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後宮の香女官は彼方を想う  作者: 鈴木しぐれ
第4章 茉莉花を見つけるとき
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第4章-3

 翌日から、関係者に話を聞いてまわることにした。明龍自身が話を聞いて、嘘をついているかどうか、を聞き分けなければならないから、手分けすることができなくてもどかしい。茉莉花の香りの判別のためにも、香蘭は同行している。


 当日、夜警の番をしていた者に聞いたところ、こう返ってきた。


「宝物庫に侵入したのはあの侍女だ。この目で見たから間違いない」


 その言葉にも嘘はないという。


 また、淑妃の侍女たちにも話を聞くことができた。瑤花妃は盗人を公主の世話係にしていたなんて、と貴族からその責任を問われているという。瑤花妃は毅然とした態度で跳ねのけているらしいが。


「貴族というのは他人の足を引っ張るのが好きな生き物だから……」


 勇雲が顔をしかめながらそう言っていた。明龍に対してもいろいろと言ってくるようで、勇雲はかなり苛立っている。苛立ちながらも、外廷で侍女たちから話を聞く手筈を整えてくれた。


「殿下、お目にかかれて光栄でございます」

「前置きはいい。お前たちから見て、あの侍女はどういう人物だ」


 侍女たちは顔を見合わせてかた、拱手とともに答えていた。


「涼雨はあんな大それたことをする子ではございません」

「そうです。それに、あの子は暗いのが苦手なのです。夜の庭を歩くのだって怯えるくらいでございます。夜中に盗みに入るなんて……できるわけがありません」


 香蘭は、紙に書き付けて質問を重ねた。


『当日、涼雨さんを見た人はいますか』

「昼間は、淑妃様のご命令で、一緒に庭の赤土を取り除く作業をしていました」


 淑妃の宮を訪れたときに、涼雨から庭の景観のために取り除くか検討中だと聞いた。大変そうだと話していた作業を実際に行われたらしい。


『夜はどうですか』

 すると、侍女たちは困ったように首を横に振った。


「公主様のお傍でお世話できるのは涼雨だけなんです。だから、公主様のお部屋に入ったところは見たけれど、そのあとはわからないのです」


 部屋には窓があるから、外に出ること自体は可能だという。涼雨が犯人ではないと信じたいけれど、真実はわからない。そういうもどかしさが侍女たちからは滲み出ていた。


「殿下。どうか、涼雨をお助けください」

「調査は続ける。何かあれば知らせてくれ」


 明龍はそれだけを言うと、その場をあとにした。香蘭は、手振りで慎重に尋ねた。


『嘘をついていましたか』

「いや、噓はついていない。だが、だからといって、無実を証明できる何かがあるわけではない」

『わたしもう一度、涼雨に会ってきます』


 香蘭はそう手振りで伝えた。当日のことをもっと詳しく涼雨から聞き出して、少しでも手掛かりを掴みたい。


「頼む」

 明龍の力強い口調に背中を押されて、香蘭は責任を感じて深く頷いた。




 筆談用の紙が少なくなってしまったから、香蘭は一度、部屋に戻ってきていた。細かく聞き出して、明龍に伝えなくてはならない。


「香蘭さん、お戻りになったのですね」

 玲玲が部屋の入口に立っていた。昨日よりは顔色は良くなっているように見える。


『これから暴室に行ってくるから、留守をお願い』

 そう書いて見せると、玲玲の目がわずかに見開かれた。そして、香蘭の手を驚くほど強い力で握ってきた。


「お願いいたします。私も連れていってください」


 香蘭は迷って、すぐに返事ができなかった。友人が暴室に捕らわれている様子は、実際に見ればショックが大きいだろう。


「昨日はお見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした」

『驚いて当然よ』

 謝罪をする玲玲に、香蘭は首を振ってそう書き付けた。


「殿下と香蘭さんは、涼雨の無実のために調査をしてくださっています。私だけ何もせずにはいられません。私が香蘭さんの代わりに話します。お役に立ちます」


 玲玲は不安を抑え込んだ表情でありながらも、凛として言った。香蘭としても、一人でいるよりも一緒にいてくれる人がいたほうが心強い。


『わかった』


 さすがに小鈴を連れてはいけないため、玲玲の知り合いに預かってもらうことにした。ここ数日の宮廷の騒がしさや玲玲の様子を見て、只事ではないというのは小鈴も理解しているようで、大人しく頷いて、香蘭たちを見送っていた。


