想定外ではない。計画の範疇にないだけで。――芳野へ到着した俺が見せられたのは、そんな生易しい展開(シロモノ)ではなかった。
流石にそれは、妄想と言って差し支えないくらい、突拍子もない。なさすぎる。
そう思いながら、骨の可能性のある、白くて滑らかなその欠片を手にしたまま、俺はしばらくの間、動けなかった。
形状と質感はそれらしい気がした。重量も、指先に伝わる感触も、月面基地で見たものと似ている。
だが俺は骨の専門家ではないし、分析装置もなければ顕微鏡すらない。ましてや遺伝情報を調べる手段など望むべくもなく、今の俺にできるのは、悔しいことに、白く黄ばんだそいつを、太陽へ透かして眺めることくらいしかなかった。
科学文明というものは、こういうときに腹が立つほど不便である。
いや、不便なのは俺だ。
科学文明の全部を未来に置いてきた俺が不便なのだ。
「返してやれ」
手の中の欠片を更にひっくり返し始めた俺をみかねたのだろう。かぐやが声を掛けてきた。
「もう少し」
「婆が嫌そうな顔をしておる」
「重要なことなんだ」
「おぬしにはな」
「そうだ。俺には重要さ」
言った瞬間、はっとなって、老婆を見た。
本当に嫌そうな顔をしている。
仕方なく返す。
老婆は俺の掌から白い欠片を受け取ると、確かめるように一度撫で、また首から下げた。
俺は歩き出した。
三歩目で止まる。
「待て」
「今度は何じゃ」
「あかつちの星って、この婆さまがそう言ったのか?」
「言うた」
「お前がそう訳したんじゃなく?」
「何が違う」
「大違いだ」
俺は老婆を指した。
「もう一度聞いてくれ。星なのか。空にある星なのか。それとも赤い土地とか、赤い国とか、そういう意味じゃないのか」
「面倒じゃ」
「頼む」
「嫌じゃ」
「昨日、お前の母親を探すのについていくと言っただろ」
「勝手についてきたのであろう」
「⋯⋯そうだった」
交渉材料にならなかった。
結局、俺は自力で老婆に尋ねることにした。
知っている単語を並べ、空を指し、地面を指し、西を指し、もう一度空を指す。
傍から見れば奇妙な踊りにしか見えなかっただろう。
老婆は困惑していた。
かぐやは笑っていた。
「見てないで助けろ」
「面白いから嫌じゃ」
「お前、本当にそういうところあるよな」
しばらく俺の悪戦苦闘を楽しんでから、ようやくかぐやが通訳した。
老婆は答えた。
かぐやが訳す。
「空にある」
「星?」
「星」
「赤い?」
「赤い」
「恐ろしい王がいる?」
「おる」
「人間か?」
老婆が首を傾げた。
質問が伝わらなかったらしい。
かぐやが言い換える。
老婆はしばらく考えたあと、何か長く話した。
「何て?」
「知らぬ」
「お前が知らないんじゃ通訳の意味がないだろ」
「婆も知らぬと言うておる。人なのか、神なのか、化け物なのか知らぬ。ただ、その星を治めておる恐ろしい王だと」
俺は歩きながら考えた。
赤い星。
恐ろしい王。
西の果てより、さらに西。
そして骨らしき装飾品。
俺の知識は、一つの答えを提示している。
火星。しかも、不思議なことに、前々世紀末に、にわかに日本を賑わせた予言のような顔までした。
だが、それはあまりにも俺に都合のいい答えだった。
人間は自分が知っているものに似た情報を与えられると、それを同じものだと思いたがる。赤い星なら火星。恐ろしい王ならノストラダムスの大予言。
ここへ来てからの俺は、その罠に何度も落ちかけている。
さっきだってそうだ。
西から来た身分の高い一行と聞いただけで都だと思った。
実際には芳野だった。
だから俺は、頭の中の連想を一旦全部、切り離した。
白い物体が骨である。
未確認。
月面基地で見た骨と同一、あるいは同じ人物に由来する。
未確認。
あかつちの星が火星を意味する。
未確認。
老婆の一族と、俺の恋人の母親に何らかの関係がある。
未確認。
俺と一緒に月面基地から何かがこの時代へ移動した。
未確認。
やってみると、見事なまでに、何一つ確認できていなかった。
「どうした」
かぐやが隣へ来た。
「何が」
「さっきから黙っておる」
「考えてる」
「珍しい」
「俺を何だと思ってるんだ」
「竹林に落ちていた男」
「お前の中で俺の身分、それで固定されたのか?」
