第49話:三牙の崩壊と、次なる階層への渇望
第49話:三牙の崩壊と、次なる階層への渇望
聖王国の国境付近、不死者の王の迷宮・最深部。
「ば、馬鹿な……我ら『暴食の狂宴』が、こんな……!」
玉座に座る不死者の王は、己の胸に深々と突き立てられた大剣を見下ろし、信じられないというように呻いた。
「人間たちと外で戯れている隙に、本陣を空にするとはな。王を名乗るには浅はかすぎたな、骸骨野郎」
漆黒の魔導装甲を纏ったレオンハルトは、大剣を一気に振り抜き、不死者の王の頭蓋を粉砕した。主を失った迷宮の奥底で、彼は煌めくダンジョンコアを静かに回収した。
同時刻、商業共和国側の迷宮。
「キキキッ! コノ壁モ美味イゾ!」
猛毒の蟷螂が玉座で外の戦況を眺めていた背後の壁を、『鋼断の蟻人』たちが凄まじい速度で喰い破った。
「ギチィッ!? なんだ貴様らは——」
蟷螂のマスターが鎌を振り上げた瞬間、蟻人たちの影から飛び出したザイードの双剣が、その首を鮮やかに斬り飛ばす。
「壁に守られてるって慢心が命取りだったな、虫ケラ」
ザイードは双剣の血を振り払い、台座から二つ目のコアを掴み取った。
そして、獣人連邦側の迷宮。
「グルアァァッ! 誰だ、どこに隠れている!」
雷の獅子が、玉座の間で盲滅法に雷撃を放ちながら吠え狂っていた。だが、次の瞬間、彼の足元の「影」が歪み、音もなく現れた黒豹の斥候クロウの凶刃が、獅子の心臓を背後から正確に貫いた。
「……同胞を欺き、誇りを汚した代償だ。地獄で後悔しろ」
絶命して崩れ落ちる獅子の巨体を冷徹に見下ろし、クロウは三つ目のコアを手中に収めた。
——三匹の傲慢なるマスターの命は、シンの放った刺客たちの手によって、文字通り「瞬きする間」に刈り取られたのである。
***
迷宮の主が討たれ、コアが回収された瞬間、その影響は地上の戦場に劇的な変化をもたらした。
「な、なんだ!? 魔物たちの様子が……!」
最前線で盾を構えていた聖王国の騎士が、驚愕の声を上げる。
先ほどまで血走った目で人間たちに襲い掛かっていた十万の魔物の群れが、突如として動きを止め、苦しみだしたのだ。
そして、迷宮から供給されていた魔力(DP)との繋がりを絶たれた魔物たちは、端からボロボロと崩れ去り、黒い灰となって風に吹き飛ばされていく。
「消えた……? 魔物の大軍が、跡形もなく……!」
獣人連邦の戦場でも、商業共和国の戦場でも、全く同じ光景が繰り広げられていた。
さらに、彼らが背にしていた敵のダンジョンの入り口そのものも、コアを失ったことで崩落し、ただのただの自然の洞窟へと姿を変えていく。
「……勝った。我々は、たった一人の犠牲者も出さずに、あの忌まわしき魔物の大暴走を完全に食い止めたのだ!」
三つの国の国境で、人間や獣人たちの歓喜の雄叫びが天を震わせた。
だが、各国の首脳陣——ガラン将軍やアルベールたちは理解していた。この「死者ゼロの奇跡的な完勝」は、彼らの実力によるものではない。すべては、あの森の奥に座す『深緑の無名奈落』の主が描いた、完璧な盤上遊戯の結果なのだと。
***
「——見事だ。お前たちのおかげで、森も、同盟国も、完全な無傷で守り抜くことができた」
迷宮第4層、マスターズ・チェンバー。
帰還したレオンハルト、ザイード、クロウを前に、シンは彼らの武勲を心から讃え、円卓に置かれた三つの真紅のコアを見下ろした。
「ルリ。こいつらも全部お前のものだ。存分に喰って、迷宮の礎にしろ」
『はいっ、マスター! いただきます!』
空中に浮かぶルリが三つのコアを一気に吸収すると、迷宮全体が歓喜するように微かな地鳴りを響かせた。
『ピピピッ! 莫大なDPの流入を確認! 階層拡張権限(+3階層)を新たに獲得しました!』
「三階層の追加か。上出来だ」
シンが満足げに頷いたその時、通信用の水晶が輝き、吸血鬼の真祖ヴィクトリアの立体映像が浮かび上がった。
『……信じられませんわ、シン殿。まさか、あの十万のスタンピードを逆手に取り、三人のマスターを同時に討ち取ってしまうとは』
常に余裕を崩さないヴィクトリアの顔にも、隠しきれない驚愕が浮かんでいた。
「報告通り、三つの迷宮は潰した。人間側の被害もゼロだ」
『ええ、賢人会の主たちも言葉を失っておりました。これで「暴食の狂宴」の連中も、おいそれとは手出しできなくなるでしょう。貴方と同盟を結べたこと、我が派閥の歴史においても最良の決断でしたわ』
「そいつは光栄だな。……だが、俺はまだ立ち止まる気はない」
シンは水晶の向こうのヴィクトリアを見据え、口角を上げた。
「今回手に入れたコアの力で、俺の迷宮はさらに『三階層』増設できるようになった。……ヴィクトリア。あんたたち賢人会の情報網で、何か『新たな有用な魔物の噂』はないか?」
『新たな魔物、ですか?』
「ああ。今の防衛力は盤石になったが、迷宮がこれだけ巨大化すると、内部の『環境維持』や『空や水中の防衛』を担う特殊な生態系がもっと必要になる。武力だけじゃなく、生活やダンジョン内の自然環境を豊かにしてくれるような、面白い種族をスカウトしたいんだ」
戦いが終わった直後に、休む間もなく「次の領地開拓と人材登用」へと目を輝かせるシンの姿に、ヴィクトリアは呆れたように、しかし心底楽しそうにクスクスと笑った。
『……本当に、貴方という方は底が知れませんわね。よろしいでしょう。それならば、一つ面白い噂があります』
ヴィクトリアは瞳を細め、妖しく微笑んだ。
『東の果て、かつて滅びた古代の湖の底に、あらゆる水を浄化し操るとされる「水精の歌姫」の一族が眠りについているそうです。彼女たちの力を得れば、迷宮内に巨大な地底湖や水路を築くことも可能かと。……ただ、彼女たちは人間を極度に嫌っており、力ずくでは決して従わないと聞いておりますが』
「水精の歌姫、か。最高じゃないか。迷宮に巨大な湖と温泉街を作るにはうってつけの人材だ」
シンはポンッと手を打ち鳴らし、幹部たちを振り返った。
「聞いたな、お前ら! 次の目的は東の古代湖だ! 迷宮に最高のオアシスを作るための、新しい仲間を口説き落としに行くぞ!」
恐るべき戦闘狂たちとの大戦を無傷で制した直後だというのに、迷宮の主の頭の中は、すでに「次の階層をどうやって魅力的に作るか」という野望でいっぱいであった。
シンの底なしの探求心と経営手腕によって、『深緑の無名奈落』はさらなる未知なる進化の扉を、また一つ開け放とうとしていたのである。




