第三十五話 マルクス宰相の断罪
その日の夜。
マルクス侯爵とレオポルドは、王宮地下の牢獄へと連行されていた。
重い鉄格子が閉じられる。
「なぜだ……」
マルクスは、牢の中から鉄格子を睨みつけた。
「なぜ私が、こんな場所に……!」
つい数日前まで。
この王国で絶大な権力を握っていた男。
それが今では、冷たい石床の上に立たされている。
「私は王国のために働いてきたのだぞ!」
マルクスは鉄格子を激しく掴んだ。
「それを……こんな仕打ちをするとは!」
隣の牢では、レオポルドも顔を青ざめさせていた。
「父上……」
「黙っていろ!」
マルクスは苛立たしげに怒鳴った。
「こんなもの、何かの間違いだ!」
「そうです……」
レオポルドも必死に頷く。
「私は何も悪いことなどしていない!」
そのとき。
コツ……コツ……。
牢獄の奥から、靴音が響いてきた。
二人が顔を上げる。
暗闇の向こうから、一人の女性が歩いてくる。
シャルミナだった。
「……お前か」
マルクスの顔が歪んだ。
「なぜ、お前がここにいる!」
シャルミナは答えない。
ただ、牢の前で静かに立ち止まった。
「お前が陛下を唆したのか!」
マルクスが怒鳴る。
「私を陥れたのは、お前だな!」
「違います」
シャルミナは淡々と答えた。
「あなたが、自分で招いた結果です」
「ふざけるな!」
マルクスが鉄格子を揺さぶった。
「私は何もしていない!」
「本当に?」
シャルミナはマルクスを見つめた。
「では、私の母のことを覚えていますか?」
「……」
マルクスの表情が、一瞬だけ固まった。
「ミナレットです」
シャルミナの声が低くなる。
「私の母です」
「……何の話だ」
「母は、自分の人生を自分で選びました」
シャルミナは続けた。
「家が決めた結婚を拒み、愛する人と生きることを選んだ」
「それが、どうした!」
マルクスが吐き捨てる。
「私は妹を連れ戻そうとしただけだ!」
「そのために刺客を送りました」
「殺せとは命じていない!」
「でも、刺客を送った」
「私はただ……!」
「母も父も」
シャルミナの声が、牢獄に響いた。
「私の目の前で殺されました」
「……!」
「あなたが母を連れ戻そうとしたから」
シャルミナは、一歩前へ進んだ。
「あなたが、母の人生を自分の思い通りにしようとしたからです」
「違う!」
マルクスが叫ぶ。
「私は妹を幸せにしたかっただけだ!」
「幸せ?」
シャルミナは静かに問い返した。
「母の夫を殺されることが、幸せですか?」
「……」
「母の人生を奪われることが、幸せですか?」
「私は殺せと命じていない!」
「でも、あなたが刺客を送った」
シャルミナの瞳に、強い光が宿った。
「母も父も、もう帰ってこないのです」
「……!」
「どれだけ『殺せとは命じていない』と叫んでも、二人は戻ってきません」
マルクスは歯を食いしばった。
「私は……悪くない!」
最後まで、マルクスは認めなかった。
「私は王国のために行動したのだ! 妹を連れ戻すことの何が悪い!」
「あなたは最後まで、自分のことしか考えていないのですね」
「何だと!」
「母が何を望んでいたのかも」
シャルミナは静かに告げる。
「母が誰と生きたいと思っていたのかも」
「……」
「母が、どんな人生を送りたかったのかも」
そして。
「何ひとつ、考えなかった」
マルクスの顔が怒りで歪む。
「小娘が……!」
鉄格子を握る手に力が入る。
「私に説教するつもりか!」
「いいえ」
シャルミナは首を振った。
「ただ、事実を伝えているだけです」
「……!」
「母も父も、あなたのせいで死んだ」
シャルミナは、はっきりと言った。
「私はあなたを許しません」
マルクスは何かを言おうとした。
だが、言葉が出てこない。
シャルミナは、隣の牢へ視線を移した。
「そして、レオポルド」
「……!」
呼ばれたレオポルドが身を震わせる。
「私は、あなた自身に母を殺されたとは思っていません」
「ならば……!」
レオポルドの顔に、わずかな希望が浮かぶ。
「ならば、私を助けてください!」
「ですが」
シャルミナは言葉を続けた。
「あなたの父親が何をしてきたのか、あなたは知っていたはずです」
「私は……!」
「それでも、あなたは父親の側に立った」
「仕方がなかった!」
レオポルドが叫んだ。
「私は父の息子なのです! 父に逆らえるはずがない!」
「それなら」
