第三十六話 ランスロットの政治に怒る市民
それから数日後。
王宮では、ある決定が下されようとしていた。
「シャルミナ様をこのまま王妃にすることは、難しいかと思います」
リヨンセ侯爵が、静かに告げた。
玉座の前に立つランスロットは、眉を寄せる。
「なぜだ?」
「マルクス元侯爵は、王権を奪おうとした反逆者です」
「それは分かっている」
「ですが、シャルミナ王妃様は、その一族の血を引いておられる」
「シャルミナは何もしていない!」
ランスロットが強い口調で言った。
「それは承知しております」
リヨンセ侯爵は頭を下げた。
「ですが、国民がそう思うとは限りません」
「……」
「反逆者となった一族の者を王妃にする。それを快く思わない貴族も、市民もいるでしょう」
ランスロットは黙り込んだ。
「それに」
リヨンセ侯爵は続けた。
「今の王国には、王家と貴族の関係を立て直す必要があります」
「……」
「そして、これはシャルミナ王妃様のご意見でもあります。
私の娘、ララネットを王妃に迎えて欲しいと……」
ランスロットは、すぐには答えなかった。
脳裏に浮かんだのは、王妃シャルミナだった。
自分を愛してくれた女性。
そして。
「……まさか、シャルミナは、王妃を辞退すると言っているのか?」
「はい」
ランスロットは、長い沈黙のあと。
目を閉じた。
「分かった」
その言葉は、ひどく重かった。
「ララネットを王妃とする」
◇
その頃。
シャルミナは、王宮の自室にいた。
目の前には、王妃になるために用意された豪華なドレス。
宝石。
王家の紋章が刻まれた品々。
けれど。
シャルミナは、それらを一つずつ箱へ戻していった。
持っていくものは、ほとんどない。
「これでいい」
最後に、小さな箱を閉じる。
中に入っているのは。
母が使っていた古い髪飾りだけだった。
シャルミナは、それを胸に抱いた。
「お母様」
小さく呟く。
「私、自分の人生を選びます」
シャルミナが荷物をまとめ終えた、そのときだった。
扉が静かに開く。
「シャルミナ」
ランスロットだった。
シャルミナは振り返る。
「陛下……」
ランスロットは、部屋の中へ入ってきた。
けれど。
いつものように、王として堂々と歩くことはなかった。
ただ一人の男として。
シャルミナの前に立つ。
「本当に……行ってしまうのか?」
「はい」
シャルミナは静かに頷いた。
「私はこのまま王妃でいることはできません」
「……そうか」
ランスロットは俯いた。
「ララネットが王妃になることも、聞いた」
「はい」
「リヨンセ侯爵から聞いた」
しばらく沈黙が続く。
やがて。
ランスロットが、苦しそうに口を開いた。
「シャルミナ……すまない」
「……」
「私に、もっと力があれば」
ランスロットは拳を握った。
「マルクスから君を守ることができた」
「……」
「君を王妃のままにすることが……」
シャルミナは、しばらくランスロットを見つめた。
「いいのです」
「シャルミナ……」
「陛下のせいではありません」
シャルミナは微笑んだ。
「私が、自分で決めたことです」
「だが……」
「私は王妃になりたかったわけではありません」
ランスロットが顔を上げる。
「では、何を望んでいる?」
シャルミナは少し考えてから答えた。
「自分の人生を、自分で決めることです」
「……」
「お母様が、昔そう教えてくれました」
シャルミナは、胸元の古い髪飾りにそっと触れた。
「人は、自分の人生を自分で決めるものだと」
ランスロットは何も言えなかった。
「だから私は、王妃ではなく……シャルミナとして生きてみたいのです」
「……君は、それで幸せになれるのか?」
「きっと」
シャルミナは微笑んだ。
「私には、そう思えます」
ランスロットの目が揺れる。
「私は……君を幸せにしたかった」
シャルミナは、ゆっくりと首を振った。
「いいえ」
「え?」
「私が幸せになれるかどうかを決めるのは、陛下ではありません」
ランスロットは息を呑んだ。
「だから、陛下が謝る必要はありません」
シャルミナは、優しく微笑む。
「今まで、ありがとうございました」
「シャルミナ……」
「さようなら」
ランスロットは、何かを言おうとした。
けれど。
最後まで、言葉にすることができなかった。
ただ。
「……元気で」
それだけを告げた。
「はい」
シャルミナは頷いた。
そして。
小さな荷物を手に取った。
シャルミナは扉の前で、一度だけ振り返った。
そこには。
愛した男が立っている。
けれど。
