去年処理したはずの未決裁書類が出てきた時くらい」


「かなりまずいですね」


 あれは嫌だ。


 見つけた瞬間、心が少し死ぬ。


 いや、待て。


 俺はもう王子ではない。


 嫌な手紙が来ても、上司が何とかしてくれるはずである。


「で、どうするんですか?」


 期待を込めて聞くと、エレオノーレ殿下は「何言ってるの?」という顔で俺を見る。


「どうにかして」


「また丸投げですか!?」


 思わず声が出た。


 仕方ないと思う。


 この職場では困ったことが起きると、だいたい俺の机に落ちてくる。


 書類も落ちてくる。


 皇子殿下の女性問題まで落ちてきた。


 そして監査の対応まで落とされた。


 そろそろ天井から何か落ちてくるかもしれない。


 ニンジャとか。


「監査ですよ?第五皇女殿下の正式な監査ですよ?俺、まだ就職して一か月の新人なんですが」


「でもジルベルト兄様を正座させたじゃない」


「正座させたのは殿下です」


「でも原因を作ったのはあなた」


「俺は被害者です」


「その被害者が、なぜか証拠を持ってきたのよね」


「必要だったからです」


「今回も必要よ」


「理屈が雑!」


 どうしてこうなった。


 俺は穏やかな生活を望んでいるだけなのに。


 人生の進路が途中で変な角度に曲がっている。


「ま、とりあえずゆっくり対策を考えましょうか」


 エレオノーレ殿下は、だらけモードに戻って、あっさりそう言った。


 さっきまで「うわぁ」と言っていた人とは思えない落ち着きである。


「ゆっくりでいいんですか?」


「今すぐ第五皇女宮の人間が乗り込んでくるわけではないもの」


 リズも頷く。


「そうね。ジルベルト殿下の時と違って、今回は時間に余裕があるから」


「そうなの?」


「うん。これは『監査しますよ』という正式な申し入れだから」


 リズが手紙に目を通しながら説明してくれる。


「これから日程調整をして、必要書類の範囲を確認して、提出できる資料をすり合わせて、それから実際の監査になるわ」


「なるほど」


「つまり、いきなり明日来るわけじゃない」


「それは助かる」


 素直にそう思った。


 少なくとも、今日すぐ机の中身を燃やす必要はないということだ。


 ジルベルト殿下の件は、正座させるまでが早すぎた。


 人生であんな速度で皇子殿下を正座させる事件に巻き込まれることなど、二度とないと思いたい。


 二度とないよね?


