第58話:頑固職人とオリハルコン、そして空っぽの街
第58話:頑固職人とオリハルコン、そして空っぽの街
西の自由都市。表向きは活発な交易で栄えるこの街にも、陽の当たらない薄暗い貧民街が存在する。
その裏路地の最奥から、カーン、カーンと、重く規則正しい槌音が響いていた。
「……帰れ。俺は、人殺しのための剣は打たんと言っているだろうが」
煤にまみれた工房で、赤熱する鉄を打っていた筋骨隆々のドワーフ——最高峰のルーンスミスであるドランは、背後に現れた二つの影を振り返りもせずに吐き捨てた。
彼のもとには日々、その腕を見込んだ傭兵や悪徳商人が武器の発注に訪れる。だが、聖王国の兵器開発を嫌って出奔した彼は、どれだけ金を積まれても決して首を縦に振らなかった。
「相変わらずの頑固ぶりですね、ドラン殿。私ですよ、ガストンです」
「ん……? 辺境のギルドマスターか。お前、死んだと聞いていたが」
ドランが手を止め、怪訝な顔で振り返る。そこに立っていたのは、かつての知己であるガストンと、目深にフードを被った人間の青年だった。
「俺はこいつの主のシンだ。あんたの極上の腕をスカウトしに来た」
シンはフードを脱ぎ、ドランの前に進み出た。
「ふん。ギルマスの紹介だろうと関係ねえ。兵器を作る気は……」
「剣はいらない。俺が欲しいのは、絶対に刃こぼれしない『鍬』や、火加減を自動調節する『魔導鍋』、それに迷宮都市を支える『絶対に崩れない建築資材』だ」
「……なんだと?」
シンの言葉に、ドランの太い眉がピクリと動いた。
「俺の国は今、どんどん領土(階層)が広がって、新しい農業や街づくりが急ピッチで進んでいるんだ。住人たちが安全に、笑顔で暮らすための『平和の道具』を打つ職人のトップが欲しい」
ドランはシンの目をじっと見つめた。その瞳に嘘や血の匂いがないことを感じ取ったが、それでも彼は鼻を鳴らした。
「……口で言うのは簡単だ。だがな、日用品に魔力を付与(ルーン刻印)するには、それに耐えうる極上の素材がいる。今のこの街じゃ、クズ鉄しか手に入らねえ」
「素材なら、うちの迷宮に腐るほどあるぞ」
シンはアイテムボックスに手を入れると、無造作に「ある物」を取り出し、作業台の上にドンッと置いた。
「ほら、手土産だ。とりあえずこれで、最高の農具を一振り打ってみてくれよ」
「……は? こ、これは……ッ!?」
それを見た瞬間、ドランの目が文字通り飛び出さんばかりに見開かれた。
作業台の上に置かれていたのは、大人の頭ほどもある、眩い魔力光を放つ蒼銀の鉱石——『純度100%のオリハルコンの原石』であった。しかも、その表面には『鋼断の蟻人』たちが噛み砕いた際に付着した、微かな強酸と魔力の痕跡(天然の焼き入れ効果)が残っている。
「オ、オリハルコン!? しかも、なんちゅう純度だ! それにこの硬度と魔力の馴染み具合……国宝級の武具を打つための伝説の鉱石じゃねえか! こ、これで農具を打てだと!?」
「ああ。うちの地下を掘ってる蟻どもが、毎日これを掘り出しておやつにしてるからな。足りなきゃいくらでも出すぞ」
「おやつゥ!?」
ドランは震える手でオリハルコンを撫で回し、ワナワナと唇を震わせた後——深々とシンの前に土下座した。
「……行かせてくだせぇ! こんな極上の鉱石で好きに道具を打てるなら、魂ごとアンタの迷宮に捧げまさぁ!!」
あっけない陥落。最高の素材という抗いがたい暴力の前に、ドワーフの職人魂は完全に敗北した。
だが、立ち上がったドランは、ふと何かを思い出したように気まずそうな顔をした。
「……あの、シン様。一つだけ、どうしてもお願いしたいことがありまして」
「ん? なんだ、待遇の希望か?」
「いえ。実はこの貧民街には、俺と同じように聖王国の非道な研究や兵器開発から逃げてきた『はぐれ者』たちが隠れ住んでるんです。毒の精製を拒否した錬金術師や、拷問部屋の設計を拒んだ建築家たち……合わせて五十人ほどです。俺だけが彼らを置いて、楽園に行くわけには……」
申し訳なさそうに身を縮めるドラン。
しかし、その言葉を聞いたシンの顔は、パァァッ!と悪魔のように明るく輝いた。
「マジか!? 錬金術師に建築家だと!? なんだその最高の技術者集団は!」
「え?」
「置いていくなんてとんでもない! 俺の迷宮の『第6層(都市区画)』の拡大には、そういう各分野のスペシャリストが喉から手が出るほど欲しかったんだ! 全員まとめて引き受ける! 今すぐ荷物をまとめさせろ!」
ドランからの「足枷」とも言える申し出は、シンにとっては「SSR確定の連続ガチャ」に等しい大盤振る舞いであった。
シンが二つ返事で快諾すると、ドランは涙を流して感謝し、すぐさま裏路地の仲間たちに招集をかけた。
その日の深夜。
シンが展開した巨大な転送魔法陣により、ドランを含む五十名以上の「各分野の超一流スペシャリスト」たちは、誰にも気づかれることなく、貧民街から『深緑の無名奈落』へと集団移住を果たしたのであった。
***
そして、翌朝。西の自由都市。
「おいドワーフ! 昨日発注した粗悪品の剣はできてるだろうな! さっさと納品……あ?」
貧民街の工房の扉を蹴り破った悪徳商人は、中がもぬけの殻になっているのを見て呆然とした。
さらに、時を同じくして、街のあちこちから悲鳴のような報告が相次いだ。
「だ、旦那様! 地下工房の錬金術師たちが消えました! 彼らが調合していたポーションがないと、我が商会は——」
「こちらの大工衆もです! 聖王国から流れてきた腕利きの設計士が一人残らず姿を消しました! 現在建築中の砦の工事が完全にストップしてしまいます!」
「な、なんだとォォッ!?」
自由都市の悪徳商人や裏社会の元締めたちは、顔面を蒼白にして頭を抱えた。
彼らは、国を追われた訳ありの技術者たちの足元を見て、タダ同然の安月給でこき使い、莫大な利益を貪っていたのだ。
その「金の卵を産む鶏」たちが、一夜にして一羽残らず消滅してしまった。
「探せェッ! 這ってでも見つけ出せ! 彼らの技術がなければ、この街の裏の経済は完全に立ち行かなくなるぞォォッ!」
街中を兵士が駆け回り、商人たちが絶望のパニックに陥る中、当然ながらドランたちが見つかるはずもなかった。
彼らはすでに、人間の手が絶対に届かない迷宮の最深部で、極上の素材と完璧な待遇を与えられ、水を得た魚のように目を輝かせて「平和のためのモノづくり」に熱中していたからだ。
己の足元にある宝(人材)の価値を正当に評価できず、不当に搾取し続けた人間国家の愚かな失態。
シンの迷宮は、そうした「不遇の天才たち」を根こそぎ吸い上げることで、技術的にも文化的にも、他国を何世紀も置き去りにするほどの圧倒的な進化を遂げようとしていた。




