第110話:新大陸の屈服と、海を越えた不穏な影
第110話:新大陸の屈服と、海を越えた不穏な影
「ひっ……!? あ、あ、あれは伝説に聞く『海皇竜』!? な、なぜあのような神話の化け物が、浮き輪をつけて海に浮いているのだ……ッ!?」
第3都市『リゾート階層』の真っ白な砂浜。
神聖ラングス帝国の特命全権大使・バルバロッサ侯爵は、支給されたアロハシャツとハーフパンツという珍妙な姿のまま、白目を剥いて砂浜にへたり込んでいた。
彼の背後に控える使節団の面々も、ガチガチと歯の根を鳴らしながら、目の前で繰り広げられる「狂気の光景」に震え上がっている。
「おおーい、そっちの氷の魔法、ちょっと出力が高すぎるわよ! かき氷が雪崩になっちゃうじゃない!」
「す、すまん! つい力が入ってしもうた!」
彼らの視線の先では、大陸の裏社会を牛耳る『賢人会』の女傑と老魔術師が、子供のようにはしゃぎながら巨大なかき氷機(魔導具)を回している。
海を見れば、神話級の古代種たちがビーチバレーに興じて水柱を上げ、屋台では同盟国の王侯貴族たちが、ただの冒険者と肩を組んでエールを煽っていた。
「……バルバロッサ侯爵。これが、我が迷宮の『リゾート』だ。どうだ、くつろげているか?」
「ひぃぃっ! マ、マスター・シン様!!」
冷たいトロピカルジュースを手にした俺が声をかけると、侯爵は砂浜に額をこすりつけて平伏した。
「そ、想像を絶する光景でございます! 絶対の力を持つ魔獣や、各国の頂点に立つ者たちが、身分を忘れてただの客として笑い合っている……。我が帝国が数千年かけて築いた文明も富も、この絶対的な平和と豊かさの前では、砂上の楼閣に過ぎなかったと痛感いたしました!」
侯爵は涙と鼻水を流しながら、俺の足元にすがりついた。
「マスター・シン様! どうか、どうか我が神聖ラングス帝国も、この偉大なる迷宮の末席に加えていただきたい! 我が国の誇りも武力も、すべて放棄いたします。ですから、どうかあの衛星都市での取引を、我が国にもお許しください!」
「……いいだろう」
俺はパラソルの下のデッキチェアに腰を下ろし、冷ややかな視線で見下ろした。
「だが、取引を許す条件として、うちの『ルール』には絶対に従ってもらう。我が迷宮の技術や商品を独占しようとしたり、他国を理不尽に侵略したり、衛星都市で身分を振りかざして暴れれば……どうなるか、分かっているな?」
「も、もちろんでございます!!」
侯爵は、頭上(宇宙空間)に浮かぶ衛星兵器の噂を耳にしているのか、恐怖に顔を引き攣らせて何度も頷いた。
「我が国は、迷宮国家の掲げる『絶対平等のルール』を遵守し、永遠の友好と不可侵の盟約を結ぶことを、皇帝陛下の名に代えてここに誓約いたします!」
こうして、新大陸を支配する超大国は、一切の軍事衝突を経ることなく、俺の用意した書面に震える手でサインをし、完全なる軍門に降った。
「これは、盟約の証としての貢物でございます。我が新大陸の全土を網羅した『魔力地勢図』と、古代の歴史書です。どうか、マスターの暇つぶしにでもお納めください」
侯爵が恭しく差し出したのは、精巧な細工が施された巨大な水晶板だった。
そこには、新大陸の広大な地形と、魔力脈の流れが美しい光の線で描かれている。
「へえ、魔法でここまで精密な地図を作れるとはな。新大陸の魔法技術も捨てたものじゃない……ん?」
俺は、水晶板に描かれた地図を何気なく眺めていた。
だが、次の瞬間――俺の視線は、新大陸の北端に広がる広大な「空白地帯」に釘付けになった。
「……侯爵。この北の果てにある、魔力脈が一切描かれていない『黒い穴』のような場所はなんだ?」
俺の問いに、侯爵の顔からスッと血の気が引いた。
