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この無能!仕事が遅いぞ!と罵られた公爵令嬢は、婚約破棄されて自由を手に入れる。今まであなたの仕事もしていたのは私ですよ~どうなっても知りませんわ  作者: 山田 バルス


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第四話 私は無能ではありません――そう言えなかった



 突然の国王陛下からの呼び出し。


「……何があったのかしら」


 王宮の長い廊下を歩きながら、私は何度も考えた。

 けれど、答えは出ない。

 やがて国王執務室の前に到着する。


「アリーゼ・アントワープ公爵令嬢。お連れしました」

「入れ」


 中から低い声が返ってきた。

 扉が開く。


「失礼いたします」


 私はドレスの裾を整え、部屋へ入った。

 国王レオナルド陛下が、机の向こうに座っている。


 その隣には王妃マチルダ様。

 そして――。


「……殿下」


 ランスロット殿下。

 さらに、その後ろにはレオポルド様と宰相マルクス様までいた。


 私は思わず足を止めた。

 どうして、この人たちが全員ここにいるのだろう。


「来たか、アリーゼ嬢」


 国王陛下が言った。


「はい。お呼びいただき、ありがとうございます」

「そこへ座りなさい」

「失礼いたします」


 私は用意された椅子に腰を下ろした。

 王妃様が心配そうに私を見ている。

 その視線だけが、唯一の救いだった。


「アリーゼ嬢」


 国王陛下が口を開いた。


「いくつか確認したいことがある」

「はい」


「最近、王太子の執務を手伝っているそうだな?」

「……はい」

「どの程度だ?」


 私は少し考えた。


「殿下からお預かりした書類を確認し、必要なものについては整理しております」

「それだけか?」

「……」


 私は答えに迷った。

 正直に言えば、それだけではない。


 王国の財政資料。

 外交関係の書類。

 交易契約。

 先月の小麦輸入契約では、私が輸送費の計算を見直したことで、予定より金貨三百枚も節約できた。

 私が処理してきた書類は、数え切れない。


「殿下からお預かりした仕事は、できる限り処理しております」

「できる限り?」


 ランスロットが口を挟んだ。


「父上。彼女は自分がどれほど仕事を滞らせているのか理解していません」

「殿下……」


 私は思わず顔を上げた。


「私は、滞らせてなど――」

「ならば聞こう」


 ランスロットが冷たく笑う。


「なぜ私の机には、いつも処理できていない書類が残っている?」

「それは……」


 言葉に詰まった。

 残っている?