「殿下の命令で、調査に参りました」


 玲玲が、見張りにそう声をかける。見張りは訝しげに玲玲を見ていたが、香蘭を見るなり道を開けてくれた。明龍と一緒に来ていたところを見ていた者だったから、すんなり通れた。


「涼雨!!」

 玲玲は涼雨のいる檻に駆け寄った。涼雨は驚いていたが、ぐっと溢れてくる涙をこらえていた。


「玲玲、会いに来たらあなたも疑われるかもしれないのに」

「涼雨はあんなことはしません。だから、香蘭さんと来たんです」


 香蘭は紙を手に持って、細かいところまで記録する準備をした。玲玲には事前に何を聞くか相談をしてあった。話は玲玲がしてくれるから、香蘭はそれを書いていくことに集中する。


「当日の夜、何があったかできるだけ細かく教えてください」


 涼雨は思い出しながら、いつものおっとりとした口調で話し始めた。


 当日の夜は、夕食後に瑤花妃が公主と遊んでいたという。公主の機嫌も良く、楽しそうに部屋を駆けていた。そのとき、部屋には涼雨のほかにも複数の侍女がいる。やがて公主が眠そうに船を漕ぎ始めたので、涼雨が公主の部屋に連れていった。


「お眠りになるまで、歌を歌っていました。お気に入りの子守歌がありまして」

「涼雨は素敵な声をしていますからね」


 その後は寒くないように、公主が寝返りをするたびに掛け物を掛けなおしてしたのだという。


「窓の外で物音がしたのです。様子を見ようと思い、窓を開けてそれで……」


 涼雨は記憶を辿るように視線を巡らせたが、やがて緩く首を振った。


「そこから何も覚えていないのです。気がついたら知らないところにいて、手に見るからに豪奢な剣を持っていて。重くて落としそうになりましたけど、絶対に貴重なものだから、落としてはいけないと思って」

「それが、宝剣だったんですね」

「ええ。急に外が騒がしくなって、人が大勢入ってきて取り押さえられました。それで初めて、そこが宝物庫だと知りました」


 涼雨の記憶には不自然に途切れているところがあるようだ。睡眠中に歩き回ってしまう病気があると聞いたことがあるが、今回は起きた状態のままで記憶がないから、この病気には当てはまらないだろう。


 ふいに強い風が吹いて、香蘭は身を震わせてくしゃみをした。外で長話をするには少々薄着すぎたようだ。


「香蘭さん、寒いですよね、気がつかなくて申し訳ございません。すぐに上着を持って参りますね」


 玲玲は香蘭が何か伝える前にすばやく駆けていった。香蘭は待つ間にも涼雨から何か聞けたらと近くに寄る。


『宝物庫にいたときに、何か気づいたことがあれば――』

「ねえ、あんた声奪われてなんで平気な顔してるわけ?」


 ――え、なに、今の声


 唐突に聞こえてきた、知らない声。だがそれは確かに目の前の涼雨から発せられていた。涼雨の声に別の声が重なって聞こえて、気味が悪い。話し方はおっとりしたいつもの涼雨とは全くの別物だ。


「ふーん、あんた変わった香りがするね。蜜の香りと雨の匂い、それと金木犀ね。……月には巨大な桂花の樹があり、それは不死の象徴である、ってね。あたしよりもあんたのほうがよっぽど向いてるわね」


 涼雨ではない、その誰かは香蘭をまじまじと見つめて、わけのわからないことを言った。今は反魂香を使っていないのに、その香りを言い当てられたことに身震いがした。涼雨の手で、誰かは肩から滑り落ちた香蘭の髪を掬うようにして触れてきた。そのとき、今までで一番強烈に茉莉花の香りが香蘭を襲った。


