第4章-2
*
「昨晩、宝物庫に盗人が入った」
早朝に勇雲からの報告を受けて、香蘭は夜中の音の理由はそれだったのかと理解した。外に様子を見に行かなくて正解であった。
「怖いですね。香蘭さん、部屋の前に警備などを置きますか」
玲玲が心配そうに提案をしてくる。今は執務室にいるのだが、玲玲は香蘭の髪を梳かしていたり、爪を整えていたり、私室のような振る舞いをしている。ちなみに小鈴は横でそれを真似している。
「真面目に聞け。殿下の前だぞ」
「お支度も整わないうちに呼び立てられたのですから、仕方がありませんよ」
勇雲と玲玲が、互いの主張と視線をぶつけている。香蘭は、手振りで『申し訳ございません』と明龍に伝える。すると、『構わない』とこれまた手振りで返ってきた。口を挟むと侍女と臣下の言い合いがさらに加速してしまうと、察しているからだろう。
「盗人は捕まったのでしょう。では、どうしてこんなに騒ぎになっているのですか」
玲玲が少々不満そうに、早朝からの呼び出しの理由を問うた。勇雲は頭を抱えながらそれに答える。
「狙われたのが、龍の装飾が施された宝剣――皇帝の象徴の宝物だ。そして盗人が淑妃様の侍女だったからだ」
「えっ……」
「名は確か、涼雨といったか」
香蘭の髪を梳かしていた櫛が、からんと音を立てて床に落ちた。玲玲が小さく、嘘でしょと呟いたのが香蘭には聞こえた。玲玲は次の瞬間にはその場に崩れ落ちた。
「おい」
突然崩れ落ちた玲玲に、勇雲は不可解そうな声をかけていた。香蘭は玲玲に寄り添って背中を撫でる。不安そうにしている小鈴に、同じようにできる? と身振りで伝えて背中を撫でる役を預けた。
『涼雨は、淑妃様のお茶会の際にお世話になりました』
香蘭が紙に書き付けて伝えると、明龍が一つ頷いた。
「牡丹灯籠の件で、玲玲が協力をあおいだ侍女だったな。少し前に、ここへ菓子を持ってきたが、勇雲は会っていなかったか」
「はい。菓子を淑妃様からいただいたと後ほど聞いたのみでした」
執務室に重苦しい空気が流れる。勇雲が、言いづらそうに口を開いた。
「盗んだ品が品なだけに、即処刑の声も上がっております。そもそも許可なく宝物庫に入ることが重罪ですし。本人は否定しているようですが」
「そんな……!」
玲玲が、か細い悲鳴を上げた。以前は同じ部署だったと言っていたが、親しげな話し方からして、ただの同僚ではなく大切な友人なのだろう。
『話を聞きに行くことは可能でしょうか』
香蘭は、明龍と勇雲にそう書いた紙を見せて訴えた。このまま処刑されてしまうのを黙って待っているなんてしたくない。
「勇雲、皇太子が調べると言っている、と伝えてきてくれ」
「はっ」
勇雲は大きい体で素早く駆けていった。急がなければ処刑が行われてしまうかもしれない。
香蘭はしゃがみ込んで、玲玲と視線を合わせた。
『ちゃんと調べてくるから、待っていて』
「ありがとう、ございます……」
玲玲の憔悴しきった声は聞いていて苦しくなるものだった。香蘭が涼雨と会ったのは数回だけれど、盗みをするような人には思えなかった。
明龍と香蘭は、暴室と呼ばれる女官の牢獄に向かった。屋外に掘った穴に檻を取り付けたところで、人が長時間過ごすような場所ではない。厳重な見張りもついていたが、明龍の姿を見てさっと脇に避けた。
「人払いをしてくれ」
「この者は盗人でございます。殿下が直接お話しするような者ではありません」
「話す必要があるかは俺が決めること。下がれ」
明龍の圧に押されて、見張りの者は下がっていった。とはいえ、少し離れたところから見張りは続けるのだろう。皇太子に何かあってはならないのだから。
「涼雨だな」
「……えっ、殿下、なぜここに」
涼雨は驚きの声を上げてから、慌てて揖礼をしていた。明龍が楽にしていいと言ったことで顔を上げて、ようやく香蘭もいることに気がついたようだ。
「香士殿も、来てくださったんですね。あの、玲玲はこのことは……」
『知っています』
「そう、ですか」
涼雨はショックを受けた様子で俯いた。友人には知られたくなかったのだろう。だが、次に顔を上げたときには、決意のこもった目をしていた。
「私は、宝剣を盗んでなどおりません」
「誓うか」
「はい。私のすべてを賭けて、誓って皇帝陛下への反意などございません。私は盗人ではありません」
涼雨はおっとりとした口調は変わらず、だが一言一言はっきりと無実を告げていた。明龍は涼雨が話す様子をじっと見つめていた。
「では、なぜ宝物庫にいたのだ」
「それは……」
涼雨は視線を落として口ごもっている。香蘭は紙に書き付けて涼雨に見せた。
『正直に話してください。お願い』
「……わからないのです。何も覚えていなくて。気がついたら宝剣を持っていました」
目に涙を滲ませてそう言った。おそらく同じことを官吏に言ってふざけるなと言われたのだろう。容易に想像できる。そして、そう言いたくなる気持ちもわかる。
「なるほど」
「信じて、くださるのですか」
叱責することなく一つ頷いただけの明龍に対して、涼雨は声を震わせながら見上げている。
「無実の者を処刑しては真犯人を逃してしまうからな。今しばらく、耐えられるか」
「はい……! 無実を信じてくださるのであれば」
涼雨がはらはらと涙で頬を濡らしながら何度も頷いた。香蘭は檻の隙間から手を入れて、涼雨へ手を伸ばす。大丈夫だと伝えるように手をぎゅっと握った。
――この香りは、茉莉花の香り
涼雨に触れたとき、今までにないくらい強い茉莉花の香りを感じた。
一度、暴室を離れてから、明龍に茉莉花の香りがしたことを話した。明龍は他に聞く人がいないことを確認して話した。
「彼女の言葉には、嘘はなかった。盗人でないということも、覚えていないということも、事実だ」
『皇帝陛下のもとに脅迫状を持ってきた者と、少し似ています。遺体と生者の違いはありますが、国の重要な場所に忍び込んでいます』
「ああ。皇帝陛下に申し入れて、処刑を保留にして調査の許可をもらおう」
明龍はその日のうちに皇帝に話をつけて、調査を請け負うことになった。貴族をはじめ、宮廷の者たちは捕まった涼雨が犯人なのだから、なぜ処刑しないのかと疑問の声も上がっている。皇帝の命令で今は抑えられているが、早めに真犯人を突き止めなくてはならない。




