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後宮の香女官は彼方を想う  作者: 鈴木しぐれ
第4章 茉莉花を見つけるとき
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第4章-4


 翌日も引き続き、伯母による調査が続いている。宝物庫や淑妃の宮にも伯母が向かったと聞いたから、もうしばらくかかるかもしれない。

 執務室には、香蘭と明龍の二人がいる。


『わたしから言うのもおこがましいですが、伯母は優秀な道士です。きっと突き止めてくれると思います』

「ああ。宮廷内にも依頼をしたことがある者もいるらしい。この件が片付いたら執務室の配置などを見てもらうのもいいかもしれないな」

『ぜひ。伯母も喜びます』


 明龍と香蘭は同時に扉を振り返った。大勢の足音がこちらに向かってくるのだ。勇雲でも、玲玲と小鈴でもない。少々無遠慮な音に明龍は眉間の皺を深くしていた。


「誰だ」

 扉が開かれると、そこには兵士が揖礼をしていた。明龍への礼を終えると、視線は香蘭に向けられた。


「香士の董香蘭だな」

 香蘭は、訝しく思いながらも一つ頷き返した。


偽計(ぎけい)の容疑がかかっている。同行してもらおう」


 有無を言わさずに兵士が香蘭の腕を掴んできた。強い力が込められて、声が出ないものの悲鳴が喉を通り抜けた。


 ――なにが起きているの


 卓を強く叩く音が聞こえて、兵士が思わずといった様子で動きを止めた。明龍が卓に手をついて立ち上がったのだ。


「皇太子の面前であると理解してのことか。皇太子付きの女官を、俺に許可なく連れていくつもりか」


 明龍に凄まれた兵士が香蘭の腕を離し、言葉を詰まらせていた。明龍はその間に香蘭の手を引いて自らの背後に隠した。

 香蘭からは、大きな背中しか見えなくなっていた。とても頼もしい背中に香蘭は、ほっと息をついた。


「偽計の容疑、とは何のことだ」

「それについては、この刑部(けいぶ)侍郎(じろう)からお話しいたしましょう」


 兵士が左右に分かれて作られた道を、一人の官吏が進み出てきた。刑部とは司法を担う部であり、侍郎はその二番手の地位にいる者のこと。柔和な笑みを浮かべているが、どこか人を見下すような内心が滲み出ている。


「ある御方から、この女官が自作自演でもって、殿下に近づいたのだとご助言をいただきまして」

「なんだと? 一体誰がそんなこ――」

「まあ、お聞きになってくださいませ。その御方は幽霊騒ぎが自作自演であると仰せでした。理由の一つとして、殿下に近づくことが目的でそれが果たせた証拠に騒ぎは収まりつつあります」


 香蘭は、違うと声を出したくても出せなかった。いわゆる幽霊騒ぎを起こしているのは、おそらく胡姫という人物で、香蘭ではない。


 刑部侍郎は二本指を立てて続ける。


「二つ目に、身分不相応なことです。明らかなことでございますが、殿下のお傍に仕える者として商家の娘風情では釣り合いませんな。幽霊騒ぎにつけ込んでのし上がったのです」


 明龍は、さらに眉間に皺を寄せて苛立ちを抑えて、言い分を最後まで聞こうとしている。刑部侍郎は得意げに三本の指を立てた。


「さらに三つ目。親戚を登用するように仕向けたことです。淑妃様付きの侍女まで誑かして騒動を起こし、親戚を召し上げさせた。身内の利益のために動く者だというのは明らかでございましょう」

「以上か」

「はい。殿下」


 刑部侍郎は恭しく拱手とともに礼を返していた。


「彼女は、香士としての技量を買って傍に置いている。専門的な知識を持ってして国のために働いている」


 明龍が香蘭のことを商家の娘ではなく、香士として認めていることを主張した。香蘭はその事実が嬉しくて、顔を見たくて背中からそっと横に並んで明龍を見上げた。明龍は真剣な表情でまっすぐに前を見つめている。


 皇帝の命令で調査をしていることは機密事項であるため、これ以上のことは明龍も香蘭も言うことができない。これで引き下がるとも思えず、香蘭はどう説明すればわかってもらえるのか、必死に考えを巡らせた。


「そうでございますか。では、連行ではなく私室に隔離という形にいたしましょう。監視は付けさせていただきます」


 やけにあっさりと引いたことに、違和感を覚えた。容疑をかけて連行しようとしたのに、すぐに切り替えるなんて、何を考えているのか。連行されないという安堵よりも不安が香蘭の胸に広がる。


「見張りの責任者は殿下にお願い申し上げます。……何かあれば、それは殿下の責任が問われるとご認識くださいませ」

 香蘭は、さあっと血の気が引いていくのを感じた。


 ――まさか、これが目的?


