第18話 亡国の王子、祝われる。
「ロビン、秘書官勤務一か月おめでとう!!」
乾杯の声が、麦穂亭いっぱいに響いた。
「「「かんぱーい!!」」」
木杯がぶつかる。
泡が跳ねる。
誰かが笑う。
アンナちゃんが「こぼさないでくださいね~」と困ったように笑っている。
そして、俺を見てものすごく楽しそうに笑っているダメな大人たち。
うん。
帰っていいかな?
「……なんで俺の一か月勤務でこんな大騒ぎになってるの?」
エールを受け取りながら聞くと、目の前のケイが当然のような顔で答えた。
「そりゃお前、第七皇女殿下の秘書官だぞ?一か月だぞ?祝うだろ」
「長続きしてるなぁ」
隣の席の常連がしみじみと言った。
「いやあ、賭けは負けたが、愚痴が面白いからまあよし」
「俺は二か月に賭けてるから未だ辞めないでいいぞ!」
「お前、それもう応援してるだろ!」
店のあちこちから好き勝手な声が飛んでくる。
ひどい。
俺の職場人生が、すっかり酒場の娯楽になっている。
「私も外れちゃいます~。ロビンさん、今日辞めません?」
にこにこ顔で何を言い出すの、アンナちゃん?
「辞めないよ?」
「え~」
「えーじゃないんだよ」
癒しに裏切られた。
いや、知っていたけど。
「残念です~。今日辞めてくれたら、私の勝ちだったんですけど~」
「俺の人生を賭けの結果で決めないで?」
「でも、ロビンさんがまだ来てくれるなら、それはそれでいいです~」
かわいい。
かわいいから許してしまいそうになる。
危険だ。
「しかし一か月かぁ」
ケイがしみじみとした顔で俺を見る。
「最初に見た時は、三日だと思ってたんだけどな」
「わかる。一週間くらいで胃を壊して辞めると思ってた」
マーリンも笑いながら「自信あったのになぁ」とか言ってる。
ひどいやつらだ。
「お前らの中では、俺、どれだけか弱い新人だったの?」
「か弱いっていうか、配属先が悪い」
「あと、お前、運が悪い」
「否定できない」
運は、あまり良くない。
亡国の王子である時点で、だいぶ良くない。
「俺、そろそろ消耗品管理課に異動できないかな」
「無理だろ」
「無理だな」
「無理ですね~」
「即答やめて」
なぜ、この店の人間は俺の希望をすぐ潰すのか。
俺はただ、平穏な生活がしたいだけなのに。
「消耗品管理課か。いいじゃないか」
そこで、聞き慣れない男の声が横から割り込んできた。
「紙とインクを数え、備品の不足に文句を言う。実に平和そうだ」
見ると、金髪赤眼の男が空いた席に片手を添えて立っていた。
年は俺より少し上くらいだろうか。
顔立ちはかなり整っていて、なんというか、「あ、モテそう」とわかるタイプの男だった。
「ギルさん、今日も来てくれたんですね~」
アンナちゃんが当たり前のように、男へ声をかける。
「もちろん。ここのエールは美味いし、アンナちゃんは可愛いからね」
「ありがとうございます~。でも、口説くなら追加注文してからにしてください~」
「商売上手だ」
「お仕事ですから~」
アンナちゃんはにこにこしながら受け流している。
慣れている。
なるほど、常連らしい。
「ロビン、紹介してやるよ」
ケイが面白がるように言った。
「こいつはギル。最近来るようになった常連だ」
「ギルだ。よろしく、噂の秘書官くん」
「ロビンです。よろしくお願いします」
俺が軽く頭を下げると、ギルさんは楽しそうに目を細めた。
「いやあ、会えて嬉しいよ。君の話はよく聞いてる」
「……どの話でしょうか」
「第七皇女宮の新人秘書官が、一か月も辞めずに働いてるって話」
「それならまあ」
「あと、第六皇子を正座させたって話」
「それは誤報です」
大事なところである。
皇子殿下を正座させたのはエレオノーレ殿下であって、俺ではない。
俺はただその場にいただけだ。
「でも、噂では君が第六皇子に『床』って言ったことになってるよ?」
「誰だ、その噂を流したやつは」
ギルさんが楽しそうに笑う。