「違うのか」
「違うと言い切れないのが腹立つな」
かぐやは笑った。
俺はもう一度、少し前を歩く老婆の背中を見る。
白と金の混じった髪が揺れている。
「なあ」
「何じゃ」
「あの婆さんの名前、聞いたか?」
「聞いた」
「教えてくれ」
かぐやが言った。
聞き慣れない名前だった。
俺は一度復唱し、失敗した。
かぐやが訂正する。
もう一度言う。
また違うと言われた。
「難しいな」
「おぬしの名よりましじゃ」
「俺の名前は普通だ」
「わらわには普通ではない」
それもそうだった。
「じゃあ、あの若い男は?」
「知らぬ」
「昨日、あれだけ長々と紹介されてただろ」
「聞いておらなんだ」
「お前もかよ」
「わらわを連れに来た男の名など、どうでもよい」
俺は前方を見た。
例の若い男は、年長の男と何か話しながら歩いている。
時折こちらを見る。
正確には、俺ではなく、かぐやを見ていた。
やはり気に入らない。
「何じゃ」
「何でもない」
「妙な顔をしておるぞ」
「生まれつきだ」
「それは昨日聞いた」
俺たちは歩いた。
*
芳野までの道のりは、俺が想像していたより長かった。
そもそも、何日かかるのか尋ねても答えが一定しない。
山を越える。
川を渡る。
天候によって道を変える。
途中で食糧を得られる場所も違う。
二十二世紀の感覚なら、出発地点と目的地を指定すれば到着予定時刻は秒単位で出る。月から火星へ行く旅ですら、少なくとも出発前には航路と日程が決まっていた。
ところが、この時代の旅は違う。
道そのものが不確定要素だった。
出発の翌日にはそれを思い知った。
雨が降った。
それだけで予定していた道が使えなくなった。
山から流れてきた水で川が増し、渡るはずだった場所を渡れないという。
「では、どうする」
俺が尋ねると、年長の男は迂回すると答えた。
「どれくらい遅れる」
俺の言葉がうまく通じず、かぐやが間に入った。
返ってきた答えは曖昧だった。
「一日か、二日」
「ずいぶん幅があるな」
「雨がやまねば、もっとだと」
「予定は?」
「変わる」
「到着日は?」
「変わる」
「困らないのか」
かぐやが年長の男へ伝える。
男は不思議そうな顔をした。
そして何か答えた。
「何て?」
「雨が降ったのだから仕方ない、と」
「強いな、この時代の人間」
「雨を止められるのか、おぬしは」
「無理だ」
「なら同じではないか」
「二十二世紀には予報というものがあってだな」
「雨を止められるのか」
「止められない」
「同じではないか」
「違うんだよ」
「何が」
「心構えが」
言ってから、自分でも苦しいと思った。
かぐやは案の定、鼻で笑った。
結局、俺たちは山裾の小さな小屋で今日の移動を切り上げた。なんのために設けられた小屋なのかは分からない。
旅人のためなのか、近くの人間が使うものなのか、それとも宗教的な何かなのか。俺の知識では判断できなかった。
屋根があって、雨を避けられる。
その時点では十分だった。
武装した男たちが火を起こした。
俺は壁際に座り、濡れた衣を絞る。
「最悪だ」
「雨くらいで大袈裟な」
「お前、寒くないのか」
「寒い」
「じゃあ大袈裟じゃないだろ」
かぐやが俺の隣に座った。
老婆は少し離れたところにいる。
例の白い飾りは衣の中へ隠れていた。
あれ以来、俺は何度も視線を向けてしまう。
調べたい。
削って成分を調べたい。
顕微鏡で見たい。
年代測定をしたい。
可能なら遺伝情報も採りたい。
やりたいことだけならいくらでも思いつく。
できることは一つもない。
この時代へ来てから、俺は科学とは知識の集合ではないのだと嫌というほど思い知らされていた。
方法だけでもない。
器具がいる。
材料がいる。
測定基準がいる。
記録がいる。
過去の研究がいる。
そして、それらを作り、維持し、次の人間へ渡す膨大な数の人間がいる。
科学者一人を千年前へ投げ込んだところで、科学文明が一緒についてくるわけではない。
俺が持っているのは知識だ。
だが、知識だけでは骨一本まともに調べられない。
「腹が立つ」
「何がじゃ」
「俺が無力なのが」
かぐやは少し考えた。
「今ごろ気づいたのか」
「お前、俺に厳しくない?」
「ほんとうのことだけを言っておる」
