第12話:蜘蛛の繭と、風の使者
第12話:蜘蛛の繭と、風の使者
アラクネのセリアたちが加わったことで、『深緑の無名奈落』の戦略は劇的な進化を遂げていた。
最大の恩恵は、「殺さずにDPを搾取する」という持続可能なシステムの確立である。
「素晴らしいわ、私の可愛い糸車たち。暴れる獲物は、こうして魔力を吸う鋼糸でぐるぐる巻きにしておしまいなさい」
「ギィィ……(女王様、もっと血を吸っても?)」
「駄目よ。生かさず殺さず、マスターの魔力源として長生きさせなさい」
第2層『粘糸迷宮層』。
暗闇の中、セリアの配下の蜘蛛たちが、罠にかかった巨大なフォレストベアを白い糸で簀巻き(すまき)にしている。天井には、すでに数十個の「生きた繭」が吊るされていた。
彼らがもがくたびに、糸を通じて微量の魔力が吸い上げられ、ダンジョンのDPとして還元される。いわば「生体バッテリー」だ。これにより、一日の自然回復量は一気に 600 DP にまで跳ね上がっていた。
「見事な手際だな、セリア。これなら無駄な殺生も減るし、DPも安定する」
俺が視察に訪れると、セリアは艶然と微笑んで頭を下げた。
「マスターのお褒めの言葉、光栄ですわ。……それにしても、随分と大所帯になりましたわね?」
彼女の視線の先には、俺の後ろをついて歩く数体の「歩く巨木」――『トレント』たちの姿があった。
昨日、森の魔力バランスの変化(人間の国が偵察や伐採を強めたこと)に危機感を抱いたトレントの長老が、俺のダンジョンに保護を求めてきたのだ。
俺は快く彼らをテイムし、貯まりに貯まったDPを使って、新たに『第4層:樹海迷宮層』を構築した。これにより、居住区はさらに安全な第4層の奥底へとスライドし、防衛線はより強固なものになっている。
ダンジョン経営が軌道に乗り切った、まさにその時だった。
『マスター! 第1層の入り口に、人型の反応が五つ! でも……人間の冒険者じゃありません。魔力がとても綺麗で、敵意を感じません!』
ルリの切羽詰まった、しかし戸惑うような報告。
俺はガルム、セリア、テトの三幹部を連れ、すぐさま第1層のエントランスへと向かった。
***
入り口の滑り台の前に立っていたのは、深い緑色の外套を羽織り、透き通るような金髪と長い耳を持つ五人の集団――エルフだった。
先頭に立つ凛とした顔立ちの女性エルフが、俺たちを見るなり、武器を持たない両手を高く掲げた。
「我々は樹海王国アルフヘイム、女王エルフレイアの命を帯びた『風の使者』。私は使節長のリリア。……突然の訪問をお許しいただきたい。偉大なる迷宮の主よ」
「俺はマスターのシンだ。……人間ではなく、森の住人であるエルフが俺に何の用だ?」
俺が警戒を解かずに尋ねると、リリアは恭しく懐から一通の封筒を取り出した。
世界樹の葉で綴られた、エルフの女王からの『親書』だ。
「我が女王は、貴方様の生み出す魔力に『森を害する悪意』がないことを見抜かれました。ゆえに、争いではなく対話を望んでおられます」
リリアは親書を差し出しながら、周辺国の不穏な動きを口にした。
彼女の話によれば、東の『聖王国』は冒険者ギルドを通じて斥候を放ち始めており、西の『魔導帝国』に至っては、この迷宮を「動力源」として狙い、すでに先遣隊の軍を派遣したという。
「彼らは近日中に、この森の深部へ到達するでしょう。我々エルフは、森が戦火に巻き込まれることを良しとしません。もし貴方が理のあるお方ならば、情報を共有し、手を取り合いたいのです」
なるほど。事態は俺の想像以上に早く動いているらしい。
俺は親書を受け取り、一つ息を吐いた。
「……事情は分かった。だが、こんな泥臭い洞窟の入り口で立ち話をするのも、女王の使者に対する礼儀に欠けるな」
「えっ?」
俺はルリに念話を飛ばした。
(ルリ、現在のDPは?)
(生体バッテリーとトレントたちの加入で、1200 DPあります!)
(よし、500 DP使え。この第1層の入り口の横に、エルフをもてなすための『豪華な応接室』を創り出せ)
俺が指を鳴らした瞬間。
ゴゴゴゴォォォッ!!
大地が鳴動し、固い岩壁が泥のように溶けて変形していく。
リリアたちエルフの使者は、突如として始まった大規模な地形変動に悲鳴を上げそうになり、震えながら身を寄せ合った。
数秒後、ただの洞窟だった空間の横に、大理石のような滑らかな床、優雅なアーチ状の天井、そして美しい木のテーブルとふかふかのソファを備えた『応接室』が錬成されていた。
「さあ、入ってくれ。うちの料理長に、極上のハーブティーと菓子を用意させよう」
俺が悠然とソファに腰掛けると、エルフたちは愕然と目を見開いたまま固まっていた。
「あ、あり得ない……。無詠唱で、これほどの大規模な地形操作を、一瞬で……!?」
「それに、あのホブゴブリンやアラクネ、魔獣たち……。恐怖で支配されているわけではない。彼に心からの忠誠と親愛を向けている……」
リリアは足の震えを隠すように、深く息を吸い込んだ。
長寿のエルフの歴史に照らし合わせても、こんな規格外の存在は見たことがない。怒らせれば、森ごと王国を消し飛ばされるかもしれない絶対的な強者。
しかし同時に、彼女たちは理解した。
この記憶喪失の青年は、無闇に力を振るう破壊者ではない。礼を尽くせば、これほど美味い茶を出し、笑顔で対話に応じる「良識」を持っているのだと。
(……女王陛下の慧眼は正しかった。彼は絶対に敵に回してはいけない存在。だが、親交を深めれば、帝国や聖王国をも退ける『最強の盾(味方)』になる!)
温かなハーブティーの香りが漂う応接室で。
記憶喪失のダンジョンマスターとエルフの使者は、人間たちの侵略を迎え撃つための、最初の同盟関係を結ぼうとしていた。




