第26話:交差する決意と、幽谷の幻惑狐
第26話:交差する決意と、幽谷の幻惑狐
■ ガストン視点:闇に沈む真実
迷宮第4層に新設された『内務執務室』。
元辺境ギルドマスターのガストンは、エルフの斥候ファエルが持ち帰った報告書と、自身の裏社会のネットワークから集めた情報を照らし合わせ、重い溜息を吐いた。
「……酷いものだな。帝国と聖王国の腐敗は、私が予想していた底をさらに下回っている」
報告書に記されていたのは、両国における『裏の奴隷市場』の悍ましい実態だった。
見世物や労働力として扱われるエルフや獣人、ドワーフたち。だが、それだけではない。リストの中には、借金で身売りされた人間の孤児や、貴族に逆らったというだけで無実の罪を着せられ奴隷落ちした人間の平民たちの名前が、無数に連なっていたのだ。
「聖王国は『人間至上主義』を掲げているはずです。同族すらも売り飛ばすとは……」
同席していたファエルが、嫌悪感に顔を顰める。
「所詮、奴らの言う『人間』とは、権力を持つ一握りの貴族や神官だけのことだ。力なき者は、種族を問わず搾取の対象でしかない」
ガストンは羊皮紙を強く握りしめた。
「マスター・シンは、このリストにある者たちを『全員救う』と仰った。……我々内務局の仕事は、各市場の競売の日程と、輸送ルートを完全に割り出すことだ。急ぐぞ、ファエル殿」
血を流さない情報戦こそが、奴隷たちを一人残らず救うための生命線だった。
■ レオンハルト視点:戦士たちの懇願
その頃。第4層の一角に設けられた巨大な訓練場では、金属が激しくぶつかり合う音が響いていた。
迷宮守備隊隊長レオンハルトは、配下の人間兵士たちとゴブリンたちを混成させた『迷宮特殊部隊』の再編と訓練を行っていた。多種族が連携する部隊の指揮は困難を極めるが、迷宮の豊かな食事と「家族を守る」という共通の目的が、彼らを一つの強固な軍隊へと鍛え上げつつある。
「隊長! 少しよろしいか!」
剣を収めたレオンハルトの下へ、数人の男たちが歩み寄ってきた。
先頭に立つのは、狼の獣人である斥候のザイード。彼らは、ガストンと共に聖王国から亡命してきた熟練の冒険者たちだ。
「どうした、ザイード。お前たちは新しく作る『ギルド管轄部隊』の所属だろう?」
「あぁ、そうなんだが……。折り入って頼みがある。今度の『奴隷解放作戦』、俺たちも第一線で使ってくれねえか」
ザイードは、普段の飄々とした態度を捨て、地を這うような真剣な声で懇願した。
彼の後ろに立つドワーフや人間の冒険者たちも、一様に悲痛な決意を顔に張り付かせている。
「……理由を聞こう」
「俺たちが聖王国で活動していた頃……不当な難癖をつけられて、ギルドを追放された仲間がいやがるんだ。ドワーフの弟分や、獣人の幼馴染……。そいつらは皆、奴隷市場に流された。俺たちはあの頃、力がなくてそいつらを助けられなかった……!」
ザイードはギリッと牙を食いしばり、拳から血が滲むほど強く握りしめた。
「マスターは、全員救うと言ってくれた。なら、俺たちもこの命を懸けて前線を張る義務がある。……頼む、レオンハルト隊長! 俺たちを突入部隊の先鋒に加えてくれ!」
彼らは一斉に、レオンハルトに対して深く頭を下げた。
かつては敵国の軍人であった自分に、誇り高き冒険者たちが頭を下げている。その個人的で、しかし何よりも強い「家族と友を想う動機」は、レオンハルト自身の心と強く共鳴した。
「……頭を上げろ、お前たち」
レオンハルトは鷹揚に頷き、力強い笑みを浮かべた。
「俺も、家族を盾に取られる絶望は知っている。その鎖を断ち切る戦いに、貴様らほどの猛者を連れて行かない手はない。……地獄の特訓になるぞ、覚悟しておけ」
「ありがてえっ! やってやるぜ!」
迷宮の戦士たちの意志は、かつてないほどに一つにまとまろうとしていた。
■ シン視点:幽谷の幻惑狐
「……すごい霧だな。それに、この森の木々……さっきから同じ場所を歩かされているような気がする」
大深緑の迷い森、最も日が差さないと言われる『幽谷の地』。
俺はテトとガルムを連れ、鬱蒼と茂る木々と濃霧の中を進んでいた。エルフの女王から聞いた、幻術に特化した魔物『ミラージュ・フォックス』を探すためだ。
「キュイッ!」
先頭を歩いていたテトが、鋭く鳴いて足を止めた。
『マスター! 周囲の魔力が不自然に歪んでいます。これは、極めて高度な幻術の結界です!』
ルリの念話が脳内に響く。どうやら、すでに俺たちは相手のテリトリーに踏み込んでいるらしい。
「ガルム、構えろ。テト、お前の『気配察知』と俺のスキルを同調させるぞ」
俺は目を閉じ、視覚という不確かな情報を捨てた。
そして『気配察知 Lv3』を全開にする。すると、濃霧と木々の幻影の向こう側に、複数の「熱」と「魔力」の塊が浮かび上がってきた。
「そこか!」
俺は目を開き、幻の巨木の幹に向かって『打撃』のスキルを乗せた拳を寸止めした。
直後、巨木の幻影がパァンと弾け飛び、そこから現れたのは、美しい銀色の毛並みを持った一匹の巨大な狐だった。
その背には三本のふさふさとした尾が揺らめき、知性を宿した金色の瞳が、驚きと共に俺を見下ろしている。周囲の茂みからも、通常サイズの銀狐たちが数匹、警戒して牙を剥いていた。
『……人間の身でありながら、我が結界を破り、我が本体を見抜くとは。何者だ』
脳内に直接響く、艶やかな女性のような念話。この三尾の狐が、群れのボスらしい。
「俺はダンジョンマスターのシン。お前たちのその『幻術』の力を借りにきた」
俺は武器を持たない両手を示し、真っ直ぐにボスの金色の瞳を見つめた。
『我らを従えようというのか? 笑止。我らミラージュ・フォックスは誇り高き幻獣。人間に飼われるつもりはない』
「だが、お前たちの群れ……少し痩せているな。それに、怪我をしている個体もいる」
俺の指摘に、ボスは僅かに目を細めた。
彼らの幻術は強力だが、近年、その美しい毛皮を狙う人間の密猟者や、森を伐採する帝国軍の侵攻によって、彼らの生息域は脅かされているはずだ。
「俺の迷宮(国)には、絶対の安全と、腹一杯の食事がある。俺はお前たちをペットにするつもりはない。これから行う『人間国家の奴隷市場をぶっ潰す作戦』の、対等な協力者としてスカウトしに来たんだ」
『奴隷市場を、潰す……? 貴様、人間でありながら、同族の国に牙を剥くというのか?』
「俺の迷宮には、エルフもゴブリンも蜘蛛も人間もいる。俺を慕う者を脅かすなら、国だろうが何だろうが潰すだけだ」
ボスの金色の瞳が、品定めをするように俺の全身を舐め回した。
やがて、彼女はふわりと幻のように姿を縮めさせ、俺の目の前に降り立った。
『……面白い男。貴様の放つ魔力からは、いっそ清々しいほどの狂気と、そして魔の森の覇者に相応しい器を感じる。……よかろう。我が名は「キュウビ」。我が群れの幻術、貴様のために振るってやろう』
「契約成立だな、キュウビ。俺の迷宮へようこそ」
情報を集めるガストン。牙を研ぐレオンハルトや冒険者たち。そして、最強の『幻術部隊』を手に入れた俺。
すべての準備は整った。
俺たちはついに、人間の欲望が渦巻く闇の市場へと、その圧倒的な力を叩きつけるべく動き出したのだ。




