第16話:筒抜けの聖戦と、完璧なるカウンター
第16話:筒抜けの聖戦と、完璧なるカウンター
大深緑の迷い森、その外縁部。
木々の陰に同化するように息を潜めていた男は、流れ落ちる冷や汗を拭うことも忘れて、目の前の光景を凝視していた。
「……信じられん。あの『魔導帝国』の重装甲部隊が、これほど無惨に敗走するとは」
彼は聖王国ルシリスの辺境ギルドから派遣された、凄腕の斥候部隊長である。
彼の視線の先では、森の奥から逃げ出してきた帝国の兵士たちが、恐怖に顔を歪めながら這うようにして撤退していくところだった。装甲はひしゃげ、武器は失われ、何より隊長格の姿が一人も見当たらない。
「隊長。どうしますか、我々も森の奥へ進んで迷宮の調査を……」
「馬鹿野郎、死にたいのか!」
焦る部下を、斥候部隊長は小声で一喝した。
「出発前のガストン様からの命令を忘れたか。『絶対に深入りはするな、無理はするな』だ。……帝国軍を半壊させた迷宮だぞ。俺たちだけで近づけば、骨も残らん。すぐに帰還し、ギルドと聖騎士団に報告するぞ!」
彼らは森の奥に潜む底知れぬ悪寒に背を向け、一目散に聖王国へと駆け出していった。
***
数日後。聖王国ルシリス辺境都市、領主館の大会議室。
「――以上が、我がギルドの斥候が持ち帰った報告です。帝国先遣隊は壊滅。迷宮は我々の想像を遥かに超える脅威へと成長しています」
ギルドマスターのガストンが重々しく報告を終えると、円卓の向かいに座っていた豪奢な白銀の鎧を纏う男――聖騎士団長ガウェインが、鼻で笑った。
「ふん。魔導機械などという無粋な玩具に頼るから、森の魔物どもに遅れをとるのだ。愚かな帝国兵どもめ」
「ガウェイン殿、油断は禁物です。斥候の報告によれば、森の地形すら迷宮の主に操られている節が……」
「黙れ、薄汚い冒険者風情が」
ガウェインはガストンを冷たく一瞥し、卓上の地図を剣の鞘で叩いた。
「我々聖騎士団は、すでに教皇猊下より『大浄化』の許可を得ている。迷宮の罠が何であろうと関係ない。我々は高位神官団を連れ、迷宮の入り口から高濃度の『聖水』と『極光の浄化魔法』を、濁流のように流し込む!」
ガストンは息を呑んだ。
それは、迷宮だけでなく、周囲の森の生態系すらも灰にする狂信的な作戦だった。
「聖なる水と光は、魔物や迷宮の罠を溶かし、内部を完全に『浄化』する。物理的な罠など無意味。我々はただ、浄化され更地となった迷宮を悠々と歩き、最奥のコアを砕くだけだ。ハハハッ!」
高らかに笑う聖騎士団長。
だが彼は、自分たちの頭上――会議室の吹き抜けの窓のわずかな隙間に、一陣の不自然な『風』が留まっていたことには、全く気づいていなかった。
***
『――というわけです、女王陛下。そしてシン殿。聖王国は物理攻撃ではなく、「聖水」と「光の魔法」による迷宮の丸洗いを画策しております』
第4層、マスターズ・チェンバー。
風の精霊魔法を駆使して聖王国へ潜入していたエルフの斥候ファエルが、水晶の念話を通じて、俺たちに会議の全容を報告し終えた。
「ご苦労だった、ファエル。ゆっくり休んでくれ」
俺が労うと、傍らに座っていたエルフの使節長リリアが、青ざめた顔で口を開いた。
「シン殿、これは非常にまずいです。聖王国の『聖水』は、魔に属する者にとって猛毒。それを大量に流し込まれれば、第1層の罠が作動する前に機能不全に陥り、セリア殿の糸も、ゴブリンたちも、浄化の炎で焼かれてしまいます……!」
リリアの言葉に、カルクやガルムたち幹部も緊張した面持ちになる。
新しく仲間になったレオンハルトも、腕を組みながら険しい顔をした。
「聖王国の狂信者どもめ。文字通り、根こそぎ焼き払うつもりか。……シン、どうする?」
全員の視線が、俺に集中する。
圧倒的な質量を持った属性攻撃(浄化)。まともに受ければ、たしかにダンジョンは崩壊するだろう。
「……ふっ、ハハハ!」
俺は思わず、声を上げて笑ってしまった。
リリアやレオンハルトが怪訝な顔をする中、俺はルリに向かって指を鳴らした。
「ルリ、聖水って要するに『高濃度の魔力が溶け込んだ水』のことだよな?」
『はい、マスター。魔物の魔力とは相反する波長ですが、純度の高い魔力液体であることに間違いはありません』
「なら、話は簡単だ。……カルク、第1層の構造を少し弄るぞ。入り口から滑り台までの間に、深い『水路』と『貯水プール』を作れ」
「ギギッ?(水路、ですか?)」
首を傾げるカルクに、俺は悪魔的なカウンタープランを説明した。
「聖王国の連中は、入り口から聖水を流し込んでくれるんだろ? なら、その聖水が迷宮の奥へ届く前に、すべて『貯水プール』へ誘導する地形を作る。そして、そのプールの中には……最近第1層の入り口付近に湧き出している、大量の『スライム』を敷き詰めておく」
「ああっ!」
真っ先に声を上げたのは、俺の意図に気づいたリリアだった。
「スライムは物理攻撃には弱いですが、あらゆる液体や魔力を『吸収・分解』する性質を持っています……! しかも彼ら自身には高度な自我や悪意がないため、聖水の浄化作用が効きにくい!」
「その通り」
俺はニヤリと笑った。
「敵がわざわざ外から流し込んでくれる『高純度の魔力(聖水)』だ。スライムたちにたっぷり吸収させて分解させ、無害化された魔力水として、第4層の農地(トレントたちの畑)の肥料や、DPの還元に使わせてもらう」
敵の最強の切り札(浄化攻撃)を、迷宮の「栄養源」として美味しくいただく。
作戦の全容を理解した幹部たちは、次第に凶悪な笑みを浮かべ始めた。レオンハルトに至っては「お前を敵に回さなくて本当に良かった……」と額に汗を浮かべている。
「情報をもたらしてくれたエルフたちに感謝する。これで、迎撃の準備は完璧だ。……さあ、聖騎士団の連中を、最高の『水遊び』で歓迎してやろうぜ」
筒抜けの作戦。万全の待ち伏せ。
深緑の無名奈落は、聖王国ルシリスの誇る聖騎士団を絶望のドン底へ叩き落とすべく、その構造を静かに、そして致命的に書き換え始めた。




