第41話:深淵からの使者と、真祖の親書
第41話:深淵からの使者と、真祖の親書
大深緑の迷い森、『深緑の無名奈落』の巨大な入り口。
普段は賑わいを見せるその場所が、今日は水を打ったように静まり返っていた。
「……マスター。入り口に、とんでもない『バケモノ』が来ています。敵意は感じませんが……俺が前に出ましょうか」
念話越しに響く迷宮守備隊長レオンハルトの声には、かつてないほどの強い警戒と緊張が滲んでいた。あの帝国や獣人の大軍を前にしても不敵に笑っていた彼が、一人の来訪者に対して冷や汗を流しているのだ。
「いや、俺が直接会う。第4層の迎賓の間に通してくれ」
マスターズ・チェンバーで報告を受けたシンは、ガストンと共に急ぎ足で迎賓の間へ向かった。
重厚な扉が開き、そこに立っていた「来訪者」を見た瞬間、シンは思わず息を呑んだ。
漆黒の豪奢なゴシックドレスに身を包んだ、透き通るような白い肌の美女。手には黒いレースの日傘を持ち、真紅の瞳は穏やかな知性を湛えている。
見た目は美しい人間の貴族のようだが、彼女の内に秘められた魔力は、完全に規格外だった。以前相対した聖騎士団長や帝国軍の将官、獣人の大将軍などとは次元が違う。まるで、底の見えない深淵そのものが人の形をとって立っているかのようだった。
「初めまして、『深緑の無名奈落』の主、シン殿。突然の訪問をお許しください」
美女は淑女の礼を美しく決め、優雅に微笑んだ。
「わたくしはヴィクトリア。五百年の歴史を持つダンジョンマスターの派閥、『悠久の賢人会』の使者として参りました。……ああ、念のため申し上げておきますが、先日そちらが屠られたアインガルドのアーランドのような、下等な吸血鬼とはご一緒にしないでくださいませ。わたくしは、吸血鬼の真祖にございます」
吸血鬼の真祖。魔物の中でも最上位に位置する伝説級の存在だ。
しかし、シンは内心の驚きを悟らせぬよう、堂々とした足取りで円卓の対面に座った。
「歓迎するよ、ヴィクトリア。……ダンジョンマスターの派閥、か。やっぱり、この世界には同業者の集まりがあったんだな」
「はい。我が主であり、賢人会の幹部である『不死の王』より、シン殿への親書をお預かりしております」
ヴィクトリアから差し出された封蝋付きの黒い羊皮紙を、シンは静かに受け取った。
ルリの解析で呪いや罠がないことを確認してから封を開け、一読する。その内容は、シンの予想を遥かに超えるスケールのものだった。
「……五百年の歴史。無用な争いを避ける知略の派閥。そして……俺のやり方(不殺の兵糧攻め)への賞賛と、同盟および派閥への加盟打診、か」
シンが親書の内容を呟くと、同席していたガストンが驚きに目を丸くした。
「いかにも」ヴィクトリアが優雅に紅茶のカップを手に取る。「我が賢人会のトップ五人は、シン殿の『血を流さずに他国の経済と民を根こそぎ奪う手腕』を高く評価しております。アーランドのような愚か者と違い、貴方とは良き隣人になれると」
「ありがたい話だ。俺としても、無用な争いはご免だからな。理念には大いに賛同するよ。……だが、親書の後半に書かれている『次なる脅威』について、詳しく聞かせてもらえないか?」
シンの鋭い視線を受け、ヴィクトリアは静かに頷いた。
「ええ。実は、ダンジョンマスターの派閥は我々だけではございません。……『暴食の狂宴』。およそ十五名の武闘派マスターからなる、侵略と略奪を至上の喜びとする野蛮な戦闘狂の集まりです」
「戦闘狂のダンジョンマスター……」
「はい。彼らは他者の迷宮を喰らい、コアを砕いて自らのDPを増大させることを生業としています。……シン殿。貴方がここ数ヶ月で蓄えた莫大なDPと豊かな領土は、今や彼らにとって『極上のご馳走』に他なりません。遠からず、彼らは貴方の迷宮を喰い破るために総攻撃を仕掛けてくるでしょう」
ガストンとレオンハルトの顔色が変わる。人間の軍隊ではなく、未知の罠と魔物を操るダンジョンマスター十数名からの多角的な侵略。それは、これまでの防衛戦とは根本的に難易度が違う。
「そこで、我が『悠久の賢人会』の出番というわけです」ヴィクトリアが微笑を深めた。「我々の派閥に加盟していただければ、彼らも手出しはできません。我々には、彼らを牽制するだけの十分な『力』と『歴史』がありますから」
沈黙が降りた。
ヴィクトリアの提案は、今のシンたちにとって渡りに船、これ以上ないほど破格の好条件である。ガストンも「受けるべきだ」と視線で合図を送っていた。
しかし、シンは親書をテーブルに置き、不敵に口角を上げた。
「素晴らしい提案だ。俺たちを高く評価してくれたことにも感謝する。……だが、今日ここで即答でサイン(加盟)はできない」
「……ほう。理由をお伺いしても?」
ヴィクトリアが、微かに目を細める。
「俺は、顔も知らない相手の傘下に無条件で入るような趣味はないんでね。それに、同盟を結ぶなら対等でありたい」
シンは前のめりになり、真祖の真紅の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「ヴィクトリア。あんたの主たちに伝えてくれ。理念には完全に同意するし、前向きに検討したい。だからこそ……一度、賢人会のトップ五人と俺で、『直接の会談』の場を設けてほしい。通信でも、どこかの中立地帯でもいい」
「トップ会談、ですか。新参のマスターが、五人の古き王たちに直接面会を求めるとは……随分と肝が据わっておいでですね」
「それともう一つ」
シンは地図を広げた。
「俺たちを狙っているという『暴食の狂宴』の十五人の迷宮の場所……『現在の位置関係の地図』を共有してほしい。連中が攻めてくるのをただ待つつもりはない。防衛線を張るにしても、カウンターを仕掛けるにしても、情報が必要だ」
ただ守られるだけでなく、自ら情報を取りに行き、対等な立場で戦いを挑もうとするその姿勢。
ヴィクトリアは一瞬ポカンとし……次の瞬間、手で口元を隠しながら、堪えきれないようにクスクスと笑い出した。
「ふ、ふふっ……あはははっ! 素晴らしい! アーランドを追い詰めた知将と聞いておりましたが、なんという大胆さ、なんという不遜なまでの王の器!」
ヴィクトリアは立ち上がり、心からの敬意を込めてシンに深く一礼した。
「承知いたしました、シン殿。貴方のその痛快な『逆提案』、間違いなく我が主たちにお伝えいたします。トップ会談の手配と、大陸の裏地図の共有……近いうちに、必ず良いお返事をお持ちできるでしょう」
「期待して待っているよ、ヴィクトリア」
歴史ある派閥からの使者に対し、一歩も引くことなく己のペースに巻き込んだシン。
彼の底知れぬ度胸と知略は、悠久の時を生きるマスターたちをも魅了し、テラ・マグナの大陸を巻き込む壮大な「魔王同士の盤上遊戯」の幕を、力強く開け放ったのであった。




