第4章-6
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小鈴が熱を出して寝込んでいるという話を見張り伝いに聞いた。香蘭は見舞いに行きたいと訴える。
『何もしません。ただ、心配だから様子をみたいだけです』
「許可できない」
あえなく却下された。
「どうしても見舞いたいのなら、その少女をここまで連れてくればいいのでは?」
見張りは突き放すようにそう言って香蘭の返答も見ずに離れていった。
熱が出ている小鈴を連れてくるなんて、できるわけがない。小鈴のことを無下に扱うことに怒りを覚えた。
――違うわ、無下にされているのはわたし。小鈴は巻き込まれただけ
香蘭は、小鈴の体調がすぐに良くなるようにと祈った。小鈴から投げ返されてしまった匂い袋と同じ香を焚いて、煙に思いを託す。
明龍が浮かない顔をして香蘭の部屋にやってきた。明龍は、勇雲や玲玲とは少しの時間だけだが、接触を許されているらしい。さすがに皇太子に対しては、表向きに過度な制限はできないのだろう。
「風向きがよくないな。君が隔離されている間、僵尸の出現は止んでいる。やはり香士の自作自演ではないかという話が出ている」
『僵尸が減っているのなら元に戻ってよかったのですが、胡姫への手掛かりがなくなって、わたしが犯人になってしまいますね……』
香蘭を犯人に仕立てるために、刑部侍郎に胡姫が何か仕掛けたのだろうか。
「それから、玲玲から厄介な報告も上がっていてな」
『玲玲が調べてくれたのですか』
「隔離の前に話したとき、こっそりと指示を書いた紙を渡していたんだ」
香蘭が隔離されると話したときのことを思い出すが、明龍が玲玲に何かを渡していたような記憶はない。香蘭が不思議そうな顔をしていると、明龍は内緒話をするように教えてくれた。
「肩に手を置いたときに襟元に忍ばせた。すでに見張りはついていたから、念のためだ」
『気がつかなかったです』
香蘭は明龍の機転に素直に感動した。それを受けて調べた玲玲の報告が厄介というのは気になる。
「刑部侍郎に自作自演であるという話をしたのが……勇雲らしい」
――え!? どうして勇雲殿がそんなことを
香蘭は驚きを隠せず、目を見開いた。明龍も眉間の皺を深くして頭を抱えていた。
「玲玲の報告に嘘はなかった。……だが、あり得ない」
『何かの間違いではありませんか』
「ああ……。そもそも、あいつが俺の気に入った者をこんなやり方で貶めるとは考えにくい。これまでも不満があると面と向かって言っていた。それもそれで良くはないのだが」
香蘭は頷いた。武官のようながっちりとした体格でありながらも、明龍に対しては子犬が懐くように行動するのが微笑ましい。香蘭に対しては多少棘を感じるものの、香蘭の未熟さゆえだ。彼が明龍の意思に反することをするとは思えない。実際に、明龍も軟禁状態になっているのだから望むところではないはず。
「うわあああ!」
唐突に、庭のほうから男性の叫び声が聞こえてきた。香蘭と明龍は窓に駆け寄って、その光景に肌が粟立った。
見張りをしている男性に、二人の人間が襲いかかっている。振り払おうとする男性に臆することなく、背中や腕、足に縋りつくように襲いかかっている。無言で男性に覆いかぶさっていて、不気味すぎる光景だった。
「なぜ、だ! お前は先月死んだはず、だろうが」
抵抗をしながら、見張りの男性は絞り出すようにそう言った。
「まさか、僵尸なのか」
『ですが、沈婕妤様や羽瑛さんとは違い、正気を失っているように見えます』
「対処できるか」
香蘭は思考を巡らせた。伯母に聞いた対策の準備はしてある。けれど、実際に試したわけではない。だが、それで迷っている場合ではない。
『はい』
自分を鼓舞するように頷いた。香蘭は棚から蘭草の香を取り出した。煙がよく届くように平皿に香を乗せて火をつける。
『こちらへ誘導を』
「おい! こちらへ来い」
明龍は怯え切っている見張りに対して声を張る。それに気がついた見張りが、足をもつれさえながらも香蘭の部屋の前までやってきた。屍も縋りついたままだ。
「助けて、くれ」
香蘭は部屋の外に出て、手のひらの上に皿を乗せ、蘭草の香の煙を僵尸に向ける。しかし、煙は自然と広がろうと動く。香蘭はさらに僵尸に近づき、煙を僵尸へ向けて思い切り吹きかけた。
桜の葉のような香りが、僵尸に降り注いだ。すると、僵尸は嫌がるような素振りを見せ、その場から離れていった。
「たす、かった」
呆然としている見張りに対して、明龍は鋭く命令を下した。
「今すぐこの状況を皇帝陛下に報告してこい」
「え、ですが、ここの見張りの任が」
「見張りの責任者は俺なんだろう。それよりも皇帝陛下に何かあったらどうする!」
「はっ」
明龍の一喝に、見張りは慌てて駆けていった。
「おそらく、これで監視は解除されるだろう」
『そう、ですね』
香蘭は、無事にこの蘭草が効果を発揮してほっとして、ほかのことまで頭が回っていなかった。
「香蘭、先ほどの香は初めて見たと思うのだが」
