最終話 亡国の王子、就職先が決まる。
「お帰りなさいませ、エレオノーレ殿下。そして――アルバート王子」
「やめて!?」
長い長い夜会を終えて、ようやく第七皇女宮へ帰った瞬間。
リズが、見たこともないくらい完璧な角度で頭を下げてきた。
「知らなかったとはいえ、王族の方への数々の無礼、平にご容赦を」
声だけ聞けば、完璧に反省している。
素晴らしいメイドの所作だと手本にできるくらいだ。
――でも。
「リズ」
「はい、なんでしょう」
「遊んでるだろ?」
「バレた?」
「当たり前だろ」
顔を上げたリズが、けらけら笑う。
くそ。
一瞬だけ、本気で距離を取られたのかと思った。
「だって、城中その話で持ちきりよ?」
「もうそんなに広まってるの!?」
「食堂のおっちゃんは『今度シャーウッド料理作ってやる!』って言ってたし、門番くんは『今度飲みに行った時、王族っぽい話教えてください!』って」
「この城の噂ネットワークどうなってんの!?」
明日には帝都中に広まってそう。
いや。
明日の昼には、「実は俺も前から気付いてた」とか言い始める人が大量発生してそう。
帝都怖い。
「だって面白いじゃない。ずっと一緒に働いてた同僚が、実は亡国の王子様だったのよ?」
「俺は面白くない」
「私は面白い」
「知ってた」
本当に、この同僚は有能なのに性格が最悪だ。
「で、どっちがいい?」
「どっちでもいいよ……」
「あっそ。じゃ、これからもよろしくね、ロビン」
「ん、ありがと」
リズは、本当にリズだ。
でも。
それが少し安心したし、嬉しかった。
「話はまとまった?」
長椅子の方から、拗ねたような声が飛んできた。
夜会の間にリズが掃除したのだろう。
生息地を取り戻した次代の皇帝は、ドレス姿のままクッションを抱えている。
不満げな顔でこっちを見ているが、あれは「私抜きで仲良く喋らないで」の目だ。
「だったら、リズ。例のワイン飲みましょ」
おお。
そうだった!
「おっけー。じゃ取りに行ってくるから、エル、一筆書いて」
「何を?」
「酒蔵から持ち出していいって許可」
「ああ」
エレオノーレ殿下が執務机へ向かい、さらさらと何かを書き始める。
「次代皇帝として最初に作る文書が、酒蔵の利用承認ね」
「エルらしいっちゃらしいわね」
「一応、未だ皇帝じゃないんですが、本当に入れるんです?」
「まあ、ダメだったらリズが侵入して盗ってきて」
「任せて」
「任されないで!?」
そこまでして飲みたくないよ!?
「大丈夫よ、さすがに魔導局より簡単だと思うから」
「そういう問題じゃないんだよなぁ!?」
「ロビンは来なくていいからね」
リズが、殿下から受け取った紙をひらひらさせながら言う。
「行かないよ」
絶対に行かない。
酒蔵で何かあって、いっぱい割ったりしたら、一生ただ働きになりそうだし。
「それと、エル」
扉に手をかけたまま、リズが振り返る。
「私に黙ってたこと、あとでたっぷり聞かせてもらうからね」
「……はーい」
殿下が、クッションで顔を半分隠したまま、気まずそうに返事をする。
リズは満足そうに笑って、扉の向こうへ消えていった。
ぱたん。
「……」
「……」
ぼふっ。
殿下が、長椅子に横向きに倒れ込む。
「……疲れたわ」
「お疲れさまでした」
「褒めて」
「本当におめでとうございます。助けてくれて嬉しかったですし、すごく立派でした」
「ならよし……」
クッションに顔を埋めたまま、満足そうにうねうねしてる。
……この人、皇帝になるんだよな。
でも。
こういうところは、変わらないといいな。
「ところで、殿下」
「なあに」
「いつから、俺の正体に気付いていたのですか?」
本当はすぐに聞きたかったんだけど、夜会ではそんな暇なかったし。
俺は一体どこでボロを出したんだろう。
ジルベルト殿下の不倫調べたあたり?
ドロシーさんとのやり取りを隠した頃?
さすがにグスタフ殿下に殴られたのはまずかったか?
まさか、オスカー殿下がこっそり教えたとかはないだろうし……
「最初からよ」
「は?」
今、なんて?
「だから」
殿下が、めんどくさそうにクッションから半分顔を上げてこっちを見る。
「私は一度も『ロビン』なんて名前で呼んだことないわ」
「……」
「……」
……。
え?
いや、そんなはず。
だって、毎日顔を合わせて。
……。
…………あれ?
…………。
ない。
一回も、ない。
「…………」
「…………」
「本当だ!?」
一回も呼ばれてない!?
ダーリンはあったのに!?
「なんで気付かなかったんですか、俺!?」
「知らないわよ」
「というか、知ってたなら言ってくださいよ!」
「嫌よ」
「なんで!?」
「面白かったから」
「この皇族!!」
間違いなく、あの皇帝の娘だ!
性格悪いところそっくりだ!
