第二十五話 なぜ止めなかった!
「雪見草が……ない?」
ベルガルド王国。
王宮の王家の寝室の外。
ランスロットは、医師の言葉を聞いて呆然としていた。
「はい。このままでは、陛下を救うことが難しくなります」
「そんな……」
ランスロットの顔が青ざめる。
そこで。
彼は、ふと何かを思い出した。
「……薬草園の人員を減らしたのは……」
「殿下のご命令です」
医師が答える。
「…………」
ランスロットの額に汗が浮かんだ。
だが。
次の瞬間。
「……レオポルド!」
ランスロットは声を荒らげた。
「はい」
「なぜ止めなかった!」
レオポルドが目を見開く。
「殿下……?」
「お前は私の側近だろう!」
ランスロットは苛立ったように叫んだ。
「私が人員削減を命じたとき、なぜ止めなかったんだ!」
「…………」
「薬草園に熟練者が必要だと、なぜ言わなかった!」
レオポルドは黙っていた。
もちろん。
知っていた。
雪見草が、どれほど扱いの難しい薬草なのか。
そして。
熟練者がいなくなれば、枯れる可能性があることも。
だが。
それを口にするつもりはなかった。
「申し訳ありません」
レオポルドは、頭を下げる。
「私の配慮が足りませんでした」
「……そうだ!」
ランスロットは、すぐにその言葉へ飛びついた。
「お前が止めていれば、こんなことにはならなかった!」
――違う。
人員削減を命じたのは、ランスロット自身だった。
けれど。
彼は、そのことを認めようとはしなかった。
「私には……王太子として、国の財政を考える責任がある」
そう自分に言い聞かせる。
「だから、人員を減らすのは必要なことだった」
しかし。
国王が倒れ。
その判断が父の命を危険にさらしたと知った瞬間。
ランスロットは、自分の責任から逃げ始めていた。
「……レオポルド」
「はい」
「どうにかしろ」
震える声だった。
「雪見草を探せ」
「…………」
「どこにあるか調べろ!」
「承知しました」
レオポルドは頭を下げる。
そして。
その顔を上げたとき。
ほんの一瞬だけ。
口元に笑みを浮かべた。
――計画通りだった。
ランスロットは、自分の失敗を他人のせいにしている。
これなら。
最後まで、自分が利用されていることには気づかない。
「……殿下」
「なんだ!」
「必ず、雪見草を見つけてみせます」
「ああ。頼んだぞ」
ランスロットは、ようやく安堵したように息を吐いた。
けれど。
そのときにはもう。
彼らの運命は、大きく動き始めていた。
◇
数日後。
私は、王都へ戻ってきた。
久しぶりに見る王都の街並みは。
以前と変わらないように見えた。
けれど。
行き交う人々の表情には、どこか不安が漂っている。
国王陛下が病に倒れた。
その知らせは。
王都中に広がっていた。
「お父様」
馬車を降りた私は、すぐに父のもとへ駆け寄った。
「アリーゼ」
父は、少し疲れた顔をしていた。
「お父様。陛下のご容態は……?」
「かなり厳しい」
「……そんな」
胸が締めつけられる。
「高熱病だ」
「高熱病……」
私は息を呑んだ。
高熱病。
高い熱が何日も続き。
重症化すれば、命を落とす病気だ。
「ですが……」
私は顔を上げた。
「王家の薬草園には、雪見草があるのですよね?」
「……」
父が黙った。
「雪見草なら、高熱病に効果があると聞いています」
「ああ」
「それなら……」
私は少しだけ安心した。
「陛下は、きっと大丈夫です」
けれど。
父は、首を横に振った。
「……アリーゼ」
「はい?」
「雪見草は……ない」
「…………え?」
一瞬。
父の言葉の意味が分からなかった。
「ない……?」
「ああ」
「でも……王家の薬草園に……」
「残っていない」
「どうしてですか?」
私は思わず父の腕を掴んだ。
「どうして、雪見草がなくなったのですか?」
父は、苦々しい表情を浮かべた。
「薬草園の予算が削られた」
「予算が……?」
父は静かに答えた。
「ランスロット殿下が、人件費を削減すると決められた」
「……殿下が?」
胸の奥に。
嫌な予感が走った。
「薬草園から熟練した者たちが何人も辞めることになった」
「そんな……」
「雪見草は、とても扱いが難しい薬草だ」
父の声が低くなる。
「知識も経験もない者が管理すれば、枯れてしまう……」
「だから……」
私は呟いた。
「雪見草が……なくなったのですね」