 確かに、毎日のように書類は届く。

 けれど私は、期限を確認しながら処理している。

 少なくとも、自分が受け取ったものを放置したことは一度もない。


「私は、期限に間に合うよう処理しているはずです」

「はず?」


 ランスロットの眉が動いた。


「ずいぶん曖昧な言い方だな」

「……」


 胸が痛んだ。

 私は何かを間違えているのだろうか。


「アリーゼ嬢」


 国王陛下が静かに言った。


「お前は、自分の仕事ぶりについてどう思っている?」

「……」


 私は答えられなかった。

 正直に言えば――。


 最近、自信がない。

 朝から夜まで働き、勉強もしている。

 それでも、殿下には「遅い」と言われる。


 学院にも行けず、眠る時間もない。

 それなのに、まだ足りない。


「……もっと努力が必要だと思っています」


 口にした瞬間。

 ランスロットが小さく息を吐いた。


「ほら、父上」


 その声には、どこか得意げな響きがあった。


「本人も、自分の能力不足を認めています」

「それは違いますわ」


 王妃マチルダ様が、はっきりと言った。


 私は驚いて王妃様を見る。


「アリーゼ嬢は、努力が足りないなどとは言っていません」

「母上……」

「彼女は『もっと努力が必要』と言っただけです」


 王妃様の瞳が鋭くなる。


「それを『能力不足を認めた』と解釈するのは、少し都合がよすぎるのではありませんか?」


 ランスロットが黙った。

 私は胸が熱くなった。

 誰かに庇ってもらったのは、いつ以来だろう。


「ありがとうございます……」


 小さく呟く。

 王妃様は、ほんの少し微笑んだ。


「礼など必要ありません」


 そして、国王陛下を見る。


「陛下。調査の結果は?」

「ああ」


 国王陛下が机の上の書類を一冊取り上げた。


「アリーゼ嬢の執務記録を確認した」


 心臓が跳ねる。


「そこには、王太子宮の書類を数多く処理した記録が残っている」

「はい」


「だが、問題がある」

「問題……?」


 国王陛下は一枚の書類を差し出した。


「この書類だ」


 私は立ち上がり、書類を受け取った。

 目を通す。


「……これは」


 昨日、私が確認した交易契約書だった。


「この書類について、殿下から『処理が遅れている』との報告を受けている」

「……」


「本当なのか?」


 私は書類を見つめた。

 確かに、そこには私の名前が記されている。


「アリーゼ様」


 レオポルド様が静かに口を挟んだ。


「こちらの書類は、期限を過ぎてから処理されたと記録されています」

「……いいえ」


 私は首を振った。


「違います」


 部屋の空気が変わった。


「何が違う?」


 国王陛下が尋ねる。


「私は、この書類を昨日の昼までに確認しています」

「しかし記録では、昨日の夕方になっている」

「……」


 私は書類をもう一度見る。

 そして――。


「この署名……」

「署名?」

「はい。こちらの確認印も、私が押したものではありません」


 私は書類の端を指差した。

 レオポルドの表情が、一瞬だけ固まった。

 ほんの一瞬だった。

 けれど、私は見逃さなかった。


「アリーゼ嬢」


 マルクス宰相が口を開いた。


「まさか、書類を他人に処理させたのではありませんか?」

「いいえ」


 私は即答した。


「私は自分で確認しました」

「では、なぜ確認印が違う?」

「……分かりません」


 私は正直に答えた。

 分からない。


 だけど――。

 絶対におかしい。

 私が確認した書類と、今ここにある書類は同じものではない。


「アリーゼ」


 ランスロットが冷たく言った。


「自分の失敗を人のせいにするのか?」

「違います!」


 思わず声が大きくなった。

 全員が私を見る。


 私は自分でも驚いた。

 今まで、殿下に何を言われても反論しなかった。


 けれど。

 これは違う。


「私は……間違えていません」


 声が震える。


「私は、この書類を確かに確認しました」

「証拠はあるのか?」

「……ありません」


 私は唇を噛んだ。

 けれど、これだけは譲れなかった。


「ですが、私は間違えていません」


 次の瞬間。


「嘘をつくな」


 ランスロットが言った。


「証拠もないのに、自分が悪くないとは呆れる」

「殿下!」


 王妃様が立ち上がる。


「少し黙りなさい」

「母上――」

「あなたは、アリーゼ嬢の話を最後まで聞きなさい」


 王妃様の声は静かだった。


 けれど、怒りが滲んでいる。

 国王陛下も黙って書類を見つめていた。

 そして――。


「この件は、さらに調べる」

「父上!」

「ランスロット」


 国王陛下が息子を見る。


「私は、お前の話だけを聞いて判断するつもりはない」

「……」

「アリーゼ嬢の話も聞く」


 ランスロットは不満そうに黙り込んだ。

 私は胸の奥で、少しだけ息を吐いた。


 けれど――。

 安心することはできなかった。


 ◇


 国王執務室を出たあと。

 私は一人、王宮の廊下を歩いていた。


「……どうして」


 胸が苦しい。

 私は、何も悪いことをしていない。


 それなのに。

 どうして私の確認印が違っていたのだろう。


「アリーゼ嬢」


 後ろから声がした。

 振り返る。


 王妃マチルダ様だった。


「王妃様……」

「少し、一緒に歩きましょう」

「はい」


 二人で並んで歩く。

 しばらく沈黙が続いた。

 やがて王妃様が口を開いた。


「あなたは、昨日の書類を本当に確認したのね?」

「はい」


「間違いなく?」

「はい」


 私は頷いた。


「私は、書類の数字を三回確認しました」

「そう」


 王妃様は考え込む。


「では、あなたが嘘をついているのでなければ……」


 そこで言葉を止めた。


「誰かが、書類をすり替えた可能性があります」

「……!」


 私は息を呑んだ。


「ですが、まだ決めつけてはいけません」

「はい」

「証拠を見つけるまでは」


 王妃様は私の手をそっと握った。


「あなたは、自分を責めなくていいのです」


 その言葉を聞いた瞬間。

 胸の奥が、熱くなった。


「……ありがとうございます」


 危うく、涙がこぼれそうになる。

 私はずっと。


 自分が悪いと思っていた。

 もっと頑張らなければ。


 もっと早く仕事をしなければ。

 もっと完璧にならなければ。


 そう思い続けていた。

 けれど――。


「私は……本当に、無能なのでしょうか」


 初めて、その言葉を口にした。

 王妃様は足を止めた。


「私は、幼い頃から王太子妃になるために勉強してきました」

「ええ」


「だから、できないと言われるのが怖いんです」

「……」


「私が今までしてきたことが、全部無駄だったように思えて……」


 朝から礼儀作法。

 夜まで勉強。

 外国語。

 法律。

 財政。

 外交。

 今まで学び続けた。

それなのに好きな人から『無能』と言われた。


「いいえ」


 即答だった。


「あなたは無能などではありません」

「でも……」

「アリーゼ」


 王妃様は、私の瞳を真っ直ぐ見つめた。


「自分を疑うのは、証拠が見つかってからでも遅くありません」


 優しい言葉だった。

 その言葉に、私は小さく頷いた。


「……はい」


 ◇


 一方。

 王太子宮の別室。

 レオポルドは、一枚の書類を机の上に置いた。


「明日、アリーゼ様には重要な外交面談を任せるとしよう」

「彼女は外交にも強いですが……」

「だからこそだ」


 マルクスは意味ありげに笑った。


「明日の面談で、少し考えが変わるかもしれんな」

「……承知しました」


 ◇


 その夜。

 私は自室の机に向かっていた。

 王妃様の言葉を思い出す。


『あなたは無能などではありません』


 胸が少しだけ温かくなった。


「……明日は、ちゃんと頑張ろう」


 私は明日の予定表を開いた。

 そこには、見慣れない予定が一つ追加されていた。


「外国商会との外交面談……?」


 私は首を傾げた。

 予定表には、私が担当すると書かれている。


「こんな予定、聞いていないわ」


 けれど。

 私は知らなかった。

 その面談が、私の人生を大きく変えることを。



 その頃、某国の大使館では、ある男たちが、アリーゼとの取引書類を眺めていた。


「アリーゼ嬢は、我が国との交易資料をよく理解している」

「彼女は王太子妃になるのでしょう?」

「実に惜しいことです」


 男は書類を閉じた。


「……だが、もしベルガリアが彼女を手放すのなら」


 口元に笑みを浮かべる。


「我々が迎えるだけだ」

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