第5章-2
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明龍は、報告書から顔を上げて庭のほうを見た。勇雲とその弟を見に行ったはずの香蘭の帰りが遅い。この間まで監視されて軟禁状態だったこともあり、ついでにゆっくり散歩でもしているのかもしれない。
「戻りました」
勇雲が執務室に帰ってきた。久しぶりの兄弟の再会で表情が明るい。この兄弟は仲がよくて見ていて微笑ましい。
「弟は一緒に来なかったのか」
「報告があるとかで、上官のもとへ行きました」
「そうか。香蘭には会ったか」
「いえ、会っておりません」
首を振る勇雲は嘘をついていない。すれ違ってしまったのだろうか。勇雲には確認しておかなければならないことがある。
「お前、刑部侍郎へ香蘭に自作自演の疑いがあると進言したか」
「刑部侍郎に? そんなことはしておりません。彼には何やらわけのわからないことを言われて絡まれて鬱陶しかったですが」
勇雲の言葉には嘘はない。進言していないという言葉も、玲玲の勇雲が進言したという報告も嘘ではない。証言が噛み合っていなくて、明龍は頭を悩ませる。
「そういえば、弟から奇妙なことを聞きまして」
「なんだ」
「西方地域で葬儀に参加したらしいのですが、首長の娘のもので、半年前に行方不明になっていたが、遺体を最近になって発見して弔ったとのことで」
娘が亡くなっていたことは悼むべきことだが、勇雲の奇妙というのがどこに当てはまるのかわからない。
「村にいた老婆が、彼女の魂を連れていったのはお前だと弟に言ったらしいのです。村の者たちからは、この老婆はかつて優秀な道士であったものの、今は耄碌しはじめているから、気にするなと言われたそうです」
気にするな、と言われて流せる内容ではなく、勇雲は唸るように続けた。
「弟とは顔が似ているので、片方がしたことを、もう片方が勘違いされて間違って怒られるというようなことが昔からよくありました」
「まあ、間違えるのも無理はないな。……そうなると、半年前にお前が連れてきたということになるか」
半年前と聞いて思い起こされるのは、地方任務での勇雲の大怪我だ。任務先で現地の者に助けてもらったと聞いているが、誰かを連れてきたという話は知らない。
「ま、さか」
勇雲が顔を引きつらせた。
「勇雲、どうした」
「いえ」
短く否定の言葉を口にしただけで黙り込んでしまった。明龍は勇雲が動揺しているのが気になり、問いを重ねる。
「半年前、何か変わったことがあったのか」
「……」
勇雲は黙ったまま。つまり、答えれば嘘がわかってしまうのだろう。自然と語気が強くなる。
「答えろ、勇雲」
「何もありません」
明龍はこめかみを押さえる。ひどく濁った音がした。すぐにわかる嘘をついてまで、勇雲は何かを隠している。
明龍は逡巡した。ここまで頑なな勇雲を問い詰めるべきなのか迷いがある。嘘がわかると知った上で唯一側にいる勇雲が、去ってしまうのではないかと、恐れている。そう自覚して明龍は辟易した。
――皇太子が聞いて呆れる女々しさだな
ふと、香蘭の顔が浮かんだ。反魂香のおかげで直接話せた夜のことを思い出す。自分の声で話したいと言った彼女の顔は晴れやかだった。嘘がわかると知っていて、香蘭は明龍と話したいと言ったのだ。
唯一の臣下の言葉に耳を塞いでは、この先誰とも話などできるはずない。
「勇雲」
明龍が名前を呼んだだけで、勇雲は大きく肩を揺らした。続く言葉に怯えているのがわかる。だから、明龍は努めて穏やかに声を発した。
「話してくれ、頼む」
明龍はゆっくりと頭を下げた。話したくないであろうことを話させるから、命令ではなく願う形で伝えた。
「で、殿下!? 頭をお上げください」
しかし明龍はそのまま動かない。勇雲が葛藤しているのがわかった。やがて、大きく息を吐いた。
「わかり、ました」
勇雲は意を決した様子で口を開いた。
「おれは半年前、怪我のせいで死んでいます」
「……は?」
「地元の道士に、魂を別の体に入れてもらって、何とか帰ってきました。その道士も連れて戻りました」
確かに、勇雲は地元の者に助けてもらったと言っていたが、その詳細な内容に頭がついていかない。
「何としても殿下のもとに帰らねばと、その一心でした」
その言葉に嘘は一欠片もない。曇りのない忠誠心で、死んでもなお明龍のもとに帰ってきたという。
「ちょっと、待ってくれ」
明龍は勇雲の前に手を出して、一度話を止めさせた。混乱していて、整理ができない。勇雲は今、明龍の目の前にいる。だが、もう死んでいる? とても信じられなかったが、勇雲の話した言葉には嘘はなかった。信じられなかろうが、明龍の耳が真実であると示している。
――なぜ、気がつかなかった
明龍は半年前のことを思い出す。勇雲が地方任務で大怪我をしたと宮廷に知らせが届き、その後本人が帰ってきたのだった。勇雲が無事に戻ったことが何よりも嬉しくて、帰ってきただけで充分だと、詳細を聞かなかった。大怪我ならば、恐ろしい思いをしただろうから、無理に話させるものではないと思ったのだ。
「くそっ」
明龍は唇を噛みしめた。甘いと言われても仕方がない。臣下の無事に安堵し、浮かれていた。本当は決して無事な状態ではなかったというのに。
勇雲は、嘘はつかなかった。だが、言えないことを抱えていた。ずっと背負わせていたのだ。
「……申し訳ない」
「殿下が謝ることなど、何もありません……!」