シャルミナは静かに尋ねた。
「なぜ、今になって自分だけは悪くないと言うのですか?」
「私は悪くない!」
レオポルドは必死に首を振った。
「私は何もしていない! なぜ私までこんな目に遭わなければならない!」
「……」
「なぜ!」
レオポルドの声が響く。
「私は王国のために働いてきた! 父の命令に従っただけだ!」
「あなたは父親の命令に従っただけだと言いましたね。ですが、あなた自身も王命を偽り、陛下の権限を制限するために動いていた」
「……!」
「何もしていないわけではありません」
シャルミナは、冷たく見つめた。
「あなたの父親も、ずっと言っていました」
「……!」
「自分は悪くない、と」
レオポルドの顔から血の気が引いた。
「ですが、この国では」
シャルミナは二人を見つめる。
「権力を持つ者ほど、自分の行動に責任を負わなければならないのです」
「そんな……!」
「私は、あなたを恨んではいません」
シャルミナは告げた。
「けれど……あなたが父親の側に立ち続けたことまで、なかったことにはできません」
「父上……」
レオポルドが父を見る。
マルクスは、そんな息子を睨みつけた。
「黙れ!」
「父上!」
「私のせいにするつもりか!」
マルクスが怒鳴る。
「お前も私の意思に従ってきたではないか!」
「私は……!」
レオポルドも声を荒らげる。
「私は何も悪くない!」
「ならば、お前一人で罪を背負え!」
「なぜ私が!」
二人の怒鳴り声が、牢獄に響き渡る。
かつて王国を支配していた二人の姿は、もうなかった。
権力も。
地位も。
誇りも。
すべてを失い、互いに責任を押しつけ合っている。
シャルミナは、そんな二人を静かに見つめていた。
そして。
「さようなら、伯父様」
シャルミナは背を向けた。
「待て!」
マルクスが叫ぶ。
「シャルミナ!」
しかし。
シャルミナは振り返らなかった。
「私は、私の人生を自分で決めます」
その言葉だけを残して。
牢獄を後にした。
◇
それから数日後。
王都の広場には、大勢の人々が集まっていた。
処刑台の上に立っていたのは。
マルクス侯爵とレオポルドだった。
二人に下された罪は――。
国王を欺き、王権を奪い取ろうとしたこと。
そして、長年にわたって王権を制限し、自らの一族に権力を集中させていたこと。
二人は、最後まで罪を認めなかった。
「私は悪くない!」
マルクスが叫ぶ。
「これは陛下の誤りだ!」
「そうだ!」
レオポルドも叫んだ。
「私まで処刑するなど、おかしい!」
群衆から、ざわめきが起こる。
だが。
二人を助ける者は、誰もいなかった。
かつて彼らの周囲に集まっていた貴族たちは。
今では誰一人、姿を見せようとはしない。
「なぜだ……」
マルクスが周囲を見回す。
「私を助けろ! 私はマルクス侯爵だぞ!」
だが、誰も動かなかった。
これまで彼の前で頭を下げていた貴族たちは、誰一人として姿を見せない。
権力を失った瞬間。
彼の周りから、人は消えていた。
その姿は。
かつて王宮を支配していた男とは思えなかった。
そして。
王命が読み上げられる。
国王を欺き、王権を奪おうとした罪。
国家への反逆。
その罪により。
二人は処刑されることとなった。
最後まで。
マルクスは怒り続けた。
レオポルドは命乞いを続けた。
だが。
二人の声に耳を傾ける者は、もういなかった。
◇
その日。
ベルガリア王国の歴史が、大きく動いた。
マルクス侯爵家の失脚。
それは、単なる一貴族の没落ではなかった。
長年、王国の政治を支配してきた有力貴族たちの力が、急速に弱まっていったのである。
王に逆らえば、地位を失う。
王の権限を奪おうとすれば、処罰される。
そんな現実を、貴族たちは目の当たりにした。
やがて。
これまで貴族たちが握っていた権限は、少しずつ王のもとへ戻っていくかのように見えた。
ランスロットは、王として国を動かすようになった。
シャルミナが望んだ通り。
王は、自らの手で未来を決められるようになった。
けれど。
ランスロットたちは、まだ知らなかった。
自分たちがマルクスを倒したことで。
ベルガリア王国を長年支配してきた、貴族中心の政治そのものが終わりを迎えようとしていることを。
復讐のために動かした一手が。
やがて、この国の歴史そのものを変えることになるとは。
このときのランスロットたちは、まだ知らなかった。