『蘭草という香になります』
香蘭は伯母から聞いた僵尸の対策としての香であることを説明した。
「これがあれば、僵尸の問題も解決できるかもしれないな。心強い」
先ほどの見張りの男性が、こちらに駆け戻ってきた。明龍はなぜと言いたげに眉間に皺を寄せたが、彼は体に針金が通ったようなかっちりとした揖礼の動きを見せた。
「恐れながら、皇帝陛下からのご伝言を申し上げます! 監視の最中に僵尸による騒ぎが発生したため、香士殿への疑いを撤回。この事態を収めるよう皇帝陛下より御命令が下りました」
香蘭は見張りの男性に対して、揖礼をもって応えた。皇帝の言葉を代弁するこの人が、今は皇帝の代理となるのだ。脅迫状の件は内密なものであったが、今回のことで表向きに皇帝から香蘭への命令が下り、香蘭の存在が強く周囲に知らされることとなるだろう。
*
香蘭の疑いが晴れたことで、伯母の調査結果も聞き入れられたらしい。やはり、涼雨は操られて利用されただけだという結論が出された。涼雨は暴室から出され、休養を取っていると伝え聞いた。
その後、僵尸の騒動の首謀者とされる胡姫と名乗る人物の捜索が、宮廷にて最優先で行われることとなった。
『殿下、腑に落ちないことがあるんです』
「なんだ」
『監視の最中、あのまま騒動も何もなければ、わたしが犯人となったはずでした。きっと胡姫はそれが狙いだったのに、どうしてわたしの疑いを晴らすような真似を……』
「確かにな。犯人の誤認よりも優先することがあったのか。そもそも、刑部侍郎に告発したのが勇雲というのも、腑に落ちない」
香蘭はきょろきょろと執務室を見渡す。そういえば、朝から勇雲の姿が見えない。
『勇雲殿は、どこかへお出かけですか?』
明龍は外を指さして答えた。
「今日、勇雲の弟が、地方任務から帰ってきたんだ。それの出迎えに行っているところだ」
『双子のように似ているとお話ししていた弟さんですね』
「ああ。そこにいるだろうから、見てくるといい」
『殿下は行かれないのですか』
明龍は肩をすくめてから、手元の紙を指さした。
「この報告書に目を通してからな。軟禁状態の間で確認することが山ほど溜まっているんだ」
さすがに皇太子への報告書を香蘭が手伝うのは難しい。代わりと言っては軽いが、勇雲に告発のことを香蘭から聞いてみることにしよう。
香蘭は教えてもらった門へ向かう。執務室から近いところで玲玲と出会った。
『玲玲、勇雲殿の弟さんが来ているらしいから、ご挨拶をしようと思って。玲玲も一緒に行かないかしら』
「はい。ですが、先ほどから小鈴の姿が見えなくて……。探してまいります」
『わたしも一緒に探しましょうか』
「いえ、遠くには行っていないと思いますので、それには及びません。小鈴も勇雲殿の弟さんに会いたいと言ってましたし、すぐに追いかけますね」
香蘭はわかったと頷いて、再び歩き出す。門が見えてきたとことで、一人の若い官吏に話しかけられた。
「香士殿、こちらは伯母上からのお手紙でございます」
少し緊張した様子で、手紙を手渡された。香蘭は少し中を開けて、伯母の字であることを確認して筆でお礼を伝えた。
『ありがとうございます』
官吏が去った後、手紙は長くはないようなので、香蘭はその場で中身を確認した。
【涼雨という子は操られただけ。今は安静にするのが第一。宮廷に僵尸が現れたと聞いたわ。あなたはずっとあれと戦っていたのか、誇りに思う。けれど、気をつけなさい】
伯母からの後押しと警戒の言葉で、気が引き締まる心地だった。
【それから、前に持ち帰った赤土を調べた結果、西方地域では葬儀で使われるものらしいわ。これが何か役に立てばいいのだけれど】
香蘭は何度も手紙のその箇所を読み返した。西方地域で葬儀に使われる、それはつまり魄を埋めるために使われるということ。
――胡姫って、もしかして
明龍に報告をと思ったが、おそらく勇雲にも聞いてもらったほうがいい。それに、告発のこともまだ聞けていない。
香蘭は勇雲とともに執務室に戻ろうと、門のところへ早足で向かった。勇雲と隣にもう一人の男性の姿が見えて、香蘭の足は止まってしまう。
――え、どういうこと?
勇雲の隣に立つのは、勇雲とは似ても似つかない男性だった。がっちりとした武官のような見た目の勇雲とは違い、柳のように線が細くて眉を下げて笑う人だ。双子のように見えるどころか、兄弟にすら見えない。
二人の近くを通る人たちが親しげに声をかけているのが見えた。誰も、疑問にすら思っていない。明龍の言った双子のようだ、というのが嘘なのかとも考えたが、明龍はそんな嘘をつかないし、つく理由もない。
――あれは、一体、誰?
「あーあ、しくじったか」
「!」
香蘭の真後ろで二重に重なる気味の悪い声がした。これは、胡姫の声だ。香蘭の肌が本能的に粟立った。強張る体で振り返る。だが、その瞬間に香蘭の視界は真っ暗になった。
「金木犀のお嬢さん。……あんた本当に邪魔」
胡姫の針で刺すような声は香蘭の耳には届いていなかった。




