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残高ゼロの極小ダンジョン経営~頼りない水晶コアと、ネズミ穴から始める迷宮拡張記~  作者: 盆ちゃん


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第31話(閑話):白熊の長老と、不殺の防衛戦

第31話(閑話):白熊の長老と、不殺の防衛戦

 大深緑の迷い森、その外縁部。

 木々の間を、音もなく滑るように駆け抜ける一つの影があった。獣人連邦の中でも随一の隠密能力を誇る、黒豹の獣人・クロウである。

(……おかしい。ボルグ特命大使の報告では、この森は邪悪な魔力に満ちているはずだが、そんな気配は微塵も感じない)

 クロウは元老院議長である白熊の長老の直属の配下(子飼い)だった。

 長老はボルグの報告を信じていなかった。あの狡猾な獅子の男が、ただ交渉に失敗して帰ってくるはずがない。裏で何かを企んでいると直感した長老は、十万の獣王軍が出立する前に、密かにクロウを真実の調査へと向かわせたのだ。

「――そこまでにしておけよ、同胞」

 不意に、クロウの足元から声が響いた。

 ハッと息を呑んで見上げると、いつの間にか周囲の景色が歪み、巨大な銀色のキュウビの幻影が彼を取り囲んでいた。さらに、頭上の木の枝には、狼の獣人であるザイードが双剣を構えて座っている。

「ザ、ザイード!? お前、生きていたのか……! それに、なぜ魔物の手先に!」

「手先じゃねえよ。ここは俺たちの『国』だ。……お前、白熊の長老の使いだな? 怪我をしたくなけりゃ大人しくついてきな。マスターが歓迎するってよ」

 クロウは抵抗を諦め、彼らに連行される形で迷宮の奥底へと足を踏み入れた。

 そして、第4層の豊かな都市の風景と、笑い合う他種族の姿を見て、己の信じていた前提がすべて崩れ去るのを感じていた。

 ***

 迷宮第4層、マスターズ・チェンバー。

「これが、先日ここで行われた交渉の『録画映像』だ」

 迷宮の主であるシンが指を鳴らすと、空中に浮かんだ水晶ルリが、青い光で過去の映像を空間に投影した。

 そこに映し出されたのは、同胞の返還と賠償金を不当に要求するボルグの姿。そして、シンに自身の汚職(奴隷市場との裏取引)の証拠を突きつけられ、顔を真っ赤にして逆ギレする醜態だった。

『交渉は……決裂だ! 我らの誇りを金と紙切れで愚弄したこと、必ず後悔させてやるぞ……!』

 映像が途切れると、クロウは床に両手をつき、ワナワナと肩を震わせた。

「おのれ……ボルグ! 己の保身のために我らの誇りを汚し、あまつさえ全軍を騙して戦争を引き起こすなどと……!」

「事の真相は理解してもらえたようだな」

 シンが静かに声をかけると、クロウは懐から一通の親書を取り出し、深く頭を下げて差し出した。

「迷宮の主、シン殿。これは我が主である白熊の長老からの嘆願書です。……長老は仰っていました。『もし同胞が洗脳されていないのであれば、すべては使者の虚言。しかし、すでに激昂した十万の大軍は止められない。皆、騙されているだけなのだ。どうか、誇り高き同胞たちを殺さないでほしい』と」

 その言葉に、同席していたザイードら獣人の冒険者たちも悲痛な顔で俯いた。

 彼らにとっても、攻めてくるのはかつての仲間であり、純粋な心を利用されただけの被害者なのだ。

「……なるほどな。敵を全滅させるより、無傷で止める方が何倍も難しいぜ」

 シンは親書を受け取り、円卓を囲む幹部たちを見渡した。

「聞いたな、お前たち。今回の防衛戦の勝利条件は『獣王軍十万を、死者を出すことなく完全制圧すること』だ」

 その途方もない要求に、レオンハルトが腕を組んで唸った。

「マスター。十万の血に飢えた獣人を殺さずに止めるのは、武力では不可能です。加減をすればこちらが押し潰され、本気で剣を振れば死の山が築かれます」

「内務局としても頭が痛いですね」とガストンが続く。「兵糧攻めにしようにも、相手は森のサバイバルに長けた獣人。長期戦になれば森が枯らされてしまいます」

「だからこそ、迷宮ダンジョンの出番だ」

 シンは不敵に笑い、テーブルの上に迷宮の設計図を広げた。

「奴らの目的は俺の首だ。なら、森に長居させず、全軍をこの迷宮の中へ誘い込む。……カルク、第1層の致死トラップをすべて撤去し、構造を『巨大なすり鉢状の迷路』に書き換えろ。入り込んだ軍勢を分断し、摩擦ゼロの滑り台で全員を一カ所に集めるんだ」

「ギギッ!(お任せを! クッション用に巨大スライムを敷き詰めます!)」

「セリア、第2層の蜘蛛たちに命じて、滑り落ちてきた獣人たちを片端から『粘糸』で簀巻きにしろ。今回は魔力吸収(バッテリー化)はしなくていい。ひたすら拘束と隔離だ」

「ふふっ。致死毒は使わず、麻痺毒だけで優しく包み込んであげますわ」

 シンの頭脳から次々と飛び出す、悪辣かつ平和的な「不殺のトラップ」。

 それは、迷宮のギミックを殺傷目的ではなく、完璧な「制圧・捕縛装置」へとダウングレード(実質的な無力化特化)させるという前代未聞の防衛策だった。

「そしてキュウビ。お前たち幻惑狐は、迷宮の中で彼らに『俺たちの圧倒的な武力と恐怖』の幻影を見せ続け、戦意をへし折ってくれ」

『承知した。獣の闘争本能を、絶望の底へと沈めてやろう』

「最後に……全軍を捕縛した目の前で、この『録画映像』を特大サイズで上映する。自分たちがボルグに騙され、大義のない戦いに駆り出されたことを理解させれば、彼らの誇りはそこで完全に折れる」

 武力ではなく、圧倒的な「システム」と「真実」による無血開城。

 シンの提示した完璧な作戦に、クロウは感極まって涙を流し、何度も床に額を擦り付けた。

「おおお……なんという慈悲深き御方か! 大精霊よ、この奇跡に感謝いたします!」

「泣くのはまだ早いぞ、クロウ。長老への返信は『任せておけ』だ。……さあ、忙しくなるぞ。十万の馬鹿どもを優しく迎え入れる、史上最大の『おもてなし』の準備だ!」

 シンの号令のもと、迷宮はすぐさまその構造を激しく組み替え始めた。

 迫り来る十万の怒れる獣王軍。しかし、彼らが飛び込もうとしているのは、死地ではなく、圧倒的なスケールで構築された「超巨大な捕獲用虫かご」であることに、まだ誰も気づいていなかった。

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