第23話(閑話):血塗られた幻影と、理想郷の門
第23話(閑話):血塗られた幻影と、理想郷の門
深夜。聖王国ルシリス辺境の冒険者ギルド、マスター執務室。
ランプの灯りを極限まで落とした薄暗い部屋に、ガストンの招集を受けた五人の冒険者が集まっていた。
「……マスター。聖騎士団の犬ども(暗殺者)が、ギルドの周囲を完全に包囲している。今夜あたり、決行するつもりだろうぜ」
窓の外を鋭い眼光で窺いながら低く唸ったのは、狼の獣人である斥候のザイードだ。
部屋には彼の他にも、ドワーフの重戦士や、エルフの血を引くハーフエルフの治癒士など、いずれも実力は折り紙付きだが、聖王国の「人間至上主義」のせいで不遇な扱いを受けてきた者ばかりが揃っている。
「すまんな、お前たち。俺が聖騎士の面子を潰したせいで、腹心のお前たちまで巻き込むことになった」
「気にするなよ、マスター。窮屈なこの国には、とっくに嫌気がさしてたんだ」
ドワーフの戦士が豪快に笑う。彼らは種族の壁を越え、幾度も死線を潜り抜けてきた本物の「冒険者」だった。
このまま理不尽に殺されるくらいなら、血路を開いて他国へ逃げるか。ガストンがそう覚悟を決めた、その時だった。
「――逃げる必要はありませんよ。辺境の英雄たち」
不意に、部屋の隅の「影」が揺らぎ、そこから二つの人影が音もなく浮かび上がった。
一人は、深い緑の外套を羽織った純血のエルフ(ファエル)。
そしてもう一人は、漆黒の魔導装甲を身に纏い、大剣を背負った屈強な人間の戦士。
「なっ……貴様、西の帝国の『魔導剣士レオンハルト』か!?」
ガストンが驚愕に目を見開く。
帝国軍の先遣隊長が、なぜエルフと共に聖王国にいるのか。ザイードたちが武器を構えかけたが、レオンハルトは両手を挙げて敵意がないことを示した。
「落ち着け。今の俺は帝国の軍人ではない。『深緑の無名奈落』……お前たちが恐れる迷宮の主、シン様に仕える迷宮守備隊の隊長だ。今日は、我が主からの親書を届けに来た」
レオンハルトはガストンに羊皮紙を手渡した。
そこには、理不尽な死か、迷宮での真の自由かを選べ、と書かれていた。ガストンはゴクリと息を呑み、レオンハルトの澄んだ瞳を見つめ返した。
「……噂は本当だったのか。迷宮の主は、お前たち人間を受け入れたと」
「ああ。受け入れるどころか、帝都で人質になっていた俺たちの家族を全員救出し、迷宮内に温かな居場所を与えてくださった。……我が主は、種族で者を量らない。実力と、守るべき矜持を持つ者を求めておられる」
ガストンと冒険者たちは顔を見合わせた。
迷う理由はなかった。
「……ありがたい申し出だ。乗ろう。だが、外の暗殺者どもをどう切り抜ける? 奴らを殺せば、聖王国は本格的に我々を国賊として手配するぞ」
「その心配は無用です、ガストン殿」
エルフのファエルが、冷たい微笑を浮かべた。
その瞬間、執務室のドアが乱暴に蹴り破られ、黒装束に身を包んだ教会の暗殺者たちが十数名、刃を煌めかせて雪崩れ込んできた。
「異端者ガストン! 聖騎士団長ガウェイン様の名のもとに、貴様ら不浄の獣ごと天罰を下す!」
暗殺者たちが毒刃を振り下ろす。
――しかし、彼らの刃がガストンたちの肉体を裂き、鮮血が壁に飛び散ったのは、彼らの『脳内(幻覚)』だけの出来事だった。
「大精霊の幻影よ、真実を虚飾で塗り潰せ――『夢魔の惨劇』」
ファエルが指を鳴らした瞬間、暗殺者たちは虚空に向かって刃を突き立て、誰もいない床を滅多刺しにし始めた。
彼らの目には、ガストンたちが断末魔の悲鳴を上げて死絶え、部屋が血の海に染まる完璧な『幻影』が見えている。さらにファエルは、豚の血と肉片の入った袋を魔法で破裂させ、部屋中に本物の血の匂いと痕跡をばら撒いた。
「よし、天罰は下った! 引き上げるぞ!」
暗殺者たちは「任務を完遂した」と完全に思い込み、狂気の笑みを浮かべながら夜の闇へと消えていった。
「……なんという恐ろしい幻術だ」
部屋の隅で、透明化の結界に隠れて一部始終を見ていたガストンは、戦慄に汗を拭った。
「これにて、ギルドマスター・ガストンとその一派は、聖騎士団の非道な暗殺者によって『無惨に殺害された』ことになりました」
ファエルが淡々と告げる。
「無罪判決を出した枢機卿の顔に泥を塗り、有能なギルドを血祭りに上げた聖騎士団。……これで、聖騎士団長ガウェインは教会内部から猛烈な糾弾を受け、聖王国は政治的混乱の渦に叩き込まれるでしょう」
「迷宮の主は、我々を救うと同時に、聖王国の屋台骨を腐らせるというのか……。とんでもない御方だ」
ガストンは呆れを通り越し、深い敬意すら抱き始めていた。
彼らはファエルの案内で、誰にも気づかれることなく王都を脱出し、大深緑の迷い森へと向かった。
***
「ようこそ、辺境の英雄たち。俺がマスターのシンだ」
数日後。迷宮第4層のマスターズ・チェンバーにて。
案内されたガストンたちが目にしたのは、彼らの想像を絶する光景だった。
広大な地底空間には、太陽のように輝く魔法の灯りが降り注ぎ、清らかな水路が農地を潤している。水路にはスライムが放たれ、排泄物やゴミを自動で分解する「完璧な清掃システム」が構築されていた。
そして何より彼らの目を奪ったのは、その空気だ。
厨房ではホブゴブリンのログが、人間の女性(レオンハルトの妻たち)と談笑しながら極上の料理を作り、広場では角うさぎのテトやフォレストウルフと、人間の子供たちが一緒に駆け回っている。ドワーフも獣人も、ここでは何の偏見の目も向けられない。
「マスター……。ここは、魔物の巣ではない。もはや一つの、完璧な『国家』だ」
「気に入ってくれたか? ガストン、あんたには迷宮の『実務顧問』を頼みたい。冒険者の知識と、その冷徹な判断力で、この迷宮の運営を支えてくれ」
俺が右手を差し出すと、ガストンは感極まったようにその手を力強く握り返した。
「喜んで。この老いぼれの知識、すべて貴方様と、この理想郷に捧げましょう」
「俺たちもだ、マスター! こんな美味え匂いがする国、他にねえからな!」
ザイードたち有能な冒険者も、笑顔で臣従を誓う。
西の帝国の精鋭部隊に続き、東の聖王国の有能なギルド幹部。
二つの敵国の内情を抉り出し、最強の防衛力と運営力を手に入れた『深緑の無名奈落』は、次なる他国の干渉すらも鼻で嗤うほどの、鉄壁の要塞へと進化を遂げたのであった。