「面白くないな」
「なら嘘にしておけ」
俺は笑った。
そのとき、若い男がこちらへ来た。
笑いが引っ込んだ。
「何だ」
「なぜおぬしが嫌そうな顔をする」
「してない」
「しておる」
若い男がかぐやに声を掛けて、何か尋ねた。
かぐやが答える。
俺には半分くらいしか分からない。
「何の話だ」
「雨の話じゃ」
「嘘だな」
「なぜ分かった」
「お前が俺を見なかったから」
かぐやが黙った。
図星らしい。
「何て聞かれた」
「芳野へ着いたあとのことじゃ」
「何がある」
「知らぬ」
「またそれか」
「本当に知らぬ」
若い男が俺へ向き直った。
何か言った。
「ゆっくり頼む」
今度は多少分かった。
芳野。
俺。
来る。
なぜ。
「俺が芳野へ行く理由か?」
若い男が頷いた。
「知りたいことがある」
「何を」
今度の言葉は分かった。
「いろいろだ」
若い男は答えを待っている。
俺は迷った。
かぐやの母親。
西方から来た人々。
古代ギリシアに由来するかもしれない物語。
老婆の首に掛かっていた骨らしきもの。
あかつちの星。
そして俺自身の時間跳躍。
どこまで話すべきなのか判断できない。
「俺が、どこにいるのかを知りたい」
結局、そう答えた。
若い男が首を傾げた。
「場所の話じゃない」
当然、さらに分からない顔をされた。
「今がいつなのか。ここがどういう国なのか。俺がどうしてここにいるのか。それを知りたい」
かぐやが途中から訳した。
若い男は俺をじっと見た。
そして尋ねた。
お前は、本当に月から来たのか。
「ああ」
笑われると思った。
だが、笑わなかった。
若い男は老婆を見た。
老婆もこちらを見ている。
二人の視線が交わった。
俺はそれを見逃さなかった。
「何だ」
返事はない。
「今のは何だ」
若い男は立ち上がった。
「おい」
去っていく。
俺も立とうとしたが、かぐやに袖を掴まれた。
「待て」
「何で」
「今はやめておけ」
「お前、何か知ってるのか」
「知らぬ」
「その『知らぬ』、便利すぎないか?」
かぐやは袖を離した。
そして火を見ながら言った。
「芳野へ着けば分かる」
「何が」
「それを知るために行くのであろう」
まったく、その通りだった。
*
雨は翌朝まで続いた。
予定より一日遅れたらしい。
誰も焦っていなかった。
俺だけが、予定というものに対する彼らの態度を理解できずにいた。
年長の男に聞いてみた。
芳野では、いつ戻ることになっていたのか。
答えはあった。
何日かの幅を持たせたものだった。
雨で遅れることも、道が使えなくなることも、誰かが怪我をすることも考えられている。
「じゃあ、遅れること自体は想定していたのか」
かぐやを介して尋ねる。
男は少し考え、頷いた。
「なら問題ない?」
また頷く。
「どこまで遅れたら問題なんだ」
説明された。
全部は理解できなかった。
だが、考え方は分かった。
遅延そのものは珍しくない。
何日か余計にかかることは初めから考えている。
ただし、一定の日を越えれば芳野側が別の人間を出すらしい。
俺は妙に感心した。
「ちゃんと考えてるんだな」
「何を驚いておる」
かぐやが言った。
「いや、もっと行き当たりばったりかと思ってた」
「馬鹿にしておるのか」
「少し」
かぐやが俺の脛を蹴った。
「痛い」
「少しじゃ」
雨が弱くなった。
俺は外を見る。
山には霧が掛かっていた。
そこで、ふと思った。
想定外。
二十二世紀では便利な言葉だった。
事故が起きた。
想定外だった。
機器が故障した。
想定外だった。
予測モデルから外れた。
想定外だった。
だが、本当に予測できなかったことと、予測はしていたが具体的な手順へ組み込んでいなかったことは違う。
危険性を知っていた。
起こり得ることも知っていた。
ただ、それが起きた場合の計画を作っていなかった。
それを「想定外」の一言で片づけるのは、少なくとも俺がいた世界ではあまり褒められた態度ではなかった。
雨は想定外ではない。
計画の範疇にある。
では。
俺は老婆を見た。
あの白い欠片は?
かぐやと俺の恋人が同じ顔をしていることは?
千年以上前の日本に、ルキアノスの物語が伝わっていることは?
そして、俺が月面基地からこの時代へ飛ばされたことは?