「ああ」
父は頷いた。
私は唇を噛んだ。
なぜ。
どうして、そんなことを……。
「おまけに」
父が、さらに続けた。
「人員を削減した理由が、問題なのだ」
「理由……?」
「ランスロット殿下は、薬草園の予算を削る一方で――」
父は、一度言葉を止めた。
「シャルミナ嬢へ巨額の贈り物を用意したそうだ」
「…………」
私は、耳を疑った。
「……シャルミナ嬢に?」
「ああ」
「それは……本当なのですか?」
「王宮内では、そう報告されている」
胸の奥が。
すっと冷たくなった。
以前の私なら。
きっと、何も考えずにランスロットを信じていた。
殿下には殿下の考えがある。
そう思っていた。
けれど。
今は違う。
国の財政を考えると言いながら。
必要な薬草を育てるための人員を削り。
その一方で。
シャルミナ嬢への贈り物には金を使う。
「……そんな」
声が震えた。
「お父様」
「何だ?」
私は拳を握りしめた。
胸の奥から。
強い悔しさが込み上げてくる。
「……急ぎましょう」
「アリーゼ?」
「王宮へ」
私は父を見つめた。
「陛下を助ける方法を、探さなければなりません」
「だが、王宮へ行っても――」
「それでもです」
私は首を振った。
「何か方法が……」
ルーヴェンで学んだこと。
商人たちと話したこと。
父と一緒に築いた新しい関係。
エドガルド様との出会い。
これまでのすべてが。
頭の中を駆け巡っていた。
「王都に雪見草がないのなら」
私は、父の目を見た。
「他で探します」
「…………」
父はしばらく私を見つめていた。
やがて。
「……ああ」
静かに頷いた。
「行こう、アリーゼ」
私たちは急いで馬車へ乗り込んだ。
王宮へ向かう馬車が。
王都の大通りを駆け抜けていく。
私は窓の外を見つめながら。
強く胸の前で手を握った。
――陛下を助けなければ。
そして。
この国で。
一体何が起きているのか。
それを確かめなければならない。
私はまだ知らなかった。
このとき王宮の奥で。
私の知らないところで、すべてが動き始めていたことを――。
◇
王家の寝室で。
王妃マチルダは、眠り続ける国王の手を握っていた。
「陛下……」
額に浮かぶ汗を、そっと拭う。
高熱病。
医師からそう告げられたとき、マチルダはそれほど深刻には考えていなかった。
王家の薬草園には、雪見草がある。
それを煎じれば、陛下の熱は下がるはずだった。
けれど。
「……雪見草が、ない?」
医師の言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、冷たくなった。
「そんなはずはありません。薬草園には、代々、大切に育てられてきた雪見草が……」
「管理する熟練者がいなくなり、枯れてしまったようです」
「…………」
マチルダは、ゆっくりと目を閉じた。
そして。
ふと、息子の顔が浮かんだ。
ランスロット。
国の財政を立て直すため、人件費を削ると話していた。
その判断を、王妃として知ることできなかった。
「……私の息子が」
小さく呟く。
そのとき、侍女が駆け込んできた。
「王妃陛下。殿下が、シャルミナ嬢へ贈り物を用意されたと……」
「…………」
マチルダは、言葉を失った。
薬草園の予算を削り。
その一方で、シャルミナへの贈り物には大金を使う。
国のためだと信じていた息子の判断が、これほどまでに愚かなものだったとは。
「……ランスロット」
マチルダは、眠る国王を見つめた。
陛下は、息子を信じていた。
自分もまた、息子を信じていた。
だからこそ。
悔やんでも、悔やみきれない。
「アリーゼ嬢を……」
マチルダの脳裏に、かつての婚約者の姿が浮かんだ。
聡明で、国のことを真剣に考えていた少女。
あの子を、もっと大切にしていれば。
ランスロットの隣に、アリーゼ嬢がいてくれたなら。
「……いえ」
マチルダは首を振った。
今さら、そんなことを考えても仕方がない。
それでも。
もし、あの子がここにいてくれたなら。
そう思わずにはいられなかった。
「陛下……」
握った手に、力を込める。
「どうか。もう一度、目を開けてください」
そのとき。
扉の向こうから、慌ただしい足音が聞こえた。
「王妃陛下! ルーヴェンから、アリーゼ嬢が戻られました!」
「……アリーゼ嬢が?」
マチルダは、顔を上げた。
胸の奥に。
わずかな希望が灯った。




