第66話(閑話):異端学者の狂熱と、魔法のブレイクスルー
### 第66話(閑話):異端学者の狂熱と、魔法のブレイクスルー
『深緑の無名奈落』新第6層の最奥に新設された、巨大な『大魔導研究室』。
この迷宮の新たな頭脳として迎え入れられた異端の魔導学者・ファウストは、移住してからの数週間、睡眠時間すら惜しむほどの「狂熱のルーティン」に身を投じていた。
午前八時。
「……ふん。聖王国の国宝『火竜の杖』だと? 魔力回路の構築が甘すぎる。魔力の三割が熱として外に漏れ出しているではないか。非効率の極みだ」
ファウストは、レオンハルトたちが強奪してきた聖王国の魔導具の山を前に、ブツブツと文句を言いながら猛スピードで解体作業を行っていた。
かつての彼であれば、国宝級の遺物を前にすれば数ヶ月はかけて慎重に解析を行っていただろう。だが今の彼は、迷宮の蟻人たちが掘り出した純度100%のオリハルコン製の極小ピンセットと、水精の純水を用いた完璧な冷却システムを使い、ものの数分で魔導具のコア(術式)を丸裸にしていく。
「この結界具の術式は、セレン殿の絶対防壁の補助システムとして組み込めるな。……よし、午前のノルマは終わりだ! 急がねば!」
ファウストは昼食のサンドイッチを水で流し込むと、身なりを整え、食い入るように部屋の扉を見つめた。
午後一時。
「よっ。今日も解析お疲れさん、ファウスト。調子はどうだ?」
「お、お待ちしておりました! 我が師!!」
研究室を訪れたシンを見るなり、気難しき異端の学者は、まるで神を崇める狂信者のように深く平伏した。
彼にとって、一日のうちで最も至福であり、魂が震える時間——シン直々の『別の宇宙の真理(科学)』の授業の始まりである。
「今日は約束通り、『化学』の基礎、その中でも『燃焼』と『酸化反応』について教えよう。……ほら、今日の分のテキストだ」
シンがDPを消費して具現化したのは、地球の『中学校理科(化学分野)』の教科書と、いくつかの参考書であった。
「おおお……! これが、我が師の故郷の叡智が詰まった魔導書……!」
ファウストは震える手で真新しい教科書を受け取ると、そこに記された図解や数式に瞬時に目を奪われた。
「いいか、ファウスト。あんたたち魔導師は『火の魔法』を使う時、ただ魔力を炎に変えていると思っている。だが、俺の世界の法則では、物が燃える(燃焼する)ためには【可燃物】【酸素】【発火点以上の温度】の三要素が絶対に必要不可欠なんだ」
シンは黒板の代わりとなる空中の光のボードに、魔力で文字を描き出す。
「例えば、炭素(C)が完全燃焼して二酸化炭素(CO_2)になる時の化学反応式は、こう表される」
「この時、物質が結びつく過程で莫大な『熱エネルギー』が放出される。魔法で火を生み出す時も、ただ魔力でゴリ押しするんじゃなく、周囲の『酸素(O_2)』を魔力でかき集めて効率よく反応させてやれば、威力は爆発的に跳ね上がるはずだ」
「酸、素……! 目に見えぬ気体の中に、炎を助ける『助燃性』を持つ物質が存在していると……!? だから風の魔法を火に当てると威力が上がるのか! なんという論理性! なんという美しさだ!!」
ファウストは片眼鏡をズレさせながら、羽ペンが折れんばかりの勢いで猛烈にノートに書き込んでいく。
未知の法則、完璧な数式、世界の成り立ちを原子レベルで解き明かす科学の概念。それらは彼の知的好奇心を無限に刺激し、完全に虜にしていた。
***
午後九時。授業を終えたシンが退出した後も、ファウストの狂熱は冷めやらない。
就寝までの数時間、彼はDPで生成された教科書をボロボロになるまで読み込み、自身の魔法理論との「すり合わせ(復習)」を行っていた。
「……信じられん。我々はこれまで、何という無駄な魔力の使い方をしてきたのだ」
ファウストは頭を抱え、歓喜と後悔の入り混じった声を漏らした。
「これまでの『火炎球』は、純粋な魔力そのものを熱源と燃料に変換して飛ばしていた。だから高威力を出すには莫大な魔力が必要だったのだ。……だが、我が師の教えによれば、魔力はあくまで『最初の火種(温度)』と『空気中の酸素を集めるプロセッサ』として使えばいい!」
ファウストの脳内で、これまでの常識を根本から覆す、全く新しい魔法の術式が組み上げられていく。
「さらに、このテキストに書かれている『粉塵爆発』の概念……! 可燃性の微粒子を空中に散布し、そこに最適化された酸素濃度と火種を与えれば……ふ、ふふっ。ふははははっ!!」
深夜の研究室に、狂気に満ちた天才の笑い声が響き渡った。
***
翌朝。第4層の広大な防衛演習場。
「おい学者先生。マスターの授業を受けて、すごい魔法を思いついたって聞いたが……本当かよ?」
腕を組んだレオンハルトと、ザイードたち幹部が見学に訪れる中、ファウストは演習場の中心に立ち、不敵に笑った。
「刮目するがいい、脳筋の戦士ども。これが我が師の叡智と魔法が融合した、真理の炎だ」
ファウストは杖を構え、これまで「初級魔法」を撃つ程度の、ごくごく微弱な魔力だけを練り上げた。
しかし、その魔力の「使い方」が根本的に異なっていた。彼は魔力を熱に変換するのではなく、前方に『極めて微細な可燃性の粉塵(炭素粉末など)』を散布し、同時に周囲の空気中から『酸素』だけを術式で一箇所に極限まで圧縮・混合させた。
可燃物、酸素、そして発火点。
完璧な「燃焼の三要素」が揃った空間に、最後にほんの小さな魔力の火種を投げ込む。
「——『指向性・熱力学爆破』!!」
カッ……!!
その瞬間、音が消えた。
直後、太陽が地上に顕現したかのような閃光が走り、演習場の巨大な岩山をも丸ごと消し飛ばすほどの『超絶的な大爆発』が巻き起こった。
凄まじい爆風と熱波が防護結界を激しく揺さぶり、レオンハルトたちは慌てて地面に伏せた。
「な、なんだァッ!? 今の一撃、帝国軍の攻城魔法の数十倍の威力だぞ!?」
「ありえねえ! あのおっさん、今、初級魔法くらいの魔力しか使ってなかったぞ!」
濛々(もうもう)と立ち込めるキノコ雲を見上げながら、幹部たちは信じられないものを見る目で絶叫した。
魔力消費量に対する威力の絶対的な矛盾。それこそが、科学(エネルギーの最適化)を取り入れた魔法の究極の進化であった。
「はっはっはっは! 見たか! これが真理だ! これが我が師がもたらした宇宙の法則だ!」
ファウストは黒焦げになった演習場の跡地を見下ろし、狂気と歓喜に満ちた高笑いを上げた。
異世界のチート知識である『科学』。
それを誰よりも深く理解し、魔法という出力装置で完璧に再現できる天才の加入により、シンの迷宮の軍事力と技術力は、もはやテラ・マグナ大陸の常識では絶対に計り知れない「神の領域」へと、確実な足を踏み入れたのであった。




