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この無能!仕事が遅いぞ!と罵られた公爵令嬢は、婚約破棄されて自由を手に入れる。今まであなたの仕事もしていたのは私ですよ~どうなっても知りませんわ  作者: 山田 バルス


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2/17

第二話 王太子の嘘を、国王は信じ、王妃マチルダは疑った!



 翌日の午後。

 ベルガリア王国の王宮、その最奥にある国王執務室。

 国王レオナルドは、届いたばかりの書類に目を通していた。

 そのとき――。


「父上。少し、お話があります」


 扉が開き、王太子ランスロットが入ってきた。


「どうした、ランスロット?」


 いつもなら軽い調子で話しかけてくる息子が、今日は妙に真剣な顔をしている。

 レオナルドは書類を机に置いた。


「何か問題でもあったのか?」

「……はい」


 ランスロットは一度だけ息を吸った。

 そして――。


「アリーゼとの婚約を、解消したいのです」

「……何?」


 国王の手が止まった。


「アリーゼとの婚約を解消したいと申し上げました」

「急な話だな」

「急ではありません」


 ランスロットは、きっぱりと言った。


「私は以前から悩んでいました」

「理由を聞こう」

「彼女では、王太子妃は務まりません」


 レオナルドは眉をひそめた。


「アリーゼ嬢が?」

「はい」


「しかし、あの娘は幼い頃から妃教育を受けているはずだ」

「それでもです」


 ランスロットは深いため息をついた。


「私が任せた仕事も、いつまで経っても終わりません」

「仕事?」


 レオナルドは眉をひそめた。


「どのような仕事を任せている?」

「……王太子妃教育の一環です」


 ランスロットは、わずかに目を逸らした。


「勉学についてはどうだ?」

「それも十分とは言えません」


 ランスロットは迷いなく答えた。

 レオナルドは少し考えた。


「だが、それは王太子妃教育が忙しいからではないのか?」

「いいえ」


 ランスロットは即座に否定した。


「能力がないから仕事が終わらず、学院にも行けないのです」

「……そうなのか」

「はい」


 国王の表情が曇る。


「何度忠告しても、自分で仕事を進めようとしません」


 ランスロットはさらに言葉を重ねた。


「もっと努力するように、と」

「それでも変わらなかったのだな?」

「ええ」


 嘘だった。

 アリーゼは、誰よりも努力していた。


 ただ――。

 その努力を、ランスロットは一度も見ようとしなかった。


「それに……」


 ランスロットが声を落とす。


「私は、王太子妃にはもっと人を思いやれる女性が必要だと思っています」

「人を思いやれる女性?」

「シャルミナ嬢です」


 その名前を口にした瞬間、ランスロットの表情が柔らかくなった。


「私は、シャルミナのような女性こそ王太子妃に相応しいと思っています」

「ランスロット」

「はい」


「本当に、アリーゼ嬢との婚約を解消したいのか?」

「はい」


 迷いのない返事だった。


「私は、もう決めました」


 そのとき。


「陛下。失礼いたします」


 扉が開いた。

 入ってきたのは二人の男だった。


 一人はランスロットの側近、レオポルド。

 そしてもう一人は――。


「マルクスか」

「はい、陛下」


 王国宰相、マルクス。

 レオポルドの父親だった。


「ちょうどよかった」


 ランスロットが言った。


「父上に、アリーゼとの婚約について話していたところです」

「……左様でしたか」


 マルクスは静かに頭を下げる。


「私も、殿下のお考えには一定の理解を示しております」


 レオナルドが驚いた顔をする。


「お前もか?」

「はい」


 マルクスは落ち着いた声で答えた。


「王太子妃には、王国の未来を支えるだけの能力が必要です」

「つまり?」

「しかしながら……現在のアリーゼ嬢の働きには、いささか不安がございます」


 あまりにも迷いのない言葉だった。


「具体的には?」

「仕事の処理能力」


 マルクスは指を一本立てた。


「外交能力」


 二本目。


「そして、判断力です」


 三本目。


「いずれも、王太子妃として十分とは言えません」


 淡々とした報告だった。

 だからこそ――。

 国王は信じてしまった。


「私も、殿下の側で何度も拝見しております」


 レオポルドも口を開いた。


「アリーゼ様は、殿下から任された仕事を何度も滞らせています」

「……お前もそう言うのか」

「はい」


 レオポルドは深く頭を下げた。


「殿下のためにも、婚約者を改めるべきかと存じます」


 息子。

 宰相。

 そして王太子の側近。


 三人が口を揃えて、アリーゼを「能力不足」だと言う。

 レオナルドの心が、少しずつ揺らいでいった。


 マルクスは王国の宰相。

 政治のことなら誰よりも詳しい男だ。

 その彼が言うのなら――。

 レオナルドは目を閉じた。


「……私の認識が間違っていたのかもしれんな」


 そして、レオナルドは目を見開き、ランスロットに視線を送る。