「それに、言ったら逃げたでしょ?」
「逃げますね!」
即答。
絶対逃げていた。
全力で逃げていた。
たぶん、その日のうちに荷物をまとめて、ヘレナさんに泣きついて帝都から逃げ出したと思う。
「だから言わなかったの」
殿下が、じとっとこちらを睨む。
「むしろ、あなたが私の事を忘れてそうでムカついたくらい」
「忘れてませんよ!」
忘れるわけがないだろう。
「一回しか会ってないけど、笑顔が可愛い子だったなって、ちゃんと覚えて――」
あ。
「…………」
「…………」
殿下がぷいっと顔を背けたが、髪の隙間から覗く耳が真っ赤だ。
「……ならいいわ」
……。
な、何だ、この空気。
話題を変えよう。
今すぐ変えよう。
「さ、最初からってのは初日に出勤した時、顔見ただけで一発で気付いたとか?」
「違うわ」
「ですよね!」
よかった!
さすがにそれで見抜かれてたら、俺の五年間が泣く。
「さすがに、もうちょっと後ですよね」
「もっと前よ」
「前!?」
どういうこと!?
「官吏試験で写真撮ったでしょ?」
「写真……」
あ、あの合格してすぐ撮ったやつ。
「秘書官を補充しようと思って、下級官吏合格者リストを眺めてたら、あなたがいたから――即取ったわ」
「人事権の乱用!」
初日に異動辞令が出た理由、それかよ!
「首席を御所望、と伺ってましたが……」
「あなたが首席だったから、そう言っただけ」
「最初から俺狙い!?」
「そうよ」
「嘘でしょ!?」
運悪く首席だったから皇女宮に飛ばされたと思ってたんだけど!?
「……でも、名前も違うのに、よく分かりましたね」
国が滅んでから五年、殿下と一回だけ会った日から十数年経ってる。
顔つきも変わったと思うし、雰囲気も違う。
何より、名前が違う。
普通、気付かないと思う。
「……」
エレオノーレ殿下が立ち上がり、執務机の鍵のかかった引き出しを開ける。
「……これ、覚えてる?」
差し出されたのは、一枚の古い写真だった。
「これは……あ」
覚えてる。
一度だけ、許嫁の女の子と会った日。
まだよくわからないまま、帝国訪問に連れてこられて。
大人たちに言われるまま並んで、写真機の前で固まっていた俺の隣で、この子だけが笑っていた。
数えるくらいしか撮ったことのない、写真のうちの一枚だ。
「そう。昔、あなたと一度だけ会った時に撮った写真」
殿下が、写真の端を大事そうに指でなぞる。
「リズにも見せたことないけど、ずっと大切にしてた」
「リズにも?」
「リズにもよ」
……。
ずるいなぁ。
そのちょっと照れたような顔、本当にズルい。
「でも、それでもよく俺だってわかりましたね」
「目が同じだったし、今ごろ生きてたらこんな感じかしらって想像してたから、余裕よ」
「なる、ほど?」
……生きてたら。
この人は、死んだと思っていた相手の写真を、何年も眺め続けていたのか。
ちょっと怖い。
ちょっとだけ。
「というか」
殿下が、不満そうな顔になる。
「死んだって聞いた時、私かなり落ち込んだのよ」
「……すみません」
「別にあなたが悪いわけじゃないけど」
「はい」
「それなのに、いきなり採用者名簿にいるんだもの」
「それは……」
「びっくりした」
「でしょうね」
「会ったら、やっぱり本物だったからもっとびっくりした」
「俺も異動聞いてびっくりしましたけどね!?」
まあ、死んだと思ってた人間が現れたら、普通はびっくりするよね。
よくわかる。
……ああ。
最初の挨拶の時、中々返事がなかったのはそれでか。
「それで」
殿下が、写真を机に戻しながら言った。
「ようやく手に入れたあなたと人目はばからずイチャイチャしたかったら、皇帝になるしかなかったから頑張ったのよ」
「そんな理由で!?」
そんな理由で、帝国を獲りに行ったのか、この人は!
世界最大の帝国の、次代皇帝の動機!
「もちろん、それだけじゃないわよ」
「ですよね!?」
「でも、一番はそれ」
「帝国、大丈夫ですか!?」
今日集まってた貴族の皆さんに聞かせられないですよ!
「だから」
殿下の目が、真っすぐ俺を見つめる。
「選んで」
「……選ぶ?」
「『私の許嫁、アルバート』として皇帝の夫になるか」
……。
「『私の秘書官ロビン』として帝国の宰相になるか」
……。
…………。
ツッコミどころが多すぎる。
「許嫁継続してるんです?」
「私、正式な解消通知、受けてないもん」
「普通、国が滅びたら無くなるのでは!?」
「知らない」
「知らないの!?」
次代皇帝!
法律!
助けてドロシーさん!
「誰に文句言われるの?」
「……」
次代皇帝だった。
強い。
「どっちの立場になっても、シャーウッド領の統治には口を出せるわよ」
「……それは」
アルバートとしてなら、次代皇帝の夫として。
ロビンとしてなら、次代皇帝の宰相として。
どっちの立場でも、シャーウッドの人たちの明日を、少しだけマシにできる……かもしれない。
――いつか、報告したら父上と兄上に爆笑される気がする。
「で、どっち?」
「えー……」
どっちって。
どっちを選んでも、とんでもないことになる気がする。
俺、出世はほどほどにしたい下級官吏になったはずなのに、どうしてこんなことに?
「殿下は、どっちがいいんですか?」
「一緒にいてくれるなら、どっちでもいいわ」
……即答かよ。
あまりにもあっさり言うから、危うく聞き間違いかと思った。
「ちなみに」
「なに?」
「宰相を選んだら、結婚は?」
「するわよ?」
「選択肢の意味!」
ああ。
もう。
なんなんだ、この人。
人生。
わからないものだなぁ。
「これからもよろしくね、“あなた”」




