第95話 亡国の王子、夜会開始。
「うわ……」
会場に足を踏み入れた瞬間、思わず声が漏れた。
何度か夜会に顔を出してきたが、今日は格が違う。
壁際には、見たこともない豪華な花が飾られ、楽団も明らかに気合が入っている。
あと、人も多い。
「貴族も来れる者は全員来い」という皇帝陛下のお達しのせいで、普段は領地に引っ込んでいる老貴族やら、社交界に出たばかりの令嬢やら、とにかくありとあらゆる人がいる。
……噂によれば次の皇帝が決まるとまで言われているしね。
噂じゃなくて事実なんだけどね!
そして。
「殿下、あれ」
視線の先に、人だかりができている一角があった。
「ああ、すごいでしょ?」
エレオノーレ殿下が、完璧な皇女の顔のまま、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
――焼き菓子の塔。
俺の背丈くらいあるぞ。
何段にも積み重ねられた焼き菓子。
色とりどりの果物。
てっぺんには、なんかすごい細工の鳥みたいなものまで乗っている。
職人の執念を感じる。
あとで絶対食べよう。
……ん?
皇帝陛下が出席するときの特別メニューってことは、もしかして甘味が――
「エレオノーレ殿下、ご機嫌麗しゅう」
「ご機嫌麗しゅう」
おっと、仕事仕事。
近づいてきた貴族に、殿下が短く応じる。
いつも通りの、完璧な第七皇女の仮面。
だが、今夜限りで、これも最後になるかもしれない。
「殿下、お久しぶりです」
「お久しぶりです。先日はありがとうございました」
今日のエレオノーレ殿下は、いつも以上に完璧だった。
銀髪を丁寧にまとめ、普段より少し華やかなドレスを身にまとっている。
昼行燈と噂されていた第七皇女には、たぶん見えない。
どや、うちの主は綺麗だろ!
「ロビンくん」
誰ですか、俺に話しかけるのは。
あ。
エクター侯爵がにこやかに、娘さんを伴って近づいてきた。
「先日は娘が世話になったね」
「いえ、むしろ私が解説していただいた側で……」
「……ご一緒できて、楽しかったです」
令嬢が微かな声でそう言って、すぐ侯爵の後ろに半分隠れた瞬間――背後の空気が、少しだけ冷えた気がした。
気のせいだろう。
「あら、エル」
華やかで艶のある声。
カミラ殿下が、周囲の貴族たちを自然に避けさせながらこちらへ歩いてくる。
今日もお綺麗ですね。
「カミラ姉様、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
優雅に挨拶を交わす姿を見ていると、揃って頭を抱えていた二人には到底見えない。
さすが皇族。
「エル、準備は万端?」
「できる限りは」
「頼もしいじゃない」
二人が顔を見合わせて薄く笑う。
その様子を見て、周りの貴族がほんの少しざわつく。
うん、そうだよね。
噂を知っている人なら、この不穏な会話から距離取るよね。
ああ、エクター侯爵!俺を置いてかないでください!
「今日もハインリヒ兄さんの周りは人でいっぱいよ」
「……そのようですね」
二人の視線に合わせて、そちらを見ると、会場の中央近くにハインリヒ殿下がいた。
さすがというべきか。
周囲の貴族たちも、自然と彼を中心に輪を作っている。
皇族としての実績もあって、支持する貴族も多い。
今日ここにいる人の大半は「次代はハインリヒ殿下、対抗はカミラ殿下か」と考えてるだろう。
「おお、エル!それにカミラの姉貴も!」
そんな空気を一切気にしない声が響く。
うん、あなたは気にしないですよね。
「グスタフ兄様。本日は最初からご出席されているのですね」
エレオノーレ殿下が完璧な礼を返す。
「父上に『出ろ』と言われたからな!仕方あるまい!」
グスタフ殿下、今日の趣旨覚えてます?
忘れてません?
「お前のとこの細い秘書官は中々面白い男だったぞ!」
「知ってます」
殿下。
表情こそ変わってないですが、微妙に自慢げですね?
「おお、なんだロビン!いたのか!」
いました。
「ご無沙汰しております」
「夜会が終わったら鍛錬だぞ!」
「申し訳ありません。本日はエレオノーレ殿下の随伴業務がありますので」
「そうか!食ってるか!?」
話、聞いてます?
「まだです」
「なら食え!」
食べたいです。
「グスタフ兄さん、エルもロビンくんも困ってるからその辺にしといてあげて」
次に現れたのは、貴族令嬢たちを優雅に引き連れたジルベルト殿下だった。
今日は銀髪なんですね、ギルさん。
「ジルベルト兄様、ご機嫌よう」
「今夜は面白くなりそうだね」
「ジルベルト兄様はいつもどおりですね」
エレオノーレ殿下がちょっとだけジト目になる。
いや、たぶん傍から見てるとわからないんだけど、最近こういう変化が本当にわかるようになってきた。
「俺は平穏を愛する普通の皇族だからね。美しい女性と酒があれば十分さ」
「……そうですか」
皇族に「普通」はないですよ、ジルベルト殿下。
何か言いたげにしたが、呑み込んだエレオノーレ殿下はえらい。
「あら、みんな集まってきちゃったわね。あ、ドロテアもこっちおいでよ!」
たしかに!?