 ないと言ってほしい。


「なんというか、こういうのって抜き打ちで来るイメージでした」


「相手をイジメたいだけならそうするでしょうね」


「イジメ」


「ええ。抜き打ちで来て、狼狽えてるところを叩く方が楽だもの」


 さらっと言うなぁ、殿下。


 でも、たしかにその通りだ。


 焦っている相手からミスを引きずり出すのは簡単だって、兵法の授業で聞いた。


 ……泣きながら詰め込まれた知識が、最近すごく実務に活きるな。


「ただし、ドロテア姉様はそういうことは絶対にしない」


「絶対に、ですか」


「絶対に」


 エレオノーレ殿下が菓子をつまみながら軽く言うが、その言い方には奇妙な信頼がある気がした。


「あの」


「なあに?監査対応秘書官」


「その役職は非常に不本意なのですが、第五皇女殿下ってどんな人なんですか?」


「逆にどこまで知ってる?」


「そうですね……」


 顔は肖像画しか見たことない。


 年齢もたしか、エレオノーレ殿下と三つくらいしか離れていないはずだ。


 その上で、帝都の噂で聞いた話のレベルだと……


「噂だと、真面目。規律に厳しい。眼鏡。遅刻した官僚を無言で見つめて泣かせたことがある」


「全部本当ね」


 本当なのか。


 怖い。


「つまり、第五皇女殿下は」


「真面目で、正しくて、手順に厳しくて、相手に逃げ道を与えない面倒な姉様よ」


「言い方」


「好きではあるのよ?」


「今の説明からは、あまり伝わりませんでした」


「でも本当。ドロテア姉様のことは嫌いじゃないわ。むしろ皇族の中では話が通じる方」


「では、なぜそんなに嫌そうなんですか?」


「話が通じるからといって、面倒ではないとは限らないからよ」


 なるほど。


 真理である。


「……弱点は?」


「弱点?」


 殿下が考えるように首を傾げてから、ちょっと困ったように笑う。


「たぶん、ないわね」


「ないんですか」


「悪い意味での弱点は、たぶんないわ」


 それはそれで困る。


 ジルベルト殿下は脇が甘かった。


 あの人は分かりやすい爆弾を抱えていた。


 だが、第五皇女殿下はどうやら違うらしい。


 真面目。


 規律重視。


 不正嫌い。


 そして弱みがない。


 敵に回すと面倒だが、味方にすると頼もしいタイプだ。


 ……敵に回す前提で考えたくないなぁ。


「なので、今回は正面から対応するのが基本になるわね」


 リズが手紙を畳み直しながら言う。


「表の帳簿は綺麗にしてる。けど、突かれると面倒な項目は多いわね」


「綺麗なのに面倒とは」


 どっちだよ。


 帳簿とは、綺麗なら大丈夫なものではないのか。


 いや、そういえば「綺麗すぎる帳簿は逆に怪しい」と習った気がする。


 あの授業は嫌いだったなぁ。


「具体的には?」


「例えば、通常の文具、封蝋、記録紙、清掃用具、予備の制服」


「普通だ」


「隠し通路確認用の簡易魔導灯、認識阻害布、変装用小物、偽装印章保管箱」


「普通じゃないのが混ざった」


「普通の消耗品よ」


「普通の概念が広い」


 しかし、必要としているのは分かる。


 表向き、第七皇女宮は地味で存在感の薄い皇女宮だ。


 一方で、情報収集を怠るとどこで落とし穴にハマるかわからない。


 つまり、昼行燈を装うことと裏方による諜報力の両輪が殿下の生存戦略なのである。


「まあ、まずはドロテア姉様が何をどこまで掴んでいるかの確認からね」


「そうですね。その辺は私がやりますので……ロビンは今のうちに休んどいたら?」


 殿下とリズがさらっと怖い話をしながら俺の方を見る。


「今のうちに?」


「監査準備が始まったら、たぶんしばらく休めないから」


「……」


 静かに窓の外を見た。


 空は青い。


 とても穏やかだ。


 まるで、俺の休日が今ならまだ生きていると教えてくれているようだった。


「リズ」


「何?」


「休みって、先延ばしにすると死ぬんだな」


「そうね」


「人間と同じなんだな」


「そこまで重く捉えなくてもいいと思うけど」


「俺にとっては重大なんだよ」


 一か月ぶりに手に入った休みである。


 大切にしたい。


「では、殿下。明日は休みをいただいても?」


「いいわよ」


「本当に?」


「本当よ」


「急に仕事を思い出したりしません?」


「するかもしれないけど、我慢するわ」


「優しい」


「でしょ?」


 殿下が満足そうに頷く。


 この人は褒めると露骨に機嫌がよくなるよなぁ。


「でも、その前に今日の分はちゃんと終わらせてね?」


 どん。


 リズが、俺の机の上に新しい書類束を置いた。


 音が重い。


「増えた」


「仕事」


「明日休みなのに?」


「だから今日やるの」


「理屈は通ってるのが腹立つ!」


 エレオノーレ殿下が笑いを堪えるみたいな顔で視線を逸らしている。


 絶対ちょっと面白がってるだろ、この人。


「ま、がんばって」


「他人事みたいに言わないでください」


「私はドロテア姉様にお返事書かないといけないの」


「それもそれで嫌ですね……」


「嫌よぉ……」


 あ、突っ伏した。


 気持ちはわかるけどちょっと面白い。


 街中で良さそうなお菓子でもあったらお土産に買ってこようかな。


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