第50話(閑話):狂宴の落日と、見当違いの矛先
第50話(閑話):狂宴の落日と、見当違いの矛先
血と腐肉の匂いが立ち込める、溶岩の洞窟。
戦闘狂のダンジョンマスター派閥『暴食の狂宴』の円卓は、かつてないほどの重苦しい沈黙と、底知れぬ冷気に支配されていた。
十五脚あったはずの豪奢な椅子のうち、実に三分の一にあたる「五脚」が、無惨に砕け散り空席となっている。
わずか数日前まで、彼らは自分たちがこの大陸の裏の覇者であると信じて疑わなかった。だが今、残された十人のマスターたちの顔に浮かんでいるのは、傲慢な笑みではなく、理解不能な事態に対する「明らかな恐怖」であった。
「……蝙蝠よ。もう一度、報告してみろ」
円卓の最奥に座る巨大な黒い影——派閥の総帥が、怒りよりも疲労が滲む声で促した。
「はっ……。雷の獅子、猛毒の蟷螂、不死者の王の三名ですが……全滅です。迷宮のコアは奪われ、本人たちも完全に消滅いたしました」
情報収集を担う蝙蝠のマスターが、恭しく頭を下げる。
「三名が迷宮の扉を開き、十万の魔物による暴走を引き起こした直後、地上にはすでに『人間国家の完璧な迎撃網』が敷かれていました。軍隊、傭兵、聖騎士団。彼らはまるで、我々の作戦とルートを『事前に知っていた』かのように待ち構え、魔物の大軍を迷宮の入り口に釘付けにしたのです」
「……っ。なぜだ! なぜ人間どもに我々の極秘作戦が筒抜けになっていた!」
一つ目巨人のマスターが、耐えきれずに怒鳴り声を上げた。
「分かりません。そして真の悲劇は、その裏で起こりました」
蝙蝠のマスターは言葉を区切り、わざとらしいほど深刻な声音で続けた。
「主力である十万の魔物が外に釘付けにされている隙に、新参者の迷宮——『深緑の無名奈落』の精鋭部隊が、手薄になった三つの迷宮の内部へ侵入。最短距離で最深部へと到達し、三人のマスターの首を跳ね飛ばしたのです。……侵攻開始から討伐までにかかった時間は、前回よりもさらに短い、わずか『数十分』の出来事でした」
数十分。
その単語が響いた瞬間、円卓のマスターたちは一斉に息を呑み、再び完全な沈黙に陥った。
前回の二箇所同時陥落の「数時間」ですら異常だったのだ。それが今回は、罠も防壁も関係なく、マスターの命に直接刃を突き立てるまで数十分。それはもう、戦争や迷宮攻略という次元ではない。彼らの目には、新参者の迷宮が「自分たちを一方的に刈り取る死神」のように映っていた。
「……あり得ん。情報が漏れていたこともそうだが、あの新参者の戦力は底なしなのか? 三箇所へ同時に潜入させるだけの手駒が、まだ残っていたというのか……!」
戦闘狂たちの口から出るのは、戦意ではなく弱音だった。
それを見た総帥は、重々しい溜息をつき、静かに告げた。
「……あの新参者の迷宮への侵攻および報復は、当面の間『完全凍結』とする」
「そ、総帥! しかし、それでは我ら『暴食の狂宴』の面子が……!」
「面子で腹が膨れるか!」
総帥の一喝が、溶岩の洞窟を揺らした。
「よく考えろ。我々は十五人という『数の暴力』があったからこそ、少数の古参ども——『悠久の賢人会』の五人を牽制できていたのだ。それが、わずか数日で十人にまで減らされた。この意味が分かるか?」
その言葉に、マスターたちはハッと顔を見合わせた。
そう、派閥のパワーバランスの崩壊である。
「今、我らの戦力は危険水域にまで低下している。この隙を、あの狡猾な『悠久の賢人会』の連中が見逃すはずがない。奴らが我々の弱体化を悟り、一斉に牙を剥いてくれば、我々はこの大陸から完全に駆逐されるぞ!」
「た、確かに……! 新参者にかまけている場合ではありません!」
「ええ。それに、今回のスタンピードの情報漏洩……あれも、人間国家に独自のネットワークを持つ賢人会が噛んでいる可能性があります!」
マスターたちは、総帥の言葉に完全に同調した。
底知れぬ力を持つ新参者への恐怖から目を逸らすように、彼らは本来の敵である『悠久の賢人会』と『人間国家』へと、強引にヘイトの矛先を向け直したのだ。
「全迷宮に告ぐ。新参者の森には近づくことすら禁ずる。……それよりも、人間国家に対する監視網を限界まで強化し、情報漏洩のルートを特定しろ。そして、『悠久の賢人会』の五人に対する防衛線を徹底的に構築するのだ。奴らの奇襲に備えよ!」
「「「御意!!」」」
重苦しい円卓に、的外れな決意の叫びが響き渡る。
その滑稽な光景を、円卓の隅で一人、蝙蝠のマスターだけが内心で冷笑しながら見つめていた。
(ククク……愚かな。愚かすぎるぞ、お前たちは)
蝙蝠のマスター——『悠久の賢人会』の内通者は、笑いを堪えるのに必死だった。
彼らはまだ何も知らないのだ。
恐るべき新参者である『深緑の無名奈落』と、彼らが恐れる『悠久の賢人会』が、すでに五分の同盟を結んでおり、彼らを盤上の駒として完璧に遊んでいるという事実を。
そして、人間国家の防衛網すらも、その新参者の手によってコントロールされていたという絶望的な真実を。
(もはや、お前たちに打つ手などない。存在しない幻影(賢人会の奇襲)に怯え、防衛にリソースを割きながら、外堀を埋められて静かに干からびていくがいい……)
十人にまで減り、牙をへし折られた『暴食の狂宴』。
シンの恐るべき知略は、彼らの「闘争心」すらも完全に折り、自滅への道へと歩ませることに成功したのであった。