「アンナちゃん、彼にも一杯。今日は俺のおごりで」
「は~い、ギルさん太っ腹です~」
「いいんですか?」
「祝いの日だろう?」
軽い。
しかし嫌な軽さではない。
酒場にいると、こういう人間は一定数いる。
金払いがよく、話がうまく、気が向いた時に奢ってくれる人間。
つまり常連から好かれるタイプだ。
「じゃあ、ありがたく」
「そうそう。若いんだから遠慮せず飲めばいい」
「ギルさんも若いですよね?」
「君よりは少し年上かな。心は永遠に若いけど」
「それを言う人は大体若くないですよね」
「手厳しいなぁ」
ギルさんは楽しそうに笑った。
なんとなく、面白い人だ。
「ギルさんは、何のお仕事を?」
「俺?まあ、社交関係かな」
「社交関係」
「人と会って、話して、飲んで、たまに花を贈る仕事」
「それ仕事なんですか?」
「世の中にはそういう仕事もあるんだよ」
「へえ……」
よく分からない。
貴族相手の仲介役か、商会の顔役か、あるいは単なる遊び人か。
「まあまあ。今日は一か月祝いなんだろ?」
ギルさんが笑って杯を持ち上げる。
「おめでとう、ロビンくん」
「ありがとうございます」
「一か月持ったなら、もう立派なものだ」
「本当にそうなんですか?」
「皇城勤めは大変だ」
「本当に」
「特に皇族相手は大変だろう?」
「本当に」
「あはははは」
ギルさんが笑う横で、何故かケイとマーリンも腹を抱えて笑っている。
正座の話もそうだが、普通は皇族のことを笑い話にするのは少々危険だ。
……なのに、なぜかここでは笑い話になっている。
やっぱり帝都ってどこかおかしいのでは?
「でも、辞める気はないんだろう?」
ギルさんが何気ない調子で聞いてくる。
そう言われると……。
辞める気。
ないのかと言われれば、たぶん、ない。
辞めたいと思うことはある。
仕事は多い。
リズは当然のように書類を増やす。
皇族関係の面倒ごとは今後もありそうだ。
穏やかな生活とは、たぶん遠い。
でも。
「まあ、今のところは」
「へえ」
「給料はいいし、寝床もあるし、ご飯も食べられるし」
「現実的だ」
「生きるには大事です」
ギルさんが少しだけ目を細めたが、すぐに軽い笑みに戻る。
「皇城勤めの愚痴を言いながら、ちゃんと明日も仕事に行く顔をしているのは偉いね」
「行かないとリズに怒られるので」
「誰?」
「同僚です。美人だけど怖いメイドです」
「美人なら怖くてもいいじゃないか」
ギルさん、そういう人か。
「第七皇女殿下は?」
さらりと聞かれて、少しだけ考えてしまう。
エレオノーレ殿下。
お菓子を食べると少しだけ顔が緩む皇女。
「……良い上司ですよ」
「へえ」
「仕事は多いですが、理不尽ではないですし。責任は取ってくれますし」
「他には?」
「他?」
「たとえば、美人だとか」
「皇族の方ですので」
「逃げた」
「逃げてません。礼節です」
「ふうん?」
ギルさんが面白そうに笑う。
なんだろう。
この人、初対面なのに、会話の間合いが取りやすい。
警戒すべきか。
いや、酒場で会った相手をいちいち警戒していたら疲れる。
「じゃあ、改めて」
ギルさんが杯を掲げた。
「ロビンくんの一か月生存に」
「だから言い方」
「第七皇女宮の平穏に」
「それはちょっと祈ってほしい」
「麦穂亭の飯と酒に」
「それは大事」
「そして、明日も面白い愚痴が聞けることに」
「祈るな!」
酒場が笑う。
ケイもマーリンも笑う。
アンナちゃんまで「ふふ~」と笑っている。
まったくひどい店だ。
だが、悪い気はしない。
俺は結局、杯を掲げた。
「俺の平穏に」
「フラグ立ったわ」
「こいつ、自分から平穏捨てに行ったわ」
「ロビンさん、一か月経っても平穏諦めてないんですね~」
「お前ら少しは祈れよ!」
ガン、と杯がぶつかる。
肉はうまい。
パンもうまい。
酒もうまい。
相変わらず、帝都の夜は明るくて、うるさくて、温かかった。




