第三十二話 最終回 私が選んだ未来
――あれから、半年が過ぎた。
季節は巡り。
ルーヴェンの街には、春の暖かな風が吹いていた。
私は学院の庭園を歩きながら、空を見上げる。
「……もう、半年なのね」
あの日。
アーサー様から雪見草を受け取った私は、急いで王国へ戻ることになった。
けれど――。
雪見草は、間に合わなかった。
国王陛下の病状は、私たちが想像していた以上に進行していたのだ。
そして。
国王陛下は亡くなった。
その後を追うように、王妃陛下もまた。
二人は最後まで王と王妃として国を支え続け、その生涯を終えた。
最期まで二人は、国の行く末を案じていたという。
私は、最後にお二人へ会うことはできなかった。
けれど。
不思議と、後悔はなかった。
私はできることをした。
そして――。
自分自身の未来を選んだ。
「アリーゼ」
「……エドガルド様」
振り返る。
そこには、いつもの優しい笑顔を浮かべたエドガルド様が立っていた。
「ここにいたのですね」
「はい。少し散歩をしていました」
「では、一緒に行きませんか?」
「もちろんです」
私は微笑んで、エドガルド様の隣に並んだ。
あの日から。
私たちは正式に婚約した。
婚姻は一年後。
それまでは学院で学びながら、ルーヴェンとベルガリアの交流について、二人でできることを少しずつ進めている。
以前の私なら。
婚約という言葉を聞くだけで、胸が苦しくなっていたかもしれない。
けれど、今は違う。
この婚約は。
誰かに決められたものではない。
私自身が選んだものだから。
「アリーゼ」
「はい?」
「何か嬉しそうですね」
「……そうですか?」
「ええ」
エドガルド様が笑う。
「以前より、ずっと楽しそうです」
「……ふふ」
私は少しだけ頬を赤くした。
「きっと、幸せだからだと思います」
「……!」
今度はエドガルド様が黙り込んだ。
「エドガルド様?」
「いえ……」
彼は少し照れたように視線を逸らした。
「私も、同じです」
その言葉が嬉しくて。
私は自然と笑っていた。
そして。
もう一人。
私にとって、大切な友人となった人もいる。
「アリーゼ様!」
遠くから、明るい声が聞こえた。
「エリザベート様!」
こちらへ駆けてくるのは、エリザベート様だった。
彼女もまた、学院へ戻ってきていた。
アーサー様が政務に復帰し、ルーヴェンの公家も少しずつ落ち着きを取り戻した。
お父様も体調を取り戻し、今では以前と変わらない生活を送っているらしい。
だからこそ。
エリザベート様は、再び学院へ戻ってくることができた。
「今日は皆さんでお茶会をする予定なんですよ」
「本当ですか?」
「はい!」
エリザベート様が嬉しそうに笑う。
半年前には。
こんなふうに笑える日が来るなんて、想像もしていなかった。
「ところで、アリーゼ様」
「はい?」
エリザベート様が、意味ありげに微笑んだ。
「リチャード様から、何か聞いていませんか?」
「……兄上からですか?」
エリザベート様は、少し恥ずかしそうに頬を染める。
「リチャード様が……」
「…………え?」
私は目を瞬いた。
「兄上が何か?」
「はい」
エリザベート様は楽しそうに笑った。
「この前、告白されまして……」
「…………」
私は固まった。
「ま、まさか…………」
「婚約して欲しいと我が家に釣書を――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず声が大きくなる。
エリザベート様が楽しそうに笑った。
「ふふっ」
「どうして私が知らない間に、そんな話が進んでいるのですか……!」
「私にも分かりませんわ」
そう言いながら。
エリザベート様は、とても嬉しそうだった。
「でも……」
彼女が小さく笑う。
「そうなると、私たちは本当の姉妹になりますわね」
「……!」
その言葉に。
胸が温かくなる。
「それは……」