想定外。
そう呼ぶのは簡単だった。
だが俺は、その言葉が急に嫌いになった。
誰にとって想定外なのか。
俺にとっては、もちろんそうだ。
だが、もし。
俺がここへ来ることを、誰かが想定していたとしたら。
その可能性だけは、まだ捨てるべきではなかった。
*
雨が上がってから、道は急に険しくなった。
山へ入ったからだ。
俺は何度も足を滑らせ、そのたびにかぐやに笑われた。
「月の男は歩くのが下手じゃな」
「月面でこの傾斜ならもっと楽なんだよ」
「また月の話か」
「重さが六分の一だからな」
「六分の一」
「そう」
「なら、おぬしも六つに分かれるのか」
「分かれない」
「つまらぬ」
「何を期待してるんだ」
「六人のおぬし」
「一人でも持て余してるだろ」
「それはそうじゃ」
俺たちはそんな話をしながら歩いた。
途中、道が二つに分かれた。
年長の男が迷わず片方を選ぶ。
道と呼ぶには細い。
俺には獣道にしか見えなかった。
「本当にこっちか?」
「そうだと」
「もう一方のほうが歩きやすそうだけど」
かぐやが男へ尋ねる。
返事を聞き、俺を見る。
「あちらは使わぬそうじゃ」
「なぜ」
「人がおる」
「人?」
「見張る者がおる、と」
俺は足を止めた。
「誰を?」
かぐやが尋ねる。
年長の男は短く答えた。
「何て」
「道を」
「誰が道を見張ってる」
男は答えなかった。
若い男が代わりに何か言った。
今度は、俺にも一語だけ分かった。
都。
「都?」
若い男を見る。
「都の人間が見張ってるのか?」
若い男は首を振った。
違うらしい。
もう一度説明される。
俺には分からない。
かぐやも眉を寄せていた。
「何だ」
「都より来た者ではない」
「じゃあ?」
「都へ知らせる者がおる、と」
「何を知らせる」
かぐやが尋ねた。
若い男は、初めて答えるのをためらった。
視線がかぐやへ向く。
それで分かった。
「……お前のことか」
かぐやの顔から笑みが消えた。
年長の男が若い男へ何か強い口調で言った。
若い男が言い返す。
二人がしばらく話す。
「何て言ってる」
「わらわにも全部は分からぬ」
「分かるところだけでいい」
かぐやは黙って聞いた。
やがて言った。
「わらわを芳野へ連れて行ったことを、都にはまだ知られたくないらしい」
「なぜ」
「知らぬ」
今度の「知らぬ」は、俺も責められなかった。
俺は一行を見た。
四人の武装した男。
年長の男。
若い男。
金色の髪をした老婆。
彼らは単に、行方不明になった少女を母親のところへ連れ帰ろうとしているのだと思っていた。
少なくとも、昨日までは。
だが、どうも違う。
かぐやを探していた。
何年も。
ようやく見つけた。
それなのに、堂々と芳野へ帰ることができない。
都へ知られることを避けている。
「なあ、かぐや」
「何じゃ」
「お前、本当に何者なんだ」
「わらわが知りたい」
そう言われてしまえば、何も返せなかった。
*
その日の夕方。
山中で野営の支度をしていると、年長の男が俺を呼んだ。
正確には、呼ばれたらしい。
俺は自分の名前が発音されるまで気づかなかった。
男のところへ行く。
若い男もいた。
老婆はいない。
かぐやもいない。
「何だ」
年長の男が座るよう示した。
俺も座る。
しばらく沈黙した。
男は俺に何か尋ねた。
聞き取れない。
「ゆっくり」
言い直される。
月。
来る。
いつ。
それくらいは分かった。
「いつ月から来たのか?」
頷く。
「百日くらい前だ」
男の顔が動いた。
若い男を見る。
若い男も何か言う。
俺には分からない。
「何だ」
年長の男が続けた。
今度は日付らしきものを言っている。
この時代の暦を俺はまだ理解していない。
「待て。かぐやを呼んでくれ」
男は首を振った。
「なぜ」
もう一度、質問。
月から来たのはいつか。
「だから、百日くらい前だ」
男は指を使った。
何か数えている。
若い男も加わる。
俺は嫌な予感がした。
「何を数えてる」
当然、答えはない。
しばらくして、年長の男が顔を上げた。
そして一言。
分からなかった。
「何だ?」
もう一度言う。
やはり分からない。
若い男が立ち上がり、老婆を呼んだ。
老婆が来る。
三人で何か話す。
俺だけが取り残された。
「おい」
無視される。
「せめて通訳を呼べ」
ようやく、かぐやがやって来た。
「何をしておる」
「俺が聞きたい」
俺は三人を指差した。
「こいつら、俺がいつ月から来たのか聞いてきた」
「それで?」
「百日くらい前だと答えたら、急にこれだ」
かぐやが年長の男に尋ねる。
