第3章-4
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羽瑛の死について不審な点がなかったことから、香蘭たちは牡丹灯籠の特に正体不明な侍女について調べを進める。
夜、香蘭と明龍は牡丹灯籠の目撃された場所で反魂香を使うことにした。
「どうだ?」
「……いえ、ここにはいません」
噂に聞いた侍女と似た背格好や髪型を手掛かりとして、彼女の魂を探すが見つけられなかった。その後、何度か試したものの成果はない。
「俺たちが探していることに気がついて、逃げているのか」
『その可能性もありますね。魂はどこへでもいけますから』
「生きている人を探すよりも骨が折れるな」
『牡丹灯籠でいる限り、宮廷からは出ていないと信じたいです』
「そうだな」
何か目的があって牡丹灯籠として現れるのなら、宮廷の中にいると思われるが、このままでは見つけられない。
「手掛かりを増やすべきだろう。勇雲や玲玲も調べてくれているが、俺たちも行こう」
『はい。尚宮局へ行きますか』
この問いかけは、手振りを使って聞いてみた。明龍は声と手振りを同時に使って返事をくれた。
「そうしよう」
香蘭が手振りを使って話すと、明龍は眉間の皺が薄くなり、雰囲気が柔らかくなる気がする。だから、もっと上手く話せるようになりたいと香蘭は思っている。
「少しいいか」
明龍が尚宮局へ訪れると、はじめは驚きと浮足立つ者もいたが、牡丹灯籠の件と伝えると気を引き締めた表情に切り替わった。
「羽瑛以外で最近亡くなった女官はいないか」
「いいえ、おりません。尚宮局は長官がいなくなって、ようやく新しい体制に慣れてきたところで、そこに牡丹灯籠の件があり、皆疲弊しております」
「他の女官にも話を聞けるか」
「手配いたします」
尚宮局の女官たちに、同じ質問を投げかけたが、返ってくるのはいない、知らないという答えばかりで彼女たちの言葉には嘘はないという。
「正直、行き詰まりだな」
『はい……』
特段の成果もなく、執務室に戻ってきた香蘭と明龍は椅子に腰掛けてため息をついた。玲玲がお茶を用意してくれるから、そのまま待つことにした。
『玲玲がお菓子を作りたいと言っていました』
香蘭が手振りでそう伝えると、明龍が苦笑いを浮かべた。
「しばらくは控えるように言ってある。さすがに作りすぎだ。まあ、毎回高価な食材を用意しようとする勇雲のほうに問題があるがな」
殿下が口にするものなら、と張り切る様子が目に浮かぶ。玲玲もそれに乗じて山ほどお菓子を作るのだから、少し控えるくらいでいいのかもしれない。
部屋の外から足音がして、もう玲玲が戻ってきたのかと思った。だがその足音が軽く、小鈴のものだとわかった。
「こんにちは!」
「小鈴も玲玲の茶を飲むか」
「うん」
ちょこんと椅子に座って一緒に待つらしい。小鈴は足をぷらぷらとさせながら明龍と香蘭を交互に見つめた。
「どうして、二人は仲良しなの? どうして?」
香蘭は明龍と顔を見合わせる。
小鈴のいう仲良しの関係性ではない。皇帝からの命令のため、反魂香の力を買われて皇太子付きに任命されただけのことだ。
「そうだな……、香蘭は香を作るのが上手いから、ここにいてもらっているんだ」
明龍がそう答えて、小鈴はそっか! と声を上げて袂をごそごそと探った。
「これもすっごくいい香りだもんね」
嬉しそうに取り出したのは、初めて会ったときに香蘭があげた匂い袋だった。どうやらいつも持ち歩いてくれているようだ。
『ありがとう、小鈴』
書き付けて小鈴に見せると、にっこりと笑って小鈴は頷いた。
「どうしたしまして!」
香蘭は明龍に向き直って、手振りで先ほどの言葉に対して礼を伝える。
『殿下、もったいなきお言葉ありがとうございます』
「本当のことだ」
『いいえ』
香士とはいえ、一介の女官である。本来ならば皇太子の明龍とこうして並び立つのはおこがましいほどの身分差だ。
――皇太子殿下と一緒にお茶をするなんて、普通ならあり得ないのだから
香蘭の中で、何かが引っかかった。
「香蘭?」
急に考え込んだ香蘭に、明龍は不思議そうに声をかける。ただ、香蘭は細い糸を手繰り寄せるように、自分の中で引っかかった何かを探ることに集中していて、呼びかけに気付かなかった。
――本来なら、一緒にいないはずの、二人
香蘭は、大きく口を開けた。声があれば「あっ」と大きな声が響いたところだっただろう。
『一緒にいないはずの者が、共にいるのです』
「どういう意味だ」
『生者と死者が、並び立って、牡丹灯籠をやっているのだとしたら』
小鈴がうっかり文字を見て怖がらないよう、手振りを駆使して伝えた。すると、明龍はゆっくりと目を見開いた。香蘭の言葉を反芻してから、明龍は大きく息をついた。
「なるほど、そもそもの聞き方を間違えていたようだな。――小鈴、すまないが玲玲には茶はあとにすると伝えてