第28話(閑話):大迷宮の全容と、次なる世界の影
第28話(閑話):大迷宮の全容と、次なる世界の影
迷宮第4層、内務局執務室。
天井に埋め込まれた発光石の柔らかな光の下で、内務卿ガストンは山積みになった書類に目を通し、満足げに羽ペンを置いた。
「……見事なものだ。まさか私の生きている間に、これほど完璧な『理想郷』の誕生に立ち会えるとはな」
ガストンの手元にあるのは、『深緑の無名奈落』の最新の戸籍登録と、階層ごとの防衛配置図である。
数度にわたる聖王国からの引き抜きや、帝国および各国の闇市場からの奴隷解放作戦を経て、迷宮の総人口は爆発的に増加していた。
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【深緑の無名奈落・国勢状況】
■ マスター: シン
■ コア(迷宮核): ルリ (自然回復量 3,000 DP/日 突破)
■ 総人口: 約 1,200 名
(人間、エルフ、ドワーフ、獣人、ゴブリン、蜘蛛、狐、トレント等の多種族混成)
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総勢千二百名。これはもはや、辺境の都市を優に超える規模の『国家』である。
これほどの人数を抱えながらも、迷宮の機能はカルク(工兵長)やガストンたちの手によって極めてシステマチックに管理されていた。
【第1層:物理罠と浄化の層】
摩擦ゼロの滑り台から始まる物理トラップの数々。そして、聖騎士団の聖水を糧に異常繁殖したスライムたちが水路を循環し、侵入者の毒や汚物を完全に分解・浄化する「巨大な洗濯機」のような階層。
【第2層:粘糸迷宮層】
アラクネの女王セリア率いる蜘蛛たちのテリトリー。暗闇の中で侵入者を捕縛し、殺さずに天井へ吊るして魔力を抽出し続ける『生体バッテリー工場』。迷宮の膨大なDP収入源の要である。
【第3層:鉄壁の迎撃層】
レオンハルト率いる『迷宮守備隊(元帝国精鋭)』と、ガルムやザイードら『冒険者・魔物混成部隊』が駐屯する最終防衛ライン。さらに、幻惑狐キュウビの結界が敷かれており、ここを突破することは大軍であろうと不可能に近い。
【第4層:迷宮都市(居住・生産層)】
そして現在、千二百名の大半が暮らすのがこの最下層だ。
天井高五十メートルを超える巨大なドーム状の空間には、シンがDPで整備した強固な石造りの家々が立ち並んでいる。
「ガストン様、農業区画の収穫量と、工業区画の生産レポートです」
執務室に、エルフのファエルが書類を持って入ってきた。
ガストンはそれを受け取り、頷いた。迷宮にはDPという万能の力があるが、シンは「すべてをDPで解決しない」という方針を打ち出している。
非戦闘員のドワーフたちは、自分たちの鍛冶工房で武具や日用品を打ち、獣人やトレントたちは豊かな魔力土壌を利用して野菜や穀物を育て、人間の女性たちは裁縫や子供たちの教育(エルフが魔法を教え、人間が文字を教える)を担っている。
自分の手で仕事をし、誰かの役に立つ。その「生きがい」こそが、奴隷として尊厳を奪われていた彼らの心を癒し、迷宮の空気を驚くほど明るく活気に満ちたものにしていた。料理長ログの厨房も、今や数十人の人間やハーフエルフの見習いを抱える『大食堂』へと発展している。
「みんな、良い顔をして働いている。……さて、内政が安定したからこそ、我々は『外の脅威』から目を逸らすわけにはいかないな」
ガストンは書類をまとめ、シンが待つ『マスターズ・チェンバー』の奥、戦略会議室へと向かった。
***
「集まったな。ガストン、レオンハルト、リリア。そしてキュウビ」
円卓の上には、テラ・マグナの巨大な大陸地図が広げられていた。
シンは腕を組み、地図の西と東――帝国と聖王国に置かれた駒を指で弾いた。
「この二カ国は、先日の奴隷市場強襲と汚職リストの暴露で、現在も内部崩壊の真っ最中だ。貴族の失脚や暴動の鎮圧に追われ、こちらへ大軍を向ける余裕はない。だが……問題は、この森を取り囲む『他の二十カ国』だ」
「マスターの仰る通りです」
ガストンが地図の南方を指差した。
「私が最も懸念しているのは、南に位置する『獣人連邦ガルド』です。彼らは森の恵みを信仰する種族ですが……我が迷宮が、奴隷商から大量の獣人を救い出し、保護しているという噂はすでに彼らの耳にも届いています」
「同胞を助けたんだ、感謝されるんじゃないのか?」とレオンハルトが首を傾げる。
「それがそう単純でもないのです」とリリアが補足した。
「獣人連邦は非常に血の結束と『誇り』を重んじる国。彼らからすれば、同胞が『見ず知らずの魔物の迷宮に囲われている』という状況は、彼らの戦士としてのプライドを刺激しかねません。保護を名目に、武力行使で引き渡しを要求してくる可能性があります」
シンはなるほど、と頷いた。種族ごとの価値観の違いが、思わぬ火種を生むというわけだ。
「もう一つは、北の海に面した『商業共和国ヴァロワ』です」
ガストンが北方に駒を置く。
「彼らは直接の武力は持ちませんが、金で傭兵を雇う国です。帝国や聖王国の奴隷市場が潰れたことで、彼らの不法な裏商売のルートに甚大な被害が出ている。……彼らは『失った利益』を取り戻すため、凄腕の暗殺教団や、高位のSランク冒険者パーティを金で雇い、ピンポイントでマスターの首を狙ってくる可能性があります」
軍隊ではなく、少数精鋭のプロフェッショナルによる暗殺・潜入工作。
物理トラップを回避し、隠密に特化した相手となれば、幻惑狐のキュウビやエルフたちの防衛網が鍵になるだろう。
「そして……最後にもう一つ」
シンが、大深緑の迷い森の地図の「さらに深奥の空白地帯」を見つめた。
「第1話……俺がここで目覚めた時、ルリが言っていたんだ。『この世界には、他のダンジョンマスターも存在する可能性がある』と。……これだけ俺たちが派手に魔力を放出し、テリトリーを広げれば、森のどこかにいるかもしれない『先住の迷宮主』が、縄張り争いを仕掛けてくるかもしれない」
その言葉に、会議室の空気が一段と張り詰めた。
国家の軍隊ではなく、シンと同じように罠を作り、魔物を操り、未知のルールで襲いかかってくる同業者の存在。
「獣人の誇り、商人の金と殺意、そして未知のダンジョンマスター、か。……面白くなってきたな」
シンは不敵に笑い、円卓を軽く叩いた。
「方針は変わらない。俺たちは誰にも侵略されないし、俺たちを頼ってきた仲間は絶対に渡さない。来るというなら、どんな奴だろうと俺たちの『国』の力で返り討ちにしてやる」
頼もしき内務卿ガストン、武の要レオンハルト、森の目となるリリアとキュウビ。
彼らは主の力強い宣言に深く頭を下げ、迷宮国家『深緑の無名奈落』の次なる防衛戦へ向けて、それぞれの牙を静かに研ぎ澄ませていくのであった。




