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後宮の香女官は彼方を想う  作者: 鈴木しぐれ
第3章 牡丹を灯すとき
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第3章-7

 中元節当日を迎えている。


 三日前、笙恋が執務室に来たその日の夕刻には、皇帝から牡丹灯籠は以後出現しない、中元節の準備を必ず終えよと命令が下った。どこの部署も必死で準備にあたり、当日を迎えることとなった。


「お疲れ様でした、香蘭さん」

『ありがとう、玲玲』


 香蘭も、香の準備に奔走していた。尚香局へ指示を出して作ってもらうものも、その指示の時間がもったいないから香蘭自身で作るというほどにはぎりぎりであった。純粋に手が足りないから、玲玲にも手伝ってもらった。


 そして今、当日の夜には中元節のために慣習通りに香が焚かれている。宮廷全体に香が満ちていて、それは香蘭が作り出した香である。


 ――なんてすごい光景なのかしら


 香蘭は、自分の中に達成感と高揚感が込み上げてくるのを覚えた。香士としての仕事を果たしてここにいるのだ。


 近頃は、牡丹灯籠の噂によって宮廷内にも人の姿は減っていたから、こうして、たくさんの人が宴に出ているのを見ると圧倒される。


「あっ、香蘭さんこっちです」


 庭のある一画に人が集まっている。玲玲と小鈴に手を引かれて香蘭もそこへ向かう。宴の余興として、今から投壺が行われるようだ。明龍は皇帝と話があるとのことで、少しの間離れている。


「勇雲さん、頑張ってください!」

「がんばれー」


 皇太子の側からはもちろん勇雲が参加している。一番になった者には、皇帝陛下の名で褒美が与えられるとあって、参加者は大変な意気込みだ。


 勇雲は大きな体を使って、矢を放っていく。好調に見えたが、それ以上に気合いのこもった参加者が隣にいた。勇雲の得点は惜しくも二位だった。


「不甲斐ない」


 悔しそうにそう呟く勇雲に、皇帝との話が終わったらしい明龍が声をかける。


「よくやった、勇雲」

「ありがとうございます、殿下」


 勇雲は皇帝からの褒美よりも、明龍からの褒めの言葉のほうが良さそうだ。香蘭も、筆談でお疲れ様でした、と労いの言葉をかける。


 そこからは、明龍や勇雲、玲玲と小鈴、とともに中元節のために用意された宴の食事や菓子を堪能する。


「香蘭、香の準備で大変だっただろうが、今くらいは宴を楽しむといい」

『ありがとうございます』


 明龍からの気遣いに、香蘭は自然な流れで手振りを使って返す。香蘭がきちんと香士の役割を果たしたからか、投壺で明龍に褒められたからか、勇雲も今日は香蘭に何かと噛みついて来ることもない。


『楽しいですね』


 香蘭は独り言のように、でも明龍に少し見えるように手を動かした。ちゃんとそれをみていた明龍は表情を和らげた。


「それはよかった」


 中元節の終盤では、灯籠を川に流すことになっている。光が当たらず、黒く見える川にぽつりぽつりと赤い光が灯っていき、それがどんどん増えていく。水面の揺れに合わせて、不規則に揺れる灯籠はまるで生き物のようだった。灯籠に近づけば、ぼおっと顔が光で照らされる。幻想的で美しい光景が広がる。


 たくさんの灯籠の中にひとつ、異質な灯籠が現れる。


「ひっ、ぼ、牡丹灯籠だ……!」


 一人が怯えた声を発し、その場にいる全員の注目が集まる。ざわざわと混乱の声が高まってきたところで、明龍が声を響かせる。


「牡丹灯籠はもう出ないと皇帝陛下は仰せになった。この場で牡丹灯籠の恨みを晴らし、今後一切現れぬようにするよう命令を受け、俺はここにいる」


 香蘭は、明龍の背後で見えないように香を焚く。反魂香ではなく、花の香りのもので煙の質量が多く長く持つ性質の香だ。この香は雰囲気が出るように焚いている。つまりは演出にすぎない。明龍の発案で、一芝居打つことになったのだ。


 ――大丈夫、できるわ


 ちらりと侍女の姿をしている笙恋の横顔を見た。顔隠しの下で緊張の面持ちをしている。

 明龍は香が庭へ広がるのを確認して、再び口を開いた。


「牡丹灯籠を殺した犯人を、皇太子が匿っているという噂を耳にした者もいるだろう。……もちろん本気にしたものはいないだろうが」


 言葉の外で、信じたであろう者への牽制をしつつ、この噂が誤解であると公言した。


「その噂によって真犯人をあぶり出すことに成功した。牡丹灯籠、示せ」


 明龍の声を合図に、牡丹灯籠、笙恋が動き出した。しずしずとほとんど音を立てずに進んでいく。そして、一人の医官の前で止まり、笙恋が指を指した。


「なっ、私は、殺してなどおりません!」


 医官は憤慨して声を荒らげた。明龍はあくまでも冷静に医官に言葉を投げかける。


「そうだろうな。治療をしなかったというだけでは罪にはならない。それがたとえわざとだとしてもだ」

「お前、が……」


 笙恋が声を振り絞り、医官を指さした手が震える。

 香蘭はその様子を、固唾をのんで見守る。


「だが、宮廷にあるものはすべて皇帝陛下の所有物だ。薬も道具もすべて。それを懐に入れて私腹を肥やすのは言語道断!」


 明龍は視線で合図を出し、勇雲が調べ上げた証拠を医官の目の前に突き付けた。


「お前は良質な薬を売りさばくため、患者への治療を渋っていた。皇帝陛下より賜った職に反する行為だ。恥を知れ」


 勇雲が吐き捨てるように医官へ言い放った。

 貴族も一枚噛んでいたのだろう。医官が助けを求めるように視線を送るが、無視されている。医官は観念してその場に崩れ落ちた。


「牡丹の後ろには茉莉花も咲いている。必ず日の目を見るだろう」


 医官は何のことかわかっていない様子だ。それでいい。これは、僵尸を生み出している者への意思表示なのだ。


 ――わたしたちはあなたの存在に気付いている、絶対に見つけ出すわ


 連行されていく医官の姿を見た、笙恋の頬に涙が零れ落ちた。笙恋は持っていた牡丹灯籠をそっと川に流した。大衆の目が牡丹灯籠に注がれ、川の下流にいた香蘭がそれを拾い上げた。


「……」


 香蘭は大きく息を吸い、ふうっと灯籠を吹き消した。牡丹灯籠が立っていた場所には誰もいなくなっていた。


 もう、牡丹灯籠はいない。





 中元節の夜が明けて、笙恋が執務室へやってきた。先日医官を出せと来たときとは顔つきが全く違う。


「改めて、お伝えしたくて参りました」


 笙恋は深々と頭を下げた。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。そして、本当にありがとうございました」


 明龍をはじめ、ここにいる者たちは笙恋の仕業であることは伏せることで一致している。顔隠しをしていたから、笙恋の顔は知られていない。今回のことで彼女が追及されるようなことはない。


「私、尚宮局で頑張ります。羽瑛様が残してくださった全部を使って、あの人のように立派な女官になってみせます」


 香蘭はその姿を眩しいと感じた。


 亡くなった人を思いながらも、前を向いて進んでいける強さ。香蘭にはないものだ。反魂香に縋って、失ったことを認められない。


 ――ああ、でも、ああなりたいわ


 笙恋のようになれたらいいと思っている自分自身に気がつく。これは、進んでいると言ってもいいのだろうか。



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