第三十話 アリーゼ、アーサーとの面談に行く
アリーゼ視点
翌日の昼前。
私は、侍女に出発の時間を告げられ、屋敷の玄関へ向かった。
今日は、重要な約束をしている。
雪見草を手に入れるために。
アーサー様と話をしなければならない。
「アリーゼ嬢」
玄関を出たところで。
聞き慣れた声がした。
視線を向ける。
「エドガルド様……?」
馬車の前に、エドガルド様が立っていた。
「お迎えに来ました」
そう言って、彼は微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間。
なぜだろう。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「ありがとうございます」
「いえ。アーサー殿との話し合いには、私も同席することになっていますから」
「そうでしたね」
「それに……」
エドガルド様が、一瞬だけ言葉を止めた。
「少し心配でした」
「……心配?」
「昨日、王都へ戻ってきたばかりでしょう」
そう言って、彼は少しだけ困ったように笑う。
「それに、アーサー殿は何を考えているのか分からないところがありますから」
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
「エドガルド様でも、アーサー様を警戒されるのですね」
「当然です」
真剣な顔で答えられて。
私はまた笑った。
「では……今日はよろしくお願いします」
「はい」
エドガルド様が馬車の扉を開けてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
先に乗り込む。
続いてエドガルド様も乗った。
馬車がゆっくりと動き出す。
◇
窓の外を眺める。
見慣れた公都の街並みが、ゆっくりと流れていく。
人々が行き交う大通り。
商店が並ぶ街角。
けれど。
私は、いつものように景色を楽しむことができなかった。
胸の奥には、不安があった。
雪見草を手に入れられるのか。
国王陛下を救えるのか。
そして。
アーサー様は、一体どんな条件を出してくるのか。
「……アリーゼ嬢」
「はい?」
向かいに座るエドガルド様が、私を見ていた。
「緊張していますか?」
「……少しだけ」
正直に答える。
「無理もありません」
彼はそう言って。
少しだけ身体を前へ傾けた。
「ですが、大丈夫です」
「どうしてですか?」
「私がいますから。必ずあなたを守ります」
「……」
思わず黙り込んだ。
エドガルド様は何でもないことのように言ったけれど。
私の心臓の鼓動は、そう簡単には落ち着いてくれなかった。
「……ありがとうございます」
小さな声で答える。
すると。
「それに」
エドガルド様が続けた。
「もし何かあれば、相談してください。私も一緒に考えます」
「一緒に……」
「はい」
その言葉が。
妙に嬉しかった。
私は窓の外へ視線を戻した。
けれど。
さっきまで見えていた景色は、もう頭に入ってこなかった。
隣にいる人の存在ばかりが、気になってしまう。
どうしてだろう。
昨日よりも。
意識してしまう。
◇
やがて。
馬車が公宮へ到着した。
扉が開く。
「到着しました」
エドガルド様が先に降りる。
そして。
私へ手を差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
その手に、自分の手を重ねる。
ほんの一瞬。
触れただけなのに。
胸が、また小さく跳ねた。
私たちが建物へ入ると。
「アリーゼ様!」
明るい声が聞こえた。
「エリザベート様?」
廊下の向こうから。
緑髪に茶色の瞳の女性が、こちらへ歩いてくる。
彼女は私の前で立ち止まると、柔らかく微笑んだ。
「初めまして。エリザベート=ルーヴェンと申します」
そう言って、丁寧に頭を下げる。
「初めまして。アリーゼ=アントワープです」
私も慌てて頭を下げた。
「以前から、お名前は伺っていました」
「私もです」
エリザベート様が顔を上げる。
「アリーゼ様がルーヴェンで商学を学ばれていることも、エドガルドから聞いています」
「まあ……」
思わずエドガルド様を見る。
「余計なことまで話していませんよ」
エドガルド様が苦笑する。
「ふふっ」
エリザベート様が楽しそうに笑った。
「どうぞ、エリザベートと呼んでください」
「では……私のことも、アリーゼとお呼びください」
「本当ですか?」
エリザベート様の顔が、ぱっと明るくなる。
「はい」
「ありがとうございます、アリーゼ様」
そう言って。
彼女は嬉しそうに私の手をそっと取った。
「実は、アリーゼ様とゆっくりお話ししたかったのです」
「私もです」
自然と笑顔になる。
不思議だった。
正式にお会いするのは今日が初めて。
それなのに。
なぜか、以前から知っていたような安心感があった。
「では、少しだけお時間をいただいても?」