『あなた、誰』


 香蘭はその手を振り払って、走り書きでそれだけ書いて目の前に突き付けた。


「あたしは胡姫(こき)と名乗っているわ。またね、金木犀のお嬢さん」


 口角をたっぷり上げた笑顔を残して、その人、胡姫の気配は消えた。涼雨が、不思議そうに香蘭の顔を見つめている。


「どうしたんですか、怖い顔をして」

『さっきまで、わたしと話していた内容は、覚えていますか』

「え、はい。宝物庫で気がついたときの話をしていましたよね」


 涼雨は、先ほどまでの会話を一切覚えていない。涼雨ではない、全く別の人物が会話をし、涼雨の体を動かしていたのだ。


 ――体を乗っ取られた可能性がある


 香蘭は、涼雨に話を聞かせてくれた礼を言うと、急いで明龍のもとへ向かった。途中で上着を持ってきた玲玲にはこれから説明するからと一緒に来てもらった。


「急ぎの報告とはなんだ」

『涼雨は、何者かに体を乗っ取られた可能性があります。先ほど、胡姫と名乗る者が涼雨の声と体を操っていました。その間の記憶は、涼雨にはありませんでした』

「なんだと」


 明龍は驚きの声を上げた。香蘭も信じられない気持ちだが、実際にこの目で見たのだ。


「では、盗みに入ったのも、操られていたかもしれない、ということですか」


 玲玲の今にも泣きそうな声での問いかけに、香蘭は一つ頷いた。まだ確証の持てないことを涼雨には言えないが、おそらくそうだろう。


『伯母を呼んでいただくことは可能ですか。わたしの母方は道士の家系です。術に関してお力になれるかもしれません』

「道士か……今は宮廷に道士は駐在していない。一から探すより確実だな。手配しよう」


 数時間もしないうちに、伯母がやってきた。いつも煙管を片手に余裕のある笑みを浮かべている人だが、今日は顔つきが真剣そのものだった。明龍へ揖礼とともに挨拶をする。


「皇太子殿下、お初にお目にかかります。董香蘭の伯母にあたります。道士の()芳冥(ホウメイ)と申します」


 ――冥ちゃんの名前、ちゃんと聞いたの久しぶり


 香蘭はそんなことを考えていた頭を、ぶんぶんと振った。伯母はこうして宮廷に呼ばれたことで、何かを察しているのだろう。道士として呼ばれた伯母に対して、香蘭も皇太子付きの香士として、立つべきだ。


『術によって、体を操られた可能性のある侍女がいます。道士としての見解をお聞きしたく、お呼びしました』


 一瞬、伯母は香蘭を見守るようなまなざしで見つめていたが、すぐに表情を切り替えた。


「心得ました。その侍女に会わせてください」

「すぐに手配する。このまま応接室にて待っていろ」

「はっ」


 道士が暴室に入れられている者に会うため、明龍が指示をまわしてくれる。


「香蘭」

 伯母に手招きされて、香蘭は隣に腰をおろした。


「前、僵尸について聞いたでしょう。だから、少し調べてみたよ」

『ありがとうございます』


「僵尸の弱点は、火や太陽だという。活動は基本的に夜であることが多い。それから、蘭草らんそうにもある程度の効果があるらしいわ。これについては、香士殿のほうが詳しいだろうね」

 香蘭は驚きつつも頷いた。


 蘭草、もしくは(あららぎ)と呼ばれる香。乾燥すると桜の葉に似た香りがして、漢方の薬としても使われる。香蘭の持つ香の中にも含まれる。


「蘭草には不吉なもの、鬼を退ける力があると道士の中では言われている。香は必ず火を使うから、組み合わせたらいいんじゃないかな。私個人の見解、というか勘にすぎないけどね」


 伯母は肩をすくめていつもの軽い調子に戻って言った。伯母の言う勘はよく当たる。道士のなせる技だといつだったか母も感心していた。


『しっかり、覚えておきます』

 香蘭は深く頷いた。


 それからすぐに、伯母は明龍の手配した従者によって暴室に案内された。香蘭は涼雨の無実が証明されることを、今はただ祈るしかできない。

 明龍も祈るような表情で見送っていた。


「幸い、近頃は僵尸の目撃情報が減っている。一旦、こちらの解決を急ぐようにと皇帝陛下も仰せだ。もうひと踏ん張りだ」


 香蘭は、拱手とともに大きく頷いた。


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