第69話:鳴り響く双鐘と、暴かれた糸引き
第69話:鳴り響く双鐘と、暴かれた糸引き
数十万の砂漠の民を受け入れた『大移民計画』から数週間。
『深緑の無名奈落』は、かつてないほどの活気と安定に包まれていた。新たな労働力によって迷宮都市は昼夜を問わず拡大を続け、もはや一つの巨大な地下帝国として完全な機能を発揮していた。
——だが、平和な時間は突如として切り裂かれた。
『ピリリリリリッ!!』
『ギュルルルルルッ!!』
迷宮第6層、マスターズ・チェンバー。
円卓の中央に設置された同盟国との「緊急通信用水晶」が、二つ同時に、耳をつんざくような警戒音と共に激しく明滅し始めたのだ。
一つは、エルフの里を示す【翠緑の水晶】。
もう一つは、獣人連邦を示す【琥珀の水晶】であった。
「なんだ!? エルフと獣人から、同時に緊急通信だと!?」
シンが眉をひそめ、即座に通信を開く。円卓に、エルフの女王と、獣人連邦のガラン将軍の切迫した立体映像が浮かび上がった。
『シン殿! 緊急事態です! 我が獣人連邦の南の国境に、隣国である「ドガ公国」の大軍が突如として侵攻してきました!』
『こちらもです、シン様! 大樹の森の西の国境に、隣国「アルテア王国」の軍勢が結界を破って雪崩れ込んできました!』
二つの同盟国からの、同時多発的な侵攻の凶報。
同席していたエルフの使節長リリアと、獣人のザイードが血相を変えて立ち上がった。
「馬鹿な! ドガ公国とは不可侵条約を結んでいるはずだぞ!」
「アルテア王国も、我がエルフの里とは長年良好な交易関係にあったはずです! なぜ突然……!」
「落ち着け、二人とも」
シンは手で幹部たちを制し、通信の向こうの二人に鋭く問いかけた。
「現在の戦況は? 突破されたのか?」
『いえ。幸いにも、ドラン殿から提供された魔導武具のおかげで、国境の砦でギリギリ防衛線を維持し、現在は睨み合いの【膠着状態】に入っています。……しかし、敵の様子が異常なのです』
ガラン将軍が、忌々しげに牙を剥き出しにして唸った。
『ドガ公国の兵士たちからは、一切の「生気」が感じられません。まるで痛みを忘れ、何かに操られているかのように、無言で狂ったように突撃を繰り返してくるのです。……このままでは、防衛線が抜かれるのも時間の問題かと』
「……なるほど。状況は分かった。両国とも、絶対に砦から討って出るな。俺たちがすぐに最高戦力の援軍を送る」
シンはそう力強く告げ、通信を切った。
静まり返るマスターズ・チェンバー。
二つの隣国が、全く同じタイミングで、自国の意志を持たないような狂気の軍隊を率いて同盟国へ侵攻してきた。
これが偶然であるはずがない。
「……臭うな。あまりにも不自然だ」
シンは円卓に両肘を突き、顎に手を当てた。
「ただの領土的野心じゃない。意図的に『俺の同盟国』を狙い撃ちにし、同時に火種を撒いて俺たちの戦力を分散させようとしている奴がいる。……ミラージュ!」
シンが声を張り上げると、円卓の影から、灰色の外套を羽織った諜報長官・ミラージュが音もなく姿を現した。
「この二つの国で何が起きているか、裏を探れ。怪しい動きをしている国や組織の洗い出し——」
「——既に、情報収集と裏付けはすべて完了しております、我が主」
シンの指示が終わる前に、ミラージュは極めて涼しい、平坦な声で即答した。
「は……? もう終わってるのか?」
「はい。我が眷属の狐たちと、大陸中に張り巡らせた情報網が、開戦と同時に『不自然な魔力の流れ』を特定いたしました。……今回の同時侵攻、黒幕は間違いなく『聖王国ルシリス』の残党(狂信派)です」
「聖王国だと!?」
レオンハルトが驚愕の声を上げた。
「奴らは宝物庫を空にされて経済封鎖を受け、国内の暴動で手一杯のはずだぞ! 他国を動かすほどの金も余力も残っていないだろうが!」