勇雲はぶんぶんと何度も首を振った。ここまで心を持って仕えてくれる臣下を失いたくない。だが、目の前にいながらも、もうこの世にはいないというのか。
「おれは、ここにいます」
勇雲はいつものにこにことした笑顔で言った。
「ああ」
明龍はそれだけ返した。勇雲を失わなくて済んだ安堵で、それしか言えなかった。
勇雲はすべて話して少しすっきりした顔をしている。だがすぐに難しい顔をして考え込む。
「首長の娘が、助けてくれた道士だとして、その葬儀が行われたならすでに死んでいるということでしょうか。もう気にする必要はないのでしょうか?」
明龍も考えて、やがて首を振った。
「いや、勇雲の術が継続しているのなら、その娘はまだ存在している」
香蘭の隣で反魂香を見てきた今だから、死んで終わりではないことを理解しているつもりだ。
「西方地域の首長の娘……そうか、『胡姫』か」
明龍の中で、点が繋がった。『胡』とは、西方地域の蔑称の一つだ。異民族由来のものに対して、胡弓や胡服と言うこともある。皇帝が直接交渉をして統合したのはもう何年も前のことだ。蔑称も使われることは少なくなっていた、だから胡姫と聞いてもすぐに結びつかなかった。
「お前の弟が行ったのは、皇帝陛下が直々に統合した異民族の地域か」
「そうです。ですので、今回も交流が予定されておりました」
統合は、平和的な話し合いを経て、合意のもとで行なわれた。だが、それを好ましく思っていない者がいたとしたらどうだ。
例えば、次期首長になるはずだった者だとか。
「……奪われたものは、国そのものか」
それを奪い返そうとしているのだとすれば、狙いは皇帝、ひいてはこの国。
「大きく出たものだな」
明龍は未だ話したことも見たこともない胡姫に対して狂気を感じ、口端を引きつらせた。
胡姫についての見解を、実際に言葉を交わした香蘭に聞いてみたいところなのだが、香蘭はまだ戻って来ない。周囲を散歩しているにしても、さすがに遅すぎる。
玲玲を呼び出して香蘭を探すように頼むと、玲玲はさあっと顔を青ざめさせた。
「香蘭さんまでいなくなってしまわれたのですか……! あのとき、ご一緒していれば……」
「どういうことだ」
「香蘭さんから勇雲殿の弟さんをお迎えにいかないかと声をかけていただいたんです。ですが、そのとき小鈴の姿が見えなくて探していたので、ご遠慮しました。小鈴はすぐに見つかると思ったので、小鈴も連れて追い付こうと思ったのです」
肩を震わせる玲玲に、勇雲は世話係の役目をしっかり心得よと苦言を呈していた。その通りではあるが、幼い小鈴を心配する気持ちもわかる。そして、今その小鈴の姿が見えないということは。
「小鈴も見つかっていないのか」
「はい……」
明龍は顔を強張らせた。勇雲に会いに行ったはずの香蘭が帰って来ず、小鈴までもが姿を消している。胡姫の思惑を考えると、狙いは皇帝だろうがそこへ至るまでに誰を狙うかわからない。皇太子である自分を標的とすることも考えられるし、近い者が狙われる可能性だってある。
「手の空いているもので、香蘭と小鈴を探せ!」
明龍の命令により、大勢での捜索が行われたが二人とも見つからない。目撃情報はそれぞれ、香蘭は執務室を出るのを見た明龍、小鈴は庭に遊びに行くと出るのを見送った玲玲で、それ以降はわからない。隅から隅まで探しているというのに、なぜ見つからないのか。
明龍は香蘭の部屋に来ていた。何か書き置きでもあればと淡い希望を持ってきたが、卓には何も置いてはいない。筆談用のものもないため、勇雲に会いに行ってからは戻っていないと考えられる。
「どこにいるんだ、香蘭」
そのとき、触れていないのに香炉に火が付いた。濃い蜜の香りと金木犀が合わさった香りが漂ってきた。
反魂香が焚かれている。だが、明龍は触れていないし、この部屋には他に誰もいない。明龍は自然と警戒を強めて周囲を睨むように見回す。
カツン、と床に何かが落ちる音がした。見れば、香蘭の姉の遺品だと言っていた櫛が落ちている。明龍の目には見えていないが、どうやらこの部屋に春香がいるようだ。
「これでいいのか」
明龍は落ちた櫛を拾い上げると、のぼっていく煙にくゆらせた。すると、春香の声が聞こえてきた。
「魂在何許 香煙引到焚香處……まさか死んでから反魂香を使えるなんて」
文言のあとには、驚きと寂しさの混じり合った声がした。そして、すぐにその息は乱れ始めた。明龍は大丈夫か、と言いかけて春香の手に制された。
「返事は、なさらないで。香蘭は……攫われました。相手は道士で、小鈴という子を乗っ取っています」
明龍は目を見開いて、かろうじて返事はしないよう声を押し留めた。
「あちらの区に、連れていかれ、ましたが、途中で見失いました。おそらく、術で隠されています」
明龍は庭にいる官吏に向かって言うように話した。
「感謝する、と伝えてくれ」
何か言われたのかと首を傾げる官吏には、何でもないと返した。
「反魂香のことを詳しくはわからないが、無理をするなとも、伝えてくれ」
「妹の危機ですから、無理をして、当然でございます。現世に干渉したことは、香蘭には黙っていて、くださいませ。あの子が卒倒しますわ」
息も絶え絶えになりつつ、春香はそう言った。この姉は明龍に伝えるために、香蘭が卒倒するほどの無茶をしているのだ。明龍は決意を込めて拳を握りしめる。
「俺が必ず助ける、と伝えてくれ」
揖礼をした春香を見て、明龍は部屋を飛び出した。