嬉しい。
確かに嬉しい。
けれど。
少しだけ恥ずかしい。
「なんだか、不思議な感じがします」
「私もですわ」
二人で顔を見合わせる。
そして。
「ふふっ」
「ふふふっ」
同時に笑った。
婚約を失った私たちは。
今では、こうして笑い合える友人になっていた。
――その日の午後。
学院の庭園でお茶を飲みながら。
私は一通の手紙を読んでいた。
差出人は、お父様。
内容には、王国のその後について書かれていた。
ベルガリア王国では。
ランスロット殿下が王政を続けることが難しくなり、政治の仕組みそのものが大きく変わったらしい。
最終的には、マルクス様の提案によって議会政治へと移行した。
国民から選ばれた代表者たち。
そして貴族による議会。
二つの議会によって国政を運営し、王は国の象徴としての名誉職となった。
「……そう」
私は手紙を閉じた。
ランスロット殿下のことを考えても。
もう、胸は痛まなかった。
昔なら。
彼の名前を聞くだけで、あの日のことを思い出していた。
けれど今は。
遠い昔の出来事のように感じる。
私はもう。
あの頃の私ではないのだから。
すると。
手紙の最後に、お父様から奇妙な一文が添えられていることに気づいた。
『そういえば、マルクス殿が妙なことを言っていた。
妻を失ったあの頃、別の世界の夢を見たと……』
「…………」
私は首を傾げる。
「別の世界……?」
いったい、何の話なのだろう。
けれど。
それ以上考えることはしなかった。
私には。
今、考えたいことがある。
「アリーゼ」
顔を上げる。
少し離れたところで、エドガルド様が待っていた。
「そろそろ戻りましょう」
「はい」
私は立ち上がる。
そして。
彼の隣へ歩いていく。
「エドガルド様」
「はい?」
「来年の今頃には……私たちは夫婦になっているのですね」
「……そうですね」
エドガルド様が微笑む。
「楽しみです」
「私もです」
そう答えると。
彼が少しだけ照れたように笑った。
「これから、いろいろなことがあるでしょうね」
「はい」
「商業のことも」
「はい」
「ルーヴェンとベルガリアのことも」
「はい」
「それから――」
エドガルド様が、私を見る。
「私たち自身の未来も」
その言葉に。
私は微笑んだ。
「……はい」
思えば。
私の人生は、あの日から大きく変わった。
婚約を破棄され。
故郷を離れ。
新しい場所で学び。
たくさんの人と出会った。
傷ついたこともあった。
泣いたこともあった。
それでも。
私は前へ進んだ。
そして今。
私の隣には、大切な人がいる。
大切な友人もいる。
自分で選んだ未来がある。
だから。
もう、過去を振り返る必要はない。
私はエドガルド様の隣を歩きながら。
春の青空を見上げた。
「……綺麗ですね」
「ええ」
柔らかな風が吹く。
花びらが舞う。
その先には。
まだ誰も知らない未来が待っている。
私はその未来を。
自分の手で選んでいく。
エドガルド様と一緒に。
笑って。
悩んで。
時には喧嘩をして。
それでも最後には、また笑い合って。
そんな日々を。
これから、ずっと。
「エドガルド様」
「はい」
「これからも……よろしくお願いします」
「こちらこそ」
彼が、そっと微笑んだ。
私はその笑顔を見つめる。
そして。
胸の奥で、そっと思った。
――この人と出会えて、本当によかった。
もう。
誰かに決められた未来ではない。
私が選んだ未来。
私が望んだ未来。
その先に待っているのは――。
きっと。
幸せな人生だ。
春の風が吹き抜ける。
私たちは並んで歩いていく。
まだ見ぬ未来へ。
――二人で。
そして。
私の新しい人生は、ここから始まる。
◇
エピローグ
――その頃。
ベルガリア王国の王宮。
ランスロットが、ひとり王座に座っていた。
かつてなら。
この場所に座ることを、どれほど望んだだろう。
王になる。
国の頂点に立つ。
