第十七話 「最初は、母に似ていると思っていた。でも、もうそれだけではない」
アリーゼ嬢と別れたあと。
私は一人で街を歩いていた。
「……不思議だな」
先ほどまで一緒にいた彼女のことが、頭から離れない。
商談が成立したことが嬉しいのだろう。
それとも。
「……違うな」
私は小さく呟いた。
きっと、それだけではない。
アリーゼ嬢と話していると。
なぜか、昔のことを思い出す。
母のことを。
◇
私がまだ幼かった頃。
我が家には、いつも商売の話があった。
「エドガルド。この商品、どう思う?」
「え?」
母は食卓に一枚の紙を広げていた。
「この地方で作られている香辛料なの。品質はいいけれど、あまり売れていないみたい」
「どうして?」
「売り方が悪いのよ」
母は楽しそうに笑った。
「商品が悪いんじゃない。お客様に、その良さが伝わっていないだけ」
「じゃあ、どうするの?」
「それを考えるのが商売でしょう?」
母は笑った。
私は母の隣に座って。
二人で商品の売り方を考えた。
「こういう名前にしたら?」
「いいわね」
「それから、こういう包装にして……」
「エドガルド、あなた商売の才能があるんじゃない?」
「本当?」
「ええ」
母はいつも私を褒めてくれた。
「商売は面白いでしょう?」
「うん!」
「なら、たくさん勉強しなさい」
母は私の頭を撫でた。
「お金だけじゃないわ。商売は、人と人をつなぐものなの」
その言葉が。
今でも私の中に残っている。
◇
けれど。
母は今、隣国にいる。
父と一緒に商会の本部を任されているからだ。
大きくなった商会を動かすためには、二人の力が必要だった。
だから。
母と会えるのは、年に数回だけになった。
もちろん、手紙は届く。
商会の報告書に混じって。
『エドガルド、元気にしていますか?』
そんな短い言葉が書かれていることもある。
けれど。
昔のように隣に座って、商売の話をすることはなくなった。
「……寂しい、のかな」
自分でも、よく分からない。
もう子供ではない。
それでも。
商売の話をしているときだけは。
あの頃の母が、すぐ隣にいるような気がする。
そして。
アリーゼ嬢と出会った。
◇
初めて会ったときから。
彼女には、不思議なところがあった。
貴族令嬢らしい上品さがある。
けれど。
最初は王太子妃としての外交の席だった。
それが今では商売の席で、彼女は別人のように生き生きと輝く。
「この商品なら、もっと高く売れると思います」
そう言ったときの彼女の目。
昨日、商会の商品について話していたときもそうだった。
「この香りなら、女性向けの贈り物として売れるのでは?」
今日も。
「この条件では、私の領地の生産者が長く生産を続けられません」
そう言った。
私は驚いた。
利益だけを見れば。
商会側が提示した条件でも、十分に商売になる。
けれど。
彼女は違った。
自分の領地の人々が、これからも商品を作り続けられるか。
そこまで考えていた。
「……母に似ている」
思わず、そう思った。
母も。
いつも同じことを言っていた。
『商売は、自分だけが儲かればいいわけじゃないの』
『作る人がいて、売る人がいて、買う人がいる』
『みんなが幸せになる方法を考えるのよ』
アリーゼ嬢の言葉を聞いた瞬間。
私は、母の声を思い出していた。
だから。
彼女が気になった。
最初は、それだけだと思っていた。
けれど。
それだけではなかった。
アリーゼ嬢が笑うと、なぜかもっと話したくなる。
アリーゼ嬢が困っていると、力になりたくなる。
そして。
彼女が自分の人生を歩き始めたことが、嬉しい。
「……母とは違うんだ」
その当たり前のことに気づいて。
私は少し戸惑った。
◇
けれど。
最近は、それだけではない気がする。
「……アリーゼ嬢」
名前を口にする。
すると。
先ほどの彼女の笑顔が浮かんだ。
『ぜひ、一緒にやらせてください』
あのとき。
彼女は本当に嬉しそうだった。
王太子妃になるために生きていた彼女が。
自分自身の人生を見つけ始めている。
その姿を見るのが。
私は、好きだった。
「……好き?」
足が止まった。
「いや……」
私は苦笑する。
まだ、そんなものではない。
そう思おうとした。
けれど。
なぜだろう。
アリーゼ嬢が他の男性と楽しそうに話している姿を想像すると。
胸の奥が、少しだけざわついた。
「……いやだな」
思わず、そんな言葉が口から漏れた。
誰に対してなのか。
何が嫌なのか。
自分でも分からない。
ただ。
彼女の笑顔を、自分以外の誰かに向けてほしくない。
そう思った瞬間。
私は慌てて首を振った。
「……これは」
自分でも理由が分からない。
◇
その日の夜。
私は自室で母から届いた手紙を開いていた。
『エドガルドへ』
いつもの母の字だった。
『次に帰国できるのは、来月になりそうです』
「来月か……」
思わず笑みがこぼれる。
『あなたが商売を頑張っていると聞いています。父さんからも褒めていましたよ』
私は少し照れた。
そして。
最後のほうに。
『ところで、最近あなたから商売についての手紙が増えましたね』
「……」
『何か面白いことでもありましたか?』
私はしばらく、その一文を見つめた。
そして。
なぜか。
アリーゼ嬢の顔が浮かんだ。
「……面白いこと、か」
私はペンを取った。
しばらく考えて。
母への返事を書き始める。
『母さんへ
最近、とても面白い女性に出会いました』
そこまで書いて。
私は手を止めた。
「……女性?」
自分で書いた言葉なのに。
少しだけ恥ずかしくなった。
書き直そうかと思った。
けれど。
結局、そのまま続けた。
『彼女は商売に興味があって、私と一緒に色々なことを考えてくれます』
『話していると、昔、母さんと商売の話をしていた頃を思い出します』
そして。
最後に一言だけ付け加えた。
『……また、母さんと一緒に商売の話がしたくなりました』
手紙を書き終える。
けれど。
なぜか、胸の中には別の言葉が残っていた。
母に会いたい。
そして。
――アリーゼ嬢にも、また会いたい。
「……」
私は自分でも驚いた。
母と彼女。
二人を同じように考えていたはずなのに。
今は。
アリーゼ嬢に会いたいという気持ちのほうが。
少しだけ強くなっている。
「……どうしてだろうな」
答えは、まだ分からなかった。
ただ。
明日、また彼女に会える。
そう思うだけで。
少しだけ、明日が楽しみになった。




