第54話(閑話):愚者たちの泥沼と、すり減る命
第54話(閑話):愚者たちの泥沼と、すり減る命
魔導帝国ゼノス、帝都の宮廷魔導観測所。
大深緑の迷い森での大敗、そしてアインガルドでの「空っぽのコア」の回収という立て続けの失態により、筆頭魔導師ゾルタンは皇帝からの最後通牒を突きつけられ、文字通り後がない状況に追い込まれていた。
「……見つけたぞ。見つけたぞォォッ!」
血走った両目で観測盤を睨みつけていたゾルタンが、狂気を孕んだ歓声を上げた。
「南の岩山地帯から、国境の砦に向けて多数の『使い魔』や『監視の魔法眼』が放たれている! 先日、国境付近で謎のスタンピードが起きたことで、魔物どもは過敏になっているのだ! その粗悪な監視魔法の魔力の糸を逆探知し、発信源を完全に特定した!」
ゾルタンが指差した先には、強大な魔力溜まりの反応が赤々と点滅していた。
「アインガルドのような枯渇した空き家ではない。これは莫大な魔力を秘めた、正真正銘の『生きている大迷宮』だ! ……第零魔導重装兵団、ならびに宮廷魔導師の全力をもって出撃せよ! 何としても、あの生きたコアを帝都へ持ち帰るのだ!」
保身と執念に駆られた帝国の総力は、新たな獲物を求めて猛然と動き出した。
***
時を同じくして。
南の岩山地帯の地下に広がる、『暴食の狂宴』の一角——黒曜の牛頭鬼のマスターが統べる『断砕の斧迷宮』。
「……チッ。総帥の命令だから人間どもの監視などというチマチマした真似をしているが、性に合わん」
玉座に座る漆黒の巨大な牛頭鬼は、苛立たしげに巨大な戦斧を床に叩きつけた。
新参者の迷宮の異常な攻略スピードに恐れをなした総帥の命令で、彼らは現在、人間国家への監視にリソースを割いていた。だが、彼らはもともと武力による蹂躙しか脳にない戦闘狂の集まりである。彼らの放つ隠密魔法はあまりにも雑で、魔力の痕跡がダダ漏れだったのだ。
ズドォォォォォォンッ!!!
突如、迷宮全体を揺るがす凄まじい爆発音が響き渡り、第1層の入り口の天井が崩落した。
「な、何事だァッ!?」
『マ、マスター! 人間です! 帝国の魔導兵の大軍が、入り口の防壁を攻城魔法で吹き飛ばして侵入してきました!』
「魔導帝国だと!? クソッ、監視の魔力を辿られたか! ええい、構わん、迎撃しろ! 迷宮内の狂戦士どもをすべてけしかけ、鎧ごとミンチにしてしまえ!」
牛頭鬼のマスターの号令により、迷宮に巣食う数万の牛頭鬼やオークの狂戦士たちが、血走った目で一斉に侵入者へと襲い掛かった。
——ここから始まったのは、シンのような知略も、奇襲も存在しない、ただ純粋で醜い「力と力の潰し合い」であった。
「撃てェッ! 前衛の盾を崩すな、後衛は爆炎魔法を一斉掃射しろ!」
帝国軍は犠牲を厭わず、狭い地下通路で広範囲の殲滅魔法を連発した。魔物の肉片が飛び散り、迷宮の壁が焼け焦げる。
しかし、ダンジョンの地の利は魔物側にある。通路の床が突然開き、酸の海へ帝国兵が飲み込まれ、天井からは巨大な鉄球が降り注ぎ、重装兵を鎧ごとトマトのように押し潰す。
「ギャアァァッ! 罠だ、後退——」
「退く者は斬る! 前進あるのみだ、コアを手に入れなければ我らに明日はないぞ!」
指揮官の狂気じみた怒号に背中を押され、帝国軍は死体の山を踏み越えて無理やり第2層へと歩を進める。
「ええい、人間どもめ、しぶといぞ! 防衛網を再構築しろ! 死んだ魔物たちをDPで即座に蘇生させ、もう一度ぶつけろ!」
玉座の間で、牛頭鬼のマスターもまた血の涙を流していた。
帝国軍の飽和攻撃により、迷宮の罠と壁は次々と破壊されていく。それを修復し、倒された魔物を復活させるためには、莫大なDP(魔力)を消費しなければならない。
彼のダンジョンコアは、猛烈な勢いで蓄積した魔力を吐き出し続け、その輝きを急速に失いつつあった。
***
激戦は、丸三日三晩に及んだ。
その結末は、両者にとってあまりにも凄惨で、虚しいものであった。
「……撤退、だ。これ以上は……全滅する……」
迷宮の第2層の最奥。血と泥にまみれ、右腕を失った帝国の指揮官が、絶望に満ちた声で撤退の命令を下した。
数万の精鋭を誇った第零魔導重装兵団は、その兵力の『七割』を失っていた。最深部へ向かうための扉をこじ開けるだけの魔力も、兵士の体力も、もはや微塵も残されていなかった。
無数の死体を迷宮に置き去りにしたまま、帝国軍は這うようにして地上へと逃げ帰っていった。
「……ハァ、ハァ……。ざまぁみろ、人間どもめ……」
玉座に座る牛頭鬼のマスターは、撤退していく人間たちの姿を水晶越しに見つめながら、力なく笑った。
だが、彼の迷宮もまた「死に体」であった。
迷宮の第1層から第2層にかけては、帝国の魔法によって完全に更地となり、修復不可能なほど地脈が破壊されていた。そして何より、防衛のためにDPを湯水のように使い果たした結果、彼のコアは干からびた石ころのように黒く変色し、魔物の再召喚はおろか、マスター自身の肉体を維持する魔力すら枯渇寸前に陥っていたのだ。
「……クソッ。なぜだ。なぜ、私がこんな目に遭わねばならんのだ」
牛頭鬼のマスターは、暗く冷たくなった玉座の間で一人、呪詛を吐き捨てた。
「あの新参者さえ……あの忌まわしい『深緑の無名奈落』さえいなければ、我々が人間どもに怯えて監視などする必要もなかったのだ! おのれ、おのれェェェッ!」
シンの迷宮が行った「数時間、死者ゼロ」での完全制圧。
それと対比するように繰り広げられた、帝国と暴食の狂宴による、何も生まない泥沼の殺し合い。
古い常識と力に固執する者たちは、シンの姿を見ることすら叶わぬまま、勝手に互いの首を絞め合い、歴史の表舞台から静かに、そして確実に脱落していくのであった。