男が答える。
かぐやの表情が変わった。
「何だ」
返事がない。
「またそれやるのか」
「……おぬしがここへ来たころ」
「ああ」
「芳野で、妙なことがあったそうじゃ」
俺は黙った。
「妙なこと?」
「夜に」
かぐやは男へ確認した。
「空が光った」
「雷か?」
「雨はなかった」
「流星」
「分からぬ」
「どんな光だ」
かぐやが尋ねる。
説明を聞く。
「月の近くに、もう一つ月が現れたように見えた、と」
背中に冷たいものが走った。
「いつだ」
「だから、おぬしがここへ来たころじゃ」
「同じ日か?」
男たちは答えられなかった。
暦と俺の記憶を正確に照合できない。
当然だ。
俺自身、自分がこの時代へ来た日を彼らの暦で記録していない。
「他には」
かぐやが聞く。
老婆が答えた。
「その翌朝、山で何か見つかった」
「何を」
老婆が俺を見た。
その視線で、嫌な予感が確信に変わった。
かぐやが言った。
「白い石のようなもの」
「石?」
「そう見えた、と」
「どこにある」
年長の男が芳野の方角を指した。
俺は立ち上がった。
「明日着くのか」
「まだじゃ」
「あと何日」
「二日ほど」
「急げないのか」
「夜の山を歩くつもりか」
「無理か?」
「死にたいのか」
「それは困る」
俺は座り直した。
心臓が速い。
空の光。
白い物体。
俺が現れた時期。
老婆が持つ骨らしきもの。
赤い星の伝承。
まだ何も繋がっていない。
繋げてはいけない。
証拠が足りない。
だが、仮説を立てることまで禁じる必要はない。
「想定外じゃな」
俺の時代の語彙を使って、かぐやが言った。
「何が」
「おぬしが月から落ちてきたとき、芳野でも妙なことが起きておった」
「想定外ではない」
「では、何じゃ」
俺は少し考えた。
かぐやには通じない言い回しかもしれない。
「計画の範疇にないだけだ」
「同じではないか」
「違う」
「どう違う」
「想定外というのは、考えてもいなかったことだ。計画の範疇にないというのは、可能性として考えることはできても、起きたときにどうするか決めていなかったことだ」
「やはり同じに聞こえる」
「科学者には違うんだよ」
「面倒な生き物じゃな」
「そうかもな」
俺は空を見た。
雲の切れ間から月が見えていた。
あそこから俺は消えた。
そして、千年以上前の日本へ来た。
ここまでは事実だ。
では、芳野で起きたという現象は何だったのか。
俺と関係があるのか。
あの骨らしきものは何なのか。
なぜ老婆は「あかつちの星」の話を知っている。
俺にはまだ分からない。
だが、芳野へ行けば、少なくとも観測対象は増える。
科学者にとって、それは悪いことではない。
「なあ、かぐや」
「何じゃ」
「芳野へ着いたら、俺に何が起きても驚くなよ」
「なぜ」
「今のうちに想定しておけば、想定外じゃなくなる」
「では、おぬしが明日、熊に食われることも想定しておこう」
「やめろ」
「崖から突き落とされる」
「やめろって」
「毒のあるものを食べる」
「俺を芳野まで連れていく気ある?」
「全部想定しておけば安心なのであろう?」
「そういう話じゃない」
かぐやが笑った。
俺も笑った。
このときの俺は、まだ一つ勘違いしていた。
芳野で見つかったという白いもの。
俺は当然、それが俺と同じように月面基地からこの時代へ落ちてきた何かなのだと考えた。
物体なのか。
装置なのか。
あるいは、俺が知らない何かなのか。
その程度の違いしか想定していなかった。
だから二日後。
芳野へ着いた俺は、それを目の前にして、しばらく言葉を失った。
白い石ではなかった。
石に見えただけだった。
土と草に半ば埋まりながら、それは千年以上前の山中に存在していた。
俺は、その表面に残った文字を知っていた。
読めた。
この時代へ来てから初めて、誰の助けも借りずに、一文字残らず読むことのできる文章だった。
そこには、こう書かれていた。
製造者名。
規格番号。
注意事項。
そして。
製造年。
二一一七年。
俺が月から消えた、年の前年だった。
――宇宙ごみ
この時代には、絶対に存在しないその言葉が、自然に、脳裏へと浮かび上がった。
月の方からやってきた作者不詳です。四話目もご覧いただき、ありがとうございます。SFのタグは飾りではないのですよ。
もしも、ここまでのエピソードが面白かったら、次回も懲りずにご覧ください。予想外の振り戻しがあるやもしれません。
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