「もちろんです」
エリザベート様は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
そう言って。
彼女は私の隣に並んだ。
その少し後ろを、エドガルド様が歩いている。
◇
――エリザベート視点――
アリーゼ嬢と並んで歩く。
それだけで。
私は不思議なくらい嬉しかった。
もっと話してみたい。
そう思っていた。
理由は、きっと一つではない。
私たちは。
どちらも婚約を失った経験がある。
婚約者に選ばれなかった痛み。
自分の未来が、突然、崩れ落ちるような感覚。
あの苦しさを。
彼女も知っている。
だからなのだろうか。
初めて会ったときから。
私はアリーゼ嬢に、どこか親近感を抱いていた。
「アリーゼ様」
「はい?」
「ルーヴェンに来てから、楽しいことはありましたか?」
「そうですね……」
アリーゼ嬢が少し考える。
「エドガルド様と、一緒に商談をしたことですね」
「まあ」
思わず声が弾んだ。
「エドガルドと一緒にですか」
「はい」
「商談が……楽しかったのですか?」
「え? はい」
アリーゼ嬢が私を見る。
「それともエドガルドと一緒だったのが、楽しかったのですか?」
「え、そ、そんなことは……」
アリーゼ嬢の頬が、ほんのり赤くなる。
私は思わずエドガルドを見る。
彼もこちらを見ていた。
そして。
アリーゼ嬢と目が合うと。
ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。
――なるほど。
私は心の中で小さく頷いた。
これは。
間違いない。
アリーゼ嬢も、エドガルドのことを……。
「エリザベート様?」
「いえ」
私は慌てて首を振った。
「何でもありません」
けれど。
心の中では、少しだけ嬉しくなっていた。
私にとって。
エドガルドは大切な従兄だ。
だから。
二人が幸せになれたら。
きっと私は嬉しい。
……そう思っていた。
このときまでは。
◇
アリーゼ視点。
「こちらです」
しばらく歩くと。
エリザベート様が立ち止まった。
目の前には、大きな扉がある。
「ここは……?」
私が尋ねると。
「兄上の温室です」
「温室……」
扉の向こうから。
かすかに花の香りが漂ってくる。
そして。
どこか懐かしい、清らかな香り。
「雪見草も、ここに?」
「はい」
エリザベート様が頷く。
「兄上が長い年月をかけて育ててきた薬草園です」
私は扉を見つめた。
ここに。
王様を救うための雪見草がある。
そして。
その花を育てたアーサー様が待っている。
「……行きましょう」
エドガルド様が言った。
「はい」
私は頷いた。
エリザベート様が扉へ手を伸ばす。
ゆっくりと。
扉が開いていく。
その向こうには。
一面の緑と。
白い花々が広がっていた。
朝の光を受けた雪見草が。
静かに揺れている。
そして。
「待っていた」
温室の奥から。
アーサー様の声が響いた。
私は息を呑んだ。
――いよいよ。
話し合いが始まる。
◇
――その頃。
ベルガルド王国の王宮。
「……王妃様!」
王妃マチルダの寝室に、医師たちの慌ただしい声が響いていた。
ベッドに横たわるマチルダの顔は、ひどく青ざめている。
「熱が、さらに上がっています!」
「そんな……」
マチルダは、薄く目を開いた。
けれど、視界はぼんやりとしている。
「……アリーゼ……」
かすかな声が漏れた。
「どうか……間に合って……」
その言葉を最後に。
マチルダの意識は、ゆっくりと闇へ沈んでいった。
◇
同じ頃。
アントワープ公爵邸では。
「王宮の様子がおかしい」
帰宅したアントワープ公爵が、険しい表情で告げた。
「国王陛下だけではない。王妃陛下まで高熱に倒れられた」
「まあ……」
妻が息を呑む。
「このままでは、王都そのものが危うくなるかもしれない」
公爵はしばらく黙ったあと、妻と息子を見つめた。
「お前たちは、ルーヴェンへ向かえ」
「あなたは?」
「私は残る」
妻はすぐに首を横に振った。
「いいえ。私はあなたを置いて逃げることなどできません」
「しかし――」
「あなたがここに残るのなら、私も残ります」
静かな、けれど強い声だった。
公爵は妻を見つめ。
やがて、諦めたように小さく息を吐いた。
「……分かった」
そして。
息子リチャードへ視線を向ける。
「リチャードだけでも行け」
「私だけが……?」
「ああ」
公爵は息子の肩に手を置いた。
「ルーヴェンへ、アリーゼのところへ行くんだ」
「アリーゼに?」
「そうだ」
公爵の声が、少しだけ柔らかくなる。
「今、あの子のそばにいることが、お前にできることだ」
「……分かりました」
息子は強く頷いた。
そして。
妹のいるルーヴェン公国へ向かうため、急いで屋敷を出ていった。
その背中を見送りながら。
アントワープ公爵は、静かに呟いた。
「……アリーゼ」
どうか。
お前だけは無事でいてくれ。