もう戻らない。
「さようなら、ランスロット様」
そう言って。
シャルミナは王宮を後にした。
◇
数日後。
シャルミナは、王都から遠く離れた村にいた。
そこは。
かつて父と母と暮らしていた場所だった。
古い家。
小さな庭。
母が大切にしていた花壇。
何もかもが、懐かしかった。
「……ただいま」
誰もいない家に向かって、シャルミナは呟いた。
返事はない。
けれど。
不思議と寂しくはなかった。
母がいた。
父がいた。
三人で笑った記憶が、ここには残っている。
シャルミナは庭に出ると、伸び放題になっていた草を抜き始めた。
「お母様なら、もっと綺麗にしていたでしょうね」
そう言って笑う。
すると。
「シャルミナ様!」
村の女性が駆け寄ってきた。
「本当に戻ってきたんですね!」
「ええ」
「王宮には戻らないんですか?」
「戻りません」
シャルミナは笑った。
「私は、ここで暮らします」
「でも……王妃様に?」
「なりません」
少しだけ考えて。
シャルミナは、穏やかに答えた。
「私は、王妃になることより、自分の人生を生きることを選びました」
女性は驚いた顔をした。
やがて。
「……それなら、歓迎します」
そう笑った。
「この村のことなら、私たちが教えますから」
「ありがとうございます」
シャルミナも笑った。
それは。
王宮にいた頃よりも、ずっと自然な笑顔だった。
◇
王都では。
ララネットが王妃となった。
しかし。
ランスロットの治世は、思うようにはいかなかった。
マルクス侯爵家が失脚したことで。
王を止める存在が、いなくなったからだ。
「国庫が足りません」
財務官が報告する。
「では、税を上げればいい」
ランスロットは答えた。
「王国のために必要なのだろう?」
「しかし、これ以上の増税は市民の生活を圧迫します」
「国を維持するためだ」
また税が上がった。
商人への税。
農民への税。
商品の売買にも新しい税が課された。
「陛下、これ以上は……」
財務官が震える声で言った。
「地方では、税を払えず土地を手放す農民まで出ております」
やがて。
王都では、人々の不満が膨らんでいった。
「また税が上がったぞ」
「これでは暮らしていけない」
「マルクスがいなくなれば、もっと暮らしやすくなると思っていたのに」
「王は何を考えているんだ!」
不満は、少しずつ大きくなっていった。
◇
そんな中。
市民議員たちが王宮へやってきた。
「陛下」
代表者が頭を下げる。
「これ以上の増税はおやめください」
「ならば、どうしろというのだ?」
「まずは王宮の支出を見直してください」
「私に王宮の生活を変えろと言うのか?」
「そうではありません!」
議員は必死に訴えた。
「市民の生活が、もう限界なのです!」
ランスロットの顔が険しくなる。
「お前たちは、王の決定に口を出すのか?」
「市民の声を伝えるのが、私たちの役目です!」
「……ならば」
ランスロットは立ち上がった。
「市民議員制度そのものを廃止する」
「陛下!」
「王国の政治を決めるのは王だ」
その命令によって。
市民議員制度は廃止された。
さらに。
反対した議員たちは逮捕された。
「これは間違いです!」
「陛下、考え直してください!」
叫び声が王宮へ響く。
しかし。
誰も止める者はいなかった。
◇
その知らせは、やがて王都中に広がった。
「市民議員が廃止された」
「反対した者は牢に入れられた」
「王は市民の声を聞くつもりがない」
人々の怒りは、限界を超えた。
広場に人が集まる。
「税を下げろ!」
「議員を解放しろ!」
「市民の声を返せ!」
兵士たちが鎮圧に向かう。
だが。
その中から、一人の兵士が剣を下ろした。
「俺は……市民を斬るために兵士になったんじゃない」
別の兵士も続いた。
「俺もだ」
やがて。
軍の一部が市民側についた。
「王城へ!」
誰かが叫んだ。
「王に、国を返させろ!」
人々が一斉に動き始める。
王都を揺るがす革命が。
始まった。
◇
その頃。
シャルミナは、村の庭にいた。
手には、小さな花。
母が好きだった花だった。
「今年も咲きましたね」
シャルミナは、花をそっと撫でた。
遠く離れた王都で。
自分がかつて暮らしていた王宮が、革命に包まれていることを。
このときのシャルミナは、まだ知らなかった。
ただ。
静かな庭で。
自分が選んだ人生を生きていた。
「お母様、お父様」
空を見上げる。
「私は、幸せです」
その言葉は。
誰に聞かせるでもなく。
静かな村の空へと消えていった。