気付けば、カミラ殿下の言うとおり周りが皇族だらけになってる!
助けて、ドロテア殿下!
「……」
少し離れた場所にいたドロテア殿下は、カミラ殿下の手招きに冷たい一瞥をくれ、そのまま離れていった。
うん、知ってた。
むしろ、そこで「きゃ~☆」とか近寄ってこられてもビビる。
というか、ドロテア殿下来ても皇族率上がるだけだったわ。
「集まると言えば、オスカー兄さんは体調崩してカミラ姉さんのところで休んでるんだって?」
ジルベルト殿下が聞いたように、オスカー殿下の姿は、当然ない。
貴族たちの間では「第四皇子殿下はご体調が優れないらしい」という噂が流れている。
「そうね。昨日は、ロビンくんが本を差し入れてたわよ」
「オスカーは体力ないからな!カミラの姉貴のところでゆっくり休んだら俺が鍛え直してやる!」
「……オスカー兄様も喜ぶと思いますよ」
ちなみに俺が渡した本は、「正解率1%」が売りの推理小説の事件編だけ。
少しくらい悩めばいい。
さて。
殿下もご兄姉と歓談してるし、貴族も近寄ってこない。
――チャンスだ。
今ならお菓子の塔に!
「――皇帝陛下、ご入場!」
終わった。
会場全体の空気が、一瞬で変わった。
談笑が止まり、楽団の音が静かになる。
貴族たちが、一斉に姿勢を正す。
……お菓子。
大きな扉が開き、皇帝陛下がゆっくりと会場へ入ってきて、会場をぐるりと見渡す。
「皆、楽にせよ」
……。
以前、私室で見た時よりもきちんとした服装。
顔色は、相変わらず良くない。
用意された椅子に座らないのは体調がマシになったのか、ただの意地か。
「今夜、これだけ集めた理由については察しておるだろう。察することすらできてない奴は去れ」
貴族たちの間にピリッとした空気が広がる。
というか、すごいこと言いますね。
「この夜会で、次代の皇帝を指名する」
ざわり。
会場中に波が走る。
そういう夜会だということくらい、ここにいる全員が理解していたはずなのに。
それでも、本人の口から言われると重さが違うな。
「先日、儂は我が子らを一人ずつ呼び出し、『皇帝の座が欲しいか』と聞いた」
大きな声ではないが、皆が聞き逃すまいとしているおかげで十分聞こえる。
「だが、『欲しい』と答えたのはハインリヒとエレオノーレの二人しかおらんかった」
――ざわっ。
さっきより大きなざわめき。
あちこちから、「第七皇女?」、「昼行燈の?」と言った囁きが聞こえてくるが、殿下は微動だにしない。
「本当に、やる気のない子ばかりで困る」
皇帝陛下が、心底呆れた声を出した。
言い方。
会場の誰も突っ込まない。
当たり前だけど。
「まあよい。欲しいと言わん奴にはやらん」
そんな理屈でいいんですね。
でも、まあ。
この人が言うと、それだけで絶対の条件になる。
「そして、欲しいと言ったのに、この場に準備も出来ておらん奴にも、くれてやれん」
だったら、なんの準備しておくべきかちゃんと言っておいてほしかった。
向こうで自信ありげな顔をしているハインリヒ殿下は、なんの準備をしたのだろうか。
「なあに、簡単な話だ――儂とここにいる者たちに自分を認めさせろ」
なんだその条件!
雑すぎる!
「まずはエレオノーレだな」
皇帝陛下の視線を追って、会場中の目が集まる中、エレオノーレ殿下は一歩前へ出る。
がんばってください!
「儂としては、エレオノーレにやらせてみるのも面白いと思っておる」
皇帝陛下はすごく軽く言い放ったが、会場全体に動揺が走る。
当たり前だ。
というか、面白いで決めないでほしい。
世界最大の帝国だぞ。
「誰ぞ、特に異議のある者はおるか?」
皇帝陛下が、すごく楽しそうに周囲に向かって言い放つ。
沈黙。
貴族たちは周囲の様子を窺い、簡単には口を開かない。
そりゃそうだ。
ここで真っ先に発言すれば、第七皇女に公然と異を唱えたことになる。
次代の皇帝になる可能性がある人間へ。
そんな危険なことを――。
「父上、よろしいでしょうか」
よく通る声を上げながら、ハインリヒ殿下が一歩前に出てきた。
……当然と言えば、当然か。




