第40話(閑話):深淵の賢人会と、忍び寄る狂宴の影
第40話(閑話):深淵の賢人会と、忍び寄る狂宴の影
テラ・マグナの大陸のいずこか。物理的な場所を持たない、純粋な魔力によって構築された亜空間の円卓。
そこには、五つの薄暗い影が座していた。彼らは皆、数百年という途方もない時間を生き抜き、それぞれの広大な地下帝国を統べる『ダンジョンマスター』たちである。
「――聞いたか。南東の小国アインガルドに潜んでいた吸血鬼、アーランドが消滅したそうだ。帝国軍に地下を暴かれ、コアを強奪されたらしい」
円卓の一つ、ローブを深く被った骸骨の魔術師が、カラカラと乾いた声で議題を切り出した。
「帝国の観測網から数十年も隠れおおせた老獪な男だったが、最後は随分とあっけなかったな」
「武力で制圧されたわけではない。どうやら、例の『新参者』に喧嘩を売り、逆に首を絞められたようだぞ」
影の中から、艶やかな女性の声が響く。情報網に長けた夢魔のマスターだ。
彼らの口に上った『新参者』――それこそが、大深緑の迷い森に突如として現れ、破竹の勢いで勢力を拡大している『深緑の無名奈落』の主、シンであった。
「シンと名乗るあの若きマスターは、アーランドの工作員を瞬時に看破した。そして武力で反撃するのではなく、同盟国である商業共和国の経済力を使って、アインガルドの地上の民を『高待遇の移住』でごっそりと引き抜いたそうだ。結果、アーランドの迷宮はDP(魔力)が完全に枯渇し、機能停止に陥ったところを帝国に拾われた」
その報告を聞き、円卓の五つの影は一様に感嘆の吐息を漏らした。
「ほぅ……。力押しではなく、経済と情報による完全な『兵糧攻め』か。同業者の急所を的確に突く、見事な知略だ」
「それも、地上の無辜の民の血を一滴も流さず、むしろ彼らの生活を向上させて自国に取り込んでいる。……我々のような古い存在には思いもよらぬ、何とも柔軟でえげつない手腕よな」
彼らはダンジョンマスターの派閥、『悠久の賢人会』の最高幹部たちであった。
今から五百年前、この世界には百名を超えるダンジョンマスターが群雄割拠し、この派閥にも多くの者が名を連ねていた。
だが、力を過信して人間国家と全面戦争を起こした者、あるいは同業者同士の無益な共食い(コアの奪い合い)に溺れた者は、ことごとく歴史から淘汰されていった。その過酷な生存競争の中で、最終的に生き残ったのが、ここにいる「知略」と「不干渉」を重んじる五人のマスターたちなのだ。
「我々五人は、互いに十分な力と武力を持ち合わせているが、それゆえに争いの無意味さを知っている。ゆえにこうして平和な協定を結んでいるわけだが……あのシンという若者は、我々と同質の『知性』を持っているようだな」
円卓の上座。最も巨大な魔力を放つ影――派閥の議長格である『古竜のマスター』が、重々しく口を開いた。
「いかにも。それに、あの『不殺』と『異種族共生』の理念は、非常に興味深い。あのような特異な迷宮を、我々の派閥に迎え入れたいものだ」
「議長。それについては、急いだ方がよろしいかもしれません」
夢魔のマスターが、声を一段低くして告げた。
「あの若者の保有する莫大なDPと、拡大し続ける豊かな領土。……それを、もう一つの派閥、『暴食の狂宴』の連中が見逃すはずがありません」
その名が出た瞬間、円卓の空気がピリリと凍りついた。
『暴食の狂宴』。
それは、五百年の淘汰を「圧倒的な暴力と侵略」によって生き残った、約十五名のダンジョンマスターからなるもう一つの派閥だ。彼らは知略よりも略奪を好み、他者の迷宮を喰らって自らを肥え太らせることを至上の悦びとしている。
アーランドのような臆病な隠居すらも忌み嫌い、常にどこかの国家や同業者に牙を剥いている戦闘狂の集団。彼らが、シンの持つ莫大なリソースに目を付ければ、これまでの帝国や獣人の軍隊とは次元の違う、ダンジョンマスター同士の「真の殺し合い」が始まる。
「……なるほど。あの若者がいくら有能とはいえ、十五名もの武闘派マスターに一斉に狙われれば、さすがにあの理想郷も灰燼に帰すだろう」
リッチのマスターが顎骨をさすりながら同意する。
「我々としても、あの理性的で面白い迷宮が、野蛮な連中に喰われるのは惜しい。それに、連中がシンの莫大なDPを取り込めば、我々『賢人会』との力関係も崩れかねん」
古竜の議長が、一つ頷き、結論を下した。
「決まりだ。我々から、『深緑の無名奈落』へ使者を送ろう」
議長の重低音の声が、亜空間に響き渡る。
「我々『悠久の賢人会』は、貴殿の知略を高く評価していること。我々には武力があるが、同業者と争う意志はないこと。そして……近く、略奪を是とする『暴食の狂宴』が牙を剥く危険性があること。……これらを伝えよ」
「不可侵の盟約と、我々の派閥への加盟打診ですね」
「いかにも。彼が賢明であれば、我々と手を取り合う道を選ぶはずだ。……誰か、適任の使者はいるか?」
「ならば、私の配下である『吸血鬼の真祖』を遣わしましょう」
リッチのマスターが申し出た。
「アーランドのような下等な吸血鬼とは違う、高貴で礼節をわきまえた娘です。彼の迷宮の懐に飛び込み、我々の誠意を伝えるには適任かと」
「頼むぞ。……テラ・マグナの勢力図が、五百年ぶりに大きく動こうとしている。その中心にいるあの若きマスターが、我々の差し出す手をどう握るか、見せてもらおうではないか」
五つの影は、静かな期待と警戒を胸に抱きながら、円卓からふっと姿を消した。
人間の国家間の争いを超え、ついに動き出した「世界を裏から支配する者」たち。
シンの知略と優しさが、歴史ある賢者たちの目に留まったことで、物語は新たな脅威と、より巨大な同盟の渦へと巻き込まれていくのであった。