誰からも命令されず、自分の思うままに国を動かす。
それが、ランスロットの望みだった。
そして。
彼は実際に王になった。
けれど――。
「…………」
ランスロットは、玉座から立ち上がった。
広間を見渡す。
そこには、かつて自分に頭を下げていた貴族たちの姿はない。
今では。
国民から選ばれた代表と貴族議会によって、国の重要なことが決められている。
王である自分には。
もはや、ほとんど政治的な権限が残されていなかった。
「これが……私の望んだ王なのか」
ランスロットは、苦い笑みを浮かべた。
王位は手に入れた。
だが。
権力は失った。
皮肉な話だった。
そのとき。
ふと、母の言葉を思い出した。
『アリーゼ嬢を大切にしなさい』
王妃マチルダ。
もう、この世にはいない母だった。
『あの子は、あなたが王として立つために必要な人です』
『いつか、きっと分かる日が来ます』
「…………」
ランスロットは目を閉じた。
あの頃の自分には。
母の言葉が理解できなかった。
アリーゼなどいなくても、自分は王になれる。
そう思っていた。
だから。
彼女との婚約を捨てた。
そして。
アリーゼは、自分のもとから去っていった。
「……アリーゼ」
誰もいない広間で。
その名を呟く。
けれど。
返事はない。
もう。
彼女はここにはいない。
ルーヴェンで。
新しい人生を歩んでいる。
自分ではない男と婚約し。
来年には、妻になるのだという。
「…………」
胸の奥が、鈍く痛んだ。
もし。
あのとき。
アリーゼを手放さなかったら。
彼女が王妃となって、この国を支えてくれていたら。
商業にも。
外交にも。
誰よりも優れた力を持っていた彼女なら。
きっと、自分を支えてくれただろう。
いや。
それだけではない。
「……アリーゼがいれば、私は……」
そこまで呟いて。
ランスロットは、言葉を失った。
違う。
自分が欲しかったのは、王としての力だけではなかった。
あの頃、いつも自分の隣にいてくれた彼女。
自分を支え、叱り、笑ってくれた彼女。
それを失って初めて。
自分がどれほど大切なものを手放したのかを知った。
「……私は、何をしてしまったんだ」
けれど。
もう遅かった。
その言葉が。
誰もいない広間に、虚しく響いた。
王になりたかった。
力が欲しかった。
だから。
自分はアリーゼを捨てた。
そして今。
王位は手に入れた。
だが。
自分が本当に欲しかったものは、すべて失っていた。
支えてくれる人も。
自分を信じてくれる人も。
そして。
自分で選べたはずの未来も。
「…………遅すぎる」
ランスロットは、俯いた。
後悔しても。
もう、何も戻ってこない。
アリーゼは帰ってこない。
そして。
かつて自分が望んだ「王としての人生」も。
すべて。
自分自身の選択によって失われた。
ランスロットは、ただ王座を見つめていた。
そこに座ることはできる。
けれど。
もう。
かつて夢見た王ではなかった。
◇
――一方。
同じ頃。
ルーヴェンでは。
「エドガルド様、こちらです」
「ああ」
アリーゼが笑っている。
隣には、エドガルドがいる。
二人は並んで歩いていた。
春の陽射しの中。
楽しそうに言葉を交わしながら。
来年には。
二人は夫婦になる。
アリーゼは、もう。
過去を振り返らない。
自分を捨てた王のことなど。
思い出すことさえなく。
ただ。
自分で選んだ未来へ向かって歩いていく。
それこそが。
ランスロットが最後まで手に入れることのできなかったものだった。
――私はもう、誰かに決められた未来を生きない。
私は、自分で選んだ未来を生きていく。
大切な人と。
自分の足で。
これからもずっと。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございす。
大感謝です。(*- -)(*_ _)ペコリ
山田 バルス