 明龍をでっち上げではあるが、この不祥事の責任者に仕立て上げたいという思惑なのだ。勇雲が以前、貴族というのは他人の足を引っ張るのが好きな生き物だから、と言っていたことを思い出した。この刑部侍郎の後ろには明龍をよく思わない貴族がいるのだろうと推測できた。


「わかった」


 明龍は迷う素振りすら見せずに即答した。それを見届けると刑部侍郎と兵士はさっさと引き上げていった。





 その後、執務室に勇雲と玲玲を呼び出して、事情を説明した。

『ごめんなさい。巻き込んでしまって』

「香蘭さんが謝ることではございません! 変な言いがかりをつけてくるのが悪いんです」


 玲玲は、不満げにそう零した。見張りにきた者に、世話係として玲玲は部屋に入れるように交渉したが、認められなかった。それも玲玲の不満の一端だ。


 勇雲もまた、不満を露わにする。


「殿下を陥れようとは、貴族の連中は面倒なことを……。香士、お前のせいで殿下がこのような状況に置かれているのだぞ」


 見張りの名目のある明龍も、執務室と私室、香蘭の部屋の間の移動に制限されるようで、ほとんど明龍も軟禁状態となってしまう。


『申し訳ございません』


 勇雲の言う通りだ。香蘭のせいで明龍にまで迷惑をかけてしまっている。香蘭はぐっとお腹に力を入れて筆を動かした。そして皆に見えるように紙を示した。


『殿下まで隔離される必要はありません。わたし一人の軟禁で済むよう交渉をしましょう』

「いいや」

 明龍が否定とともに首を振った。


「今は大人しくしておくべきだ。刑部侍郎の背後に誰がいるのか、判明してから対策を立てる」


 明龍にそう言いきられてしまえば、香蘭を含め、臣下は何も言うことがなくなってしまう。


「それから、巻き込んでいるのはむしろ俺のほうだ。香蘭のせいでは断じてない」


 香蘭は首を傾げて、なぜと問いかける。香蘭が疑いをかけられてしまったから、この状況を引き起こしたのは明らかだ。

 勇雲が不満そうに口を開こうとして、明龍の視線に制された。


「俺を邪魔だと思うやつらが、俺の周りで糾弾できるものを探していて、君が目を付けられたというだけだ。君のせいなどではない」


 明龍は当然のことのようにそう話した。嘘がわかる力が、周囲からそのように目の敵にされるものであることが悲しい。皇帝のため、この国のためにその力を使っている明龍を、皆は知らないのがもどかしい。


「勇雲、だからこそお前に調査を頼みたい。刑部侍郎の周囲を調べろ。できるな?」

「はっ、もちろんです。殿下」

 勇雲は不満を押し戻して、明龍からの命令をしっかりと受け取った。


 そのとき、香蘭は部屋の様子を窺うように扉の隙間からこちらを見ていた小鈴の姿を見つけた。声をかけようと近づくと小鈴は警戒するように後ずさりをした。


『小鈴……?』

「どうして? 姐姐から離れてよ。全部うそなんでしょ。お香すごいのも、幽霊もぜんぶ。どうして、そんなことしたの。――うそつき! だいきらい!」


 小さな腕で大きく振りかぶって、何かを香蘭に投げつけてきた。小鈴の力では香蘭まで届かず、二人の間の床に落ちた。拾い上げると、それは初めて会ったときに小鈴に渡し、ずっと持ってくれていた匂い袋だった。小鈴はそのまま走り去ってしまう。


「……っ」


 香蘭は匂い袋を両手で握りしめた。小鈴に嘘つきだと、大嫌いだと言われたことが、兵士や刑部侍郎に言いがかりをつけられたことよりも、香蘭の心に深く突き刺さった。


「香蘭さん! 申し訳ございません。私から説明をする前に、小鈴は中途半端に噂話を聞いてしまったようで。あとで話しておきますから」

『こちらこそ、迷惑をかけてごめんなさい』


 申し訳なさそうに謝る玲玲に対して、香蘭はゆるく首を振った。小鈴の反応はきっと素直なものだ。


「心配するな、疑いはすぐに晴れるだろう」

 明龍は、香蘭の肩に手を置いて勇気づけてくれた。玲玲の肩にも手を置いて、声をかける。


「力を貸してくれ」

「はい。もちろんでございます」

 玲玲はまっすぐに香蘭を信じて頷いてくれた。





 見張りの者に催促をされるようにして、勇雲と玲玲が部屋を出た。それ以降は、必要最低限以外は、部屋から出られなくなった。見張りは扉の真横ではなく、部屋の扉と対面する位置に少し距離を取って全体を見張っている。部屋での会話を聞かれることはないが、窓から外を見ると目が合う。


 一日のほとんどをともに過ごすことになり、香蘭と明龍はお互いのことを話した。すべての会話を手振りでしてみるか、という明龍の提案で手振りを駆使している。傍から見れば、静まり返った部屋の中で、二人が手を動かしているだけの光景で、きっと不思議に思うだろう。


『殿下は双六も嗜んでおられるのですね』

『主に賽によって勝敗が決まるからな、嘘とか言葉は関係なく遊べるものの一つだ』


 双六は、盤の上にある相手の陣地に、駒を進めていく陣取りの遊びだ。高価なものになると、紫檀の木で作られた盤に螺鈿を含めた装飾が施され、駒は透明度の高いガラスを使うという。


『お強いのですか』

『そうだな。だが、勇雲もけっこう強くてな。特に包子(パオズ)が褒美のときは賽の引きもいいんだ』


 包子は、小麦粉の生地に肉などの具材を詰めて蒸した料理だ。香蘭も実家で祝い事のときに食べていた。熱々で食べると美味しいのだ。


『わたしもしてみたいです』

『双六か? それとも包子か?』

『どちらも』


 香蘭が素直にそう伝えると、少し明龍の表情が緩んだ気がした。何気ない会話を交わしていく中で、香蘭の手振りがかなり上達してきた。筆談と遜色ない程度までできるようになった。


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