第19話 亡国の王子、休みを知る。
人間というものは、慣れる生き物である。
どれだけ奇妙な環境でも。
ある程度は慣れる。
第七皇女宮は表向き、昼行燈と噂の第七皇女殿下が静かに暮らす地味な宮である。
実態は、だらける皇女と怖いメイドと、書類に殺されかける秘書官が、日々なんかよくわからないものと戦っている職場だった。
俺の求めていた平穏な官吏生活とは、少し違う。
少し。
いや、かなり。
「ロビン、そっち終わった?」
「終わった」
「じゃあ、これも」
「解せぬ」
「仕事だから」
「その言葉、最近嫌いになってきた」
「慣れて」
「慣れたくはない」
笑顔のリズから渡された書類束を受け取り、俺はため息を飲み込む。
ため息は癖になる。
父上が昔そう言っていた。
ちなみに父上はその直後、山のような書類を見て盛大にため息をついていた。
王族とは、言葉と行動が一致しない生き物である。
帝国皇族も、たぶんそうだ。
「そういえば、ロビン」
「ん?」
リズが何かに気付いたように顔を上げた。
「働き始めてから一度も休んでなくない?」
手が止まった。
「……」
「……」
「……休む?」
「うん」
「休むって、何を?」
「仕事を」
「仕事を?」
「うん」
「なぜ?」
「休みだから」
よく分からない。
休み。
もちろん知識としては知っている。
部下は適度に休ませた方が効率が上がる、とか。
兵士にも休息を与えなければならない、とか。
官僚にも休みは必要、とか。
そういう一般論としては知っている。
だが、ここは第七皇女宮である。
「この職場って、休みの制度あったの?」
素直な疑問だった。
本当に素直な疑問だった。
毎日書類があった。
毎日何かしらの仕事があった。
だから、てっきりそういうものだと思っていた。
皇女の秘書官とは、そういう生き物なのだと。
「……殿下?」
リズが、長椅子の上の主へ視線を投げる。
「そうね」
エレオノーレ殿下は、明らかに目を逸らしながら答える。
「たまには休んでいいわよ」
「たまには」
「ええ」
殿下?冷や汗かいてませんか?暑いですか?
「休みという概念はあったんですね」
「失礼ね。前からあるわよ」
「本当ですか?」
「たぶん」
「たぶん」
この職場、休みの制度が「たぶん」で運用されている。
帝国官僚制の先進性とは。
「いつ来ても殿下はいるので、休みがないものかと」
「私に休みは無いわよ」
「無いんですか」
「皇族なんてそんなものよ」
さすが皇族。
労働基準という概念の外側に生きている。
「でもリズは時々休んでるわ」
「いつの間に!?」
思わずリズを見ると、不思議そうに首を傾げられた。
「いない日もあったでしょ?」
「いや……裏方の仕事をしてる日かと」
「そういう日もあるけどねー」
「うわぁ……」
つまり、俺が勝手に「リズは裏方の仕事で忙しいんだろうな」と思っていた日、普通に休んでいた可能性があるわけだ。
休むのは大事だ。
大事だが、なんだろう。
俺だけ労働という川の真ん中に流されていた気がする。
「というか、やっぱり私が休んでる日もロビンは普通に働いてたのね」
「リズがいない日の方が仕事が増えるから、休みだと思わないだろ」
「ひどい」
「ひどいのは仕事量だよ」
俺は下級官吏のはずである。
なのに、この職場の仕事量は正直、下級官吏という言葉が泣きながら逃げ出すレベルだったと思う。
だって、文官増やしてくれないんだもん。
「まあ、溜まっていた書類も少し落ち着いたし、時折は休んでもいいわ」
「ありがとうございます」
殿下の言葉に素直に感謝を述べる。
休み。
何をしよう。
寝るか。
本を読むか。
……あ、教会に本を返しに行かないと。
そんなことを考えていると、不意に扉が叩かれた。
コンコン。
その瞬間、エレオノーレ殿下がすごい速さで席に座る。
肩が整う。
視線が上がる。
口元の緩みが消える。
空気が切り替わる。
もう見慣れた光景ではあるが、それでも毎回ちょっと感心する。
「入りなさい」
声も違う。
完璧な第七皇女殿下の声だった。
「失礼いたします」
入ってきたのは、見覚えのない官僚だった。
胸元の徽章を見る限り、皇城内の文書係だろう。
「エレオノーレ殿下。ドロテア第五皇女殿下より、お手紙をお預かりしております」
空気が、ほんの少しだけ変わった。
第五皇女。
ドロテア・フォン・ライヘンバッハ。
名前は当然知っているが、顔は肖像画でしか知らない。
噂では、真面目で、規律を重んじる皇女だという。
「リズ」
「拝領いたします」
リズが一歩前へ出て、丁寧に手紙を受け取る。
封蝋。
紙質。
宛名。
すべてを確認してから、エレオノーレ殿下へ差し出した。
「確かに」
エレオノーレ殿下が短く言う。
「では、失礼いたします」
文官は再び頭を下げ、静かに退室した。
扉が閉まる。
ぱたん。
静寂。
エレオノーレ殿下は、しばらく手紙を見つめていた。
「第五皇女殿下から、ですか?」
「嫌な予感がするわね……」
なぜか、リズも「ですよねぇ」とか言っている。
なんだ。
その、開ける前からだいぶ嫌そうな空気は。
「そんなにですか?」
「兄様と姉様から来る手紙ってね、だいたいろくなことが書いてないのよ」
「偏見では?」
「経験則よ」
ぴっ、と封が切られる。
静かな音が、やけに大きく聞こえた。
中から出てきた折りたたまれた手紙に殿下が目を通すのを見守る。
一秒。
二秒。
三秒。
「うわぁ……」
殿下?
なんですか、そのリアクション?
俺は休みますよ?いいですね?