「そ、それは……『禁忌の奈落』と呼ばれる場所です。神話の時代から、あそこには一切の生命が存在せず、立ち入った者は誰も帰ってきません。帝国の調査隊も何度も派遣しましたが、あそこに近づくほど魔力が『吸い取られ』、最後には塵となって消滅してしまうのです。我々にとっては、触れてはならない世界の果てであり……」
「……」
俺は無言で立ち上がった。
先程までの和やかなバカンスの空気が、一瞬にして凍りつく。
「侯爵、ご苦労だった。盟約の締結を歓迎する。今日はこのまま、存分に屋台の飯を食って休んでいくといい」
「は、ははっ!」
俺は背を向け、影に潜んでいたミラージュに手信号を送った。
「至急、マスターズ・チェンバーへ。幹部たちを全員集めろ」
***
数十分後。
水着からいつもの防具や白衣に着替えた幹部たちが、張り詰めた空気のマスターズ・チェンバーに集結した。
円卓の中央には、侯爵から受け取った「新大陸の魔力地勢図」と、俺たちの宇宙基地の衛星から送られてきた「詳細なマッピングデータ」が重ね合わせて投影されている。
「マスター。……バカンスを切り上げての緊急招集とは、ただ事ではありませんね」
レオンハルトが鋭い視線をホログラムに向ける。
「ああ。とんでもない『爆弾』を見つけてしまった」
俺は、ホログラムの北の果て――『禁忌の奈落』と呼ばれた空白地帯を指差した。
「衛星からのGPSと魔力探知を使って、この空白地帯を上空から強制的にスキャンしてみた。その結果がこれだ」
俺がパネルを操作すると、真っ黒だった空白地帯の奥底に、禍々しい赤黒い光の渦が浮かび上がった。
それを見た瞬間、ファウストが「ヒッ……!?」と短い悲鳴を上げ、ガストンが「なんちゅう禍々しい魔力だ……」と大槌の柄を強く握りしめた。
「マスター、これは……『ダンジョンコア』の魔力波長と酷似しています。しかし、規模が異常すぎる。ルリちゃんのコアの、数十倍……いや、数百倍の質量と密度です!」
ミラージュが、震える声で解析結果を読み上げる。
「ああ。しかも、こいつは周囲にDPや魔力を還元していない。逆に、新大陸全体の魔力を『ブラックホールのように吸い上げ続けている』」
俺は重々しい声で告げた。
「帝国で暴れようとした機巧魔神。そして、暗躍していた『狂宴の残党』ども。あいつらが本当に崇拝し、復活させようとしていたのは、この新大陸の奥底で眠りながら魔力をすすり続けている『邪神のコア』……いや、原初のダンジョンそのものだ」
幹部たちの間に、戦慄が走った。
これまで俺たちは、圧倒的なインフラと豊かさで世界を「経済的」に支配してきた。
だが、この新大陸の果てにあるモノは、経済もルールも通用しない。世界そのものを喰らい尽くす、純粋なる破滅の意思だ。
「……マスター。もし、この巨大な『邪神のコア』が完全に目覚めれば、どうなりますか?」
リリアが青ざめた顔で尋ねる。
「新大陸はおろか、俺たちのいるこの大陸の魔力すらも根こそぎ吸い尽くされ、星全体が死の星になるだろうな。……今までのように、防衛網に引きこもって相手が自滅するのを見ているわけにはいかなくなった」
俺はゆっくりと玉座から立ち上がり、幹部たちの顔を見渡した。
「平和な箱庭作りはここまでだ。これより、我が迷宮国家の全戦力をもって、新大陸の『禁忌の奈落』への大規模遠征作戦を発動する。……世界を喰うバケモンを、俺たちの手で叩き潰すぞ」
「「「御意ッ!!」」」
幹部たちの闘志に満ちた咆哮が、チェンバーを揺るがす。
極上のバカンスと豊かさの裏で静かに口を開けていた、世界最大の脅威。
残高ゼロから始まった俺たちの迷宮経営は、ついに星の命運を懸けた最終決戦の地、新大陸へとその矛先を向けるのだった。