「ランスロット。お前の気持ちは理解した」

「では――」

「ただし」


 国王は言葉を続けた。


「すぐに婚約解消を決めるわけにはいかない」


 ランスロットの顔から、ほんの一瞬だけ笑みが消えた。


「……なぜです?」

「アリーゼ嬢は公爵令嬢だ」


 レオナルドは静かに言った。


「そして長年、王太子妃として教育を受けてきた。簡単に婚約を解消することはできん」

「ですが父上――」


「まずは確認する」

「確認……?」


「本当にアリーゼ嬢に問題があるのか」


 国王は三人を見渡した。


「私は、アリーゼ嬢本人から話を聞いていない」

「父上……」

「お前の話を疑っているわけではない」


 そう言いながらも、レオナルドの胸には小さな違和感が残った。

 ――あのアリーゼ嬢が、本当にそんな令嬢だっただろうか。


「……分かりました」


 ランスロットは渋々頷いた。

 その隣で。

 レオポルドが静かに目を伏せる。


「承知いたしました」


 声には、何の感情もなかった。

 だが――。

 その指先が、一瞬だけ強く握られた。


「お待ちください」


 そのとき。

 部屋の奥から、静かな声が響いた。

 三人が振り返る。

 そこに立っていたのは、マチルダ王妃だった。


「おかしな話ですね」


 マチルダ王妃は静かに微笑んだ。


「私が知るアリーゼ嬢は、あなたがたの言う『無能な令嬢』とは、まるで別人です」

「母上……」

「ランスロット」


 王妃の声が少しだけ低くなる。


「あなたは、あの子に何をさせているのです?」


 そこでマチルダはランスロットを優しい目で見た。


「あの子は、王太子妃になるためだけに学んでいたのではありません」


 マチルダは静かに続けた。


「以前、北方諸国との交易について質問したときもそうでした。教師が教えた内容を覚えるだけではなく、港の位置と輸送費まで調べて、『この港を使えば費用を二割削減できます』と提案したのです」

「……」


「王国の役に立ちたい、と何度も言っていました。あれほど真面目で、向上心のある令嬢を、私は他に知りません」


 それを聞いてもなお、ランスロットが反論する。


「しかし、母上、アリーゼは仕事が遅いのですよ」

「その仕事とは?」


「私が任せた仕事です」

「あなたが任せた?」


 王妃の眉が僅かに動いた。


「王太子であるあなた自身が処理すべき仕事まで、アリーゼ嬢に任せてはいませんか?」

「それは……」


 ランスロットの言葉が止まる。

 ほんの一瞬。

 その沈黙を、王妃は見逃さなかった。


「答えなさい、ランスロット」

「……王太子妃教育の一環です」

「王太子妃教育?」


 マチルダの声が低くなる。


「王太子の決裁書類を処理させることが?」

「アリーゼのためを思って――」

「そうですか」


 王妃は静かに息を吐いた。


「ならば、記録を確認すれば分かりますね」

「……」


「アリーゼ嬢が本当に仕事を滞らせているのか」


 王妃は国王を見る。


「陛下。調べてください」


 レオナルドは黙り込んだ。

 そして――。


「……分かった」

「陛下!」


「マチルダの言う通りだ」


 国王は頷いた。


「調べた上で判断しよう」

「ありがとうございます」


 王妃は頭を下げた。

 だが、その表情から不安は消えていない。


 むしろ――。

 何かがおかしい。


 そんな予感が強くなっていた。

 マチルダ王妃は、部屋を出ていくレオポルドを見つめた。


 彼はいつもと変わらない。

 礼儀正しく。

 穏やかに。


 何も知らない男のように歩いていく。

 けれど。


「……なぜかしら」


 王妃は小さく呟いた。

 あの男の背中を見ていると、胸の奥がざわつく。


 まるで――。

 何かを隠しているように見えた。


 ◇


 一方。

 王太子宮の執務室。

 アリーゼは、今日も書類に向かっていた。


「……あと、これだけ」


 私は机の端に積まれた書類を見た。

 今日も学院には行けなかった。

 本当なら、今日はミレーユと昼食を食べる約束だった。


「ミレーユ……ごめんね」


 いつになれば、私は普通の学院生活に戻れるのだろう。

 そう思いながら、私は再びペンを握った。


「……これで三十七枚目」


 机の上には、まだ大量の書類が残っている。

 時計を見る。

 もうすぐ夕方だった。


「この輸送経路なら……三百二十万ギーベル」


 アリーゼは計算結果を見つめた。


「これだけあれば、孤児院をいくつも支援できる……」


 そこで、ふと笑った。


「……違うわ」


 私は首を振った。


「まずは王国の財政を良くしなくちゃ」


 私は再び書類に目を落とした。

 その一枚には、王国の重要な交易契約が記されていた。


 私は文章を読み進める。

 そして――。


「……数字が違う。昨日の資料では、確か――」


 私はもう一度、前日の書類を確認した。


「やっぱり違う」


 胸の奥に、嫌な予感が広がっていく。


「……どうして?」


 私はまだ知らなかった。

 この違和感が、私を王太子妃の座から追い落とそうとする陰謀の始まりだったことを。

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