第10話 亡国の王子、引っ越す。
「部屋が、使えなくなった?」
帝都の夕暮れ。
宿泊客たちが荷物を抱えて立ち尽くし、主人が青い顔で何度も頭を下げていた。
「すまねぇ、本当にすまねぇ……!」
「いや、頭を上げてください。俺はまだ事情を聞いてないので」
「事情って言われても、その……」
主人がちらりと周囲を見る。
――なるほど。
声を大きくできない事情があるらしい。
うん。
嫌な予感しかしない。
「もしかして、上から?」
「……」
答えはなかったが、その沈黙が何より雄弁だった。
帝国では、沈黙にも税がかかるのではないかと思うくらい情報量が多い。
「なるほど」
ジルベルト殿下。
あなた、やっぱり暇なんですね。
「一応、理由は修繕だ」
「修繕」
「ああ。だが、書類もちゃんとしてた。……役所が言うなら従うしかなくてな」
主人の顔が死んでいる。
宿泊客たちもざわついている。
俺一人を追い出すために宿全体を巻き込んだのなら、迷惑の規模がおかしい。
いや、違う。
たぶんこの程度、皇族にとっては軽い嫌がらせなのだ。
下手をすると、勝手に周囲が意を汲んだだけで、本人は何が起きてるかは知らないまであり得る。
「……俺のせいですね」
「ロビンくんのせいじゃねぇよ」
良い人だ。
すごく良い人だ。
この宿、建物は古いが主人は良い。
「だが、その、あんたの荷物は無事だ。部屋にも誰も入れてないし、俺が預かっておいた」
「ありがとうございます」
「本当にすまねぇ。返金もする。今日の分と、前払いしてた分も全部」
「いえ、それは」
「受け取ってくれ。こっちの気が済まねぇ」
主人が硬貨が詰まった小さな袋を押しつけてくる。
こういう時、受け取らない方がかえって相手を困らせることがある。
「では、ありがたく」
「ああ。……あと、悪いことは言わねぇ。今晩は知り合いのところに行け。別の宿を取ろうにも、変な邪魔が入るかもしれねぇ」
「ですよね」
ですよね、ではない。
俺一人が嫌がらせを受けるならまだいい。
いや、よくはないが対処できる。
だが、宿の主人や、他の宿泊客まで巻き込まれるのは違う。
しかも、俺が別の宿に移ったとして、同じことが起きない保証はない。
むしろ、起きる気しかしない。
次の宿。
その次の宿。
俺が移るたびに、宿屋が迷惑を受ける。
それは嫌だ。
俺が第七皇女殿下の秘書官になったせいで、宿が迷惑を受けている。
そう考えると、胃のあたりが重くなった。
「ロビンくん、これだ」
主人が確保しておいてくれた鞄を受け取る。
中身は多くない。
数着の着替え。
筆記具。
教会でもらった身元証明書の写し。
旅の途中で買った安い外套。
あとは、借り物の読みかけの本が一冊。
「よし、お世話になりました」
「落ち着いたら、飯だけでも食べに来てくれ」
「修繕が終わったら?」
「ああ。修繕が終わったら」
二人で苦笑いをして、軽く手を振り、宿を離れる。
……少しだけ迷ってから、皇城の方へ足を向けた。
……たぶん、殿下とリズはこの事態予想してるし。
ああ。
おいしいごはんが遠ざかっていく。
冷たいエールも遠ざかっていく。
ジルベルト殿下。
この恨み、食事一回分くらいは覚えておきます。
◇
皇城の門番は、俺の顔を見ると少しだけ目を丸くした。
「おや。第七皇女殿下の秘書官殿ではありませんか」
「お疲れ様です」
「先ほど、帰られましたよね?」
「はい」
「そして今、鞄を持って戻ってこられた」
「……はい」
門番が一瞬、遠い目をした。
「……皇城勤めは大変ですね」
「本当に」
心の底から同意した。
「どうぞ。実は第七皇女宮から話が通っております」
「話が通っている?」
「はい。もしも戻られたらそのまま通すようにと」
「……誰から?」
「リーゼロッテ殿からです」
ほらな。
門番に礼を言い、第七皇女宮へ向かう。
執務室の前まで来て、軽く息を整えた。
コンコン。
「入りなさい」
「失礼します」
扉を開ける。
中は殿下とリズがいた。
「おかえり、ロビン」
メイド服姿のままだったリズが、当然のような顔でそう言った。
「ただいま……でいいの?」
「いいんじゃない?」
「よくない気がする」
「細かいわね」
細かいのだろうか。
宿を追い出されて職場に来てリズと漫才している自分が不思議でならない。
「宿に何があったの?」
すでに、「本日は営業終了です」とでも言いたげな気の抜けた格好に着替えていたエレオノーレ殿下が、長椅子に横になったまま聞いてくる。
脚ぱたぱたさせるのやめてください。
裾がひらひら危ないです。
「急遽、役所の点検で修繕命令が下り、しばらく使えない、と」
「なるほどねぇ」
殿下は表情を変えずに菓子をかじった。
もぐ。
「殿下」
「なに?」
「予想していましたよね?」
「していたわ」
「教えてくださいよ」
「リズに準備はさせておいたわよ?」
リズを見ると、にこにこしながら一枚の紙と何かの鍵を差し出してきた。
怖い。
「はい、これ。使用人宿舎に部屋を確保してあるわ」
やっぱりそういう流れかー。
「早い」
「こういうことは早さが大事よ」
「俺が戻ってこなかったら?」
「教会に使いを出す予定だったわ」
「なんでそこまで把握してるの?」
「秘書官の安全管理」
「監視では?」
「安全管理」
押し切られた。
安全管理という言葉は便利だ。
たぶん帝国では何でも安全管理で許される。
「ちなみに、宿の主人には後で迷惑料を出すわ」
殿下が少しだけ静かに言う。
「よろしいのですか?」
「うちの問題に巻き込んだもの」
だらけた姿勢のままだが、その一言には皇族らしい重みがあった。
ありがたい。
「ありがとうございます。主人も助かると思います」
「あなたが礼を言うことじゃないわ」
「いえ、俺が泊まっていた宿なので」
「そう。……まあ、うちの使用人宿舎はそこらの宿より寝具がいいわ」
「安心するポイントがそこなんですか?」
「大事よ。睡眠の質は仕事の質に関わるわ」
「それはそうですが」
「あと、食堂もある」
「食堂」
「今日のところは食堂でご飯を食べて、寝なさい」
言い方が雑。
だが、ありがたい。
住む場所を失ったその日に、寝床と食事が確保されるのは普通にありがたい。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
殿下が少しだけ満足そうに頷く。
その顔が、昨日焼き菓子をくれた時と少し似ている気がした。
この人、意外と世話を焼くのが嫌いではないのかもしれない。
「じゃ、案内してあげる。行くわよ、ロビン」
「よろしく、リズ。……おやすみなさい、エレオノーレ殿下」
「……ええ、おやすみ」
リズが笑う。
エレオノーレ殿下も少し笑ってくれた。
俺は鞄を抱え直し、リズの後について部屋を出る。
廊下の魔導灯は柔らかく、夜の皇城は静かだった。
ジルベルト殿下には腹が立つが、エレオノーレ殿下とリズは、ちゃんと俺の心配をしてくれていた。
……うん、二人には感謝しなきゃな。
まあ、今日は、もう考えるのをやめよう。
亡国の王子、皇城住まい一日目。
とりあえず今日は、ご飯を食べて寝ることにする。
「ちなみに隣の部屋は私だから」
「え?」




