第39話(閑話):蹂躙される空城と、灰に還る吸血鬼
第39話(閑話):蹂躙される空城と、灰に還る吸血鬼
魔導帝国ゼノス、帝都の宮廷魔導観測所。
大深緑の迷い森における完全なる敗北と、不法奴隷市場の摘発による甚大な経済的打撃。その重責を問われ、失脚の危機に瀕していた筆頭魔導師ゾルタンは、血走った目で観測盤の異常な数値に見入っていた。
「……間違いない。南東の国境付近、城塞都市アインガルド。あの小国が発していた微弱な魔力が、数日前から激しく『ゆらぎ』、現在は底をつくように低下している……!」
アインガルドは中立の小国として知られていたが、数万の住民が突如として「蒸発」したという噂は帝国の耳にも入っていた。
ゾルタンは観測盤の波形を解析し、狂喜の声を上げた。
「ハハハッ! なんという隠蔽工作だ! あの都市の真下には『ダンジョンコア』が隠されている! 住民が消えたことで魔力の供給が絶え、隠蔽の結界が剥がれ落ちたのだ!」
シンの『深緑の無名奈落』に手を出せなくなった今、帝国は喉から手が出るほど新たな魔力源を求めていた。
「住民のいない迷宮など、ただの空箱も同然! 罠を作動させる魔力すら残っていないはずだ。直ちに重装魔導兵の一個大隊を派遣しろ! アインガルドの地下を制圧し、無防備なコアを帝都へ持ち帰るのだ!」
失地回復に燃えるゾルタンの号令により、魔導帝国ゼノスの軍勢は、獲物を狙うハイエナのようにアインガルドへと軍を進めた。
数日後。城塞都市アインガルド、地下第1層。
「……なんだ、この拍子抜けする迷宮は」
部隊を率いる帝国の将官は、呆れたように周囲を見回した。
地上は完全にゴーストタウンと化していた。彼らは都市の中央広場を爆破し、地下迷宮への入り口をこじ開けたのだが……そこにあったのは、もはや「防衛施設」の体を成していない無惨な廃墟だった。
侵入者を串刺しにするはずの槍の罠は、サビついたように途中で止まっている。
通路に配置されていたスケルトンやゾンビなどのアンデッド兵は、魔力(DP)の供給を絶たれたことで体を維持できず、帝国の魔導アーマーが軽く触れただけで、ボロボロと骨の粉になって崩れ落ちた。
「あの『深緑の無名奈落』の悪夢のような防衛網に比べれば、児戯にも等しいな」
「将軍! 第2層も完全に無人です! 罠の作動反応、ゼロ!」
「ふん、魔力枯渇で完全に死に体の迷宮か。警戒する価値もない、一気に最深部まで踏み潰せ!」
帝国軍の重装歩兵たちは、文字通り「空き家」を土足で踏み荒らすように、悠々と地下第3層へと雪崩れ込んでいった。
地下第3層、玉座の間。
かつては豪奢な調度品で飾られ、アンデッドの側近たちが並んでいたその場所は、今や冷たく静まり返っていた。
「……ハァ、ハァ……」
玉座に座る吸血鬼のダンジョンマスター、アーランドの姿は見る影もなかった。
ふくよかだった青白い肌は枯れ枝のように干からび、真紅の瞳は濁っている。ダンジョンマスターは迷宮のDPと自らの生命力が直結している。数万の住民(DP供給源)を失い、さらに防衛施設を無理に維持しようとした結果、彼の魔力は完全に底を突き、自己の肉体を維持することすら限界を迎えていた。
『マスター。城門が突破されました。帝国軍が、こちらへ向かってきます』
明滅を繰り返すコアの機械的な声に、アーランドは自嘲気味に笑った。
「そうか……。魔導帝国の、犬どもめ……」
ドドォォォンッ!!
重厚な玉座の扉が、攻城魔法によって無惨に吹き飛ばされた。
土煙を上げて踏み込んできた数十名の帝国重装歩兵と将官が、玉座に座る干からびた吸血鬼を見下ろす。
「貴様がこの迷宮の主か。随分と哀れな姿だな。……そのコア、魔導帝国が接収する」
「……小童どもが。この私を、舐めるな……ッ!」
アーランドは最後の力を振り絞り、吸血鬼の禁呪を放とうと枯れた指を突き出した。
しかし、指先からパチッと小さな火花が散っただけで、魔法は発動しなかった。DPが枯渇した迷宮内では、マスターの権能すら失われるのだ。
「無駄な足掻きを」
将官が顎でしゃくると、二名の重装歩兵がアーランドを両脇から蹴り倒し、大剣の柄で床に押さえつけた。
「がはっ……! や、やめろ……それに触れるな……!」
アーランドの悲痛な叫びを無視し、将官は無造作に台座へと歩み寄り、微かに赤く光るダンジョンコアを強引に引き剥がした。
その瞬間。
「あ……アァァァァァァァッ!!」
アーランドの肉体が、内部から激しく崩壊し始めた。
迷宮核との繋がりを物理的に絶たれたことによる、マスターの致命的な崩壊現象。干からびた肉体が足先からサラサラと灰に変わり、虚空へと溶けていく。
(……なぜだ。なぜ、私がこんな最期を迎えねばならない。数十年間、誰よりも賢く、誰よりも慎重に息を潜めてきたというのに……!)
灰になりゆく視界の中で、アーランドの脳裏に浮かんだのは、彼を滅ぼした帝国軍ではなく、一度も顔を合わせることのなかった憎き同業者――シンの姿だった。
(あの新参者が……! あの『深緑の無名奈落』が、私の民を、魔力を、すべてを奪ったのだ……! 呪ってやる、おのれ、おのれェェェッ!)
武力ではなく、圧倒的な「豊かさ」で民を奪い取るという、悪魔のような兵糧攻め。
古いダンジョンの常識に囚われ、人間を恐怖と搾取でしか支配できなかった老獪な吸血鬼は、時代を変えた新たな王への呪詛を遺し、最後は一握りの灰となって完全に消滅した。
「……ふん、他愛もない」
将官は、床に落ちた灰を一瞥し、手元に奪い取ったダンジョンコアを見下ろした。
「よし、これで帝国は新たな無尽蔵の魔力源を……ん?」
将官は怪訝な顔をした。
手の中にある真紅のコアは、台座から引き剥がされた途端、ガラス玉のように濁り、その輝きを完全に失ってしまったのだ。
「……将軍。魔力反応が消失しました。コアの内部エーテルが完全に空っぽです。これでは、魔導機械の動力炉に組み込んでも、数日と持ちません」
魔力測定器を持った部下が、気まずそうに報告する。
「な、なんだと!? これほど巨大な迷宮のコアだぞ!?」
「住民が逃げ出し、迷宮自体が餓死状態だったのでしょう。いわば……枯れ果てた石ころを拾ったようなものです」
その言葉に、将官は忌々しそうに舌打ちをした。
軍事費を注ぎ込み、わざわざ軍隊を派遣して強奪したにもかかわらず、手に入ったのは何の役にも立たない「ハズレ」のコア。
彼らは理解した。現在、この大陸において真に無尽蔵の魔力を誇り、豊かな民を抱えている本物の『宝物庫』は、あの決して手を出してはならない『深緑の無名奈落』だけなのだと。
空っぽの城塞の奥深く。
何一つ得られなかった帝国軍の徒労の溜息だけが、無人の玉座の間に虚しく響き渡っていた。