「ええ。表向きの軍事力は完全に麻痺しています。だからこそ、彼らは『金』ではなく『洗脳と狂信』という最悪の手札を切ったのです」
ミラージュは円卓に数枚の報告書を広げた。
「聖王国の狂信派は、ドガ公国とアルテア王国の中枢に潜伏させていた暗殺者を動かし、穏健派の王族を密かに暗殺。そして、残された軍の上層部に『異端審問の洗脳魔法(精神操作)』を施し、無理やり実権を掌握しました」
「洗脳魔法……。だから兵士たちが狂ったように突撃してきているのですね」とリリアが息を呑む。
「その通りです。聖王国の狙いは、洗脳した隣国を使ってエルフと獣人を滅ぼし、その豊かな資源を掠め取って自国の経済を立て直すこと。そして同時に、彼らを不当に封じ込めた憎き『深緑の無名奈落』の同盟国に、痛烈な復讐を果たすための【代理戦争】なのです」
ミラージュの完璧すぎる状況分析と真相の解明に、幹部たちは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
もしこの情報がなければ、彼らは目の前の敵国を憎み、無用な殺し合い(全面戦争)に巻き込まれていたことだろう。黒幕の存在を瞬時に暴き出したミラージュの「眼」は、もはや迷宮にとって絶対に欠かせない防壁であった。
「……腐っても大国。自分の手は汚さずに、洗脳した他国同士を殺し合わせるか。ヘドが出るな」
シンの声は低く、静かな怒りに満ちていた。
罪のない同盟国の民と、洗脳されて無理やり戦場に立たされている隣国の兵士たち。その両方の命を玩具にする聖王国のやり方は、彼が最も嫌悪するものだった。
「状況は完全に把握した。これより、黒幕の目論見を根本から叩き潰す対策会議に移る!」
シンが立ち上がると、幹部たちの目にも一斉に闘志の火が点った。
「相手は洗脳された操り人形だ。普通に戦えば、こちらにもあちらにも莫大な死傷者が出る。……俺たちは『一人の死者も出さずに』この暴走を止め、その上で黒幕の喉首を掻き切るぞ」
「ふふっ。ならばマスター、私の出番ですな」
白衣を羽織った異端の学者・ファウストが、片眼鏡をギラリと光らせて前に出た。
「我が師の『科学』の授業で得た知識を応用し、広範囲の敵の意識だけを刈り取る『窒息・睡眠の複合魔法』が完成しております。密集した軍隊の動きを止めるなど、瞬きする間に終わらせてご覧に入れましょう」
「おお! 俺たち暗殺部隊の出番もあるぜ!」
ザイードが双剣をチャキッと鳴らす。
「敵の軍の後方にふんぞり返ってる『聖王国の洗脳神官』どもを、俺とクロウ、ミラージュの部隊でピンポイントに暗殺すれば、操り糸は完全に切れるって寸法だ!」
「エルフの森の防衛は、私とエルダー・トレント殿にお任せください。大樹の根で大地の形を変え、敵軍を無傷で完全に包囲・拘束してみせます」とリリアも力強く頷く。
正面からの武力衝突を避け、科学魔法による広範囲無力化、古代樹による地形拘束、そして諜報部隊による黒幕のピンポイント暗殺。
シンの迷宮が誇る「最強のスペシャリスト」たちの力を完璧に噛み合わせた、一滴の血も流させない『究極の鎮圧作戦』が、またたく間に組み上げられていく。
「——作戦は決まったな」
シンは円卓の地図を力強く叩いた。
「同盟国に手を出した代償は、高くつく。……聖王国の狂信者どもに、俺たちの本当の恐ろしさを骨の髄まで刻み込んでやれ! 全軍、出撃!!」
「「「おおおおおッ!!」」」
マスターズ・チェンバーを震わせる、頼もしい幹部たちの雄叫び。
絶体絶命の危機を「完璧な情報」によって完全にひっくり返したシンの陣営は、愚かなる黒幕に引導を渡すべく、怒涛の反撃へと打って出るのであった。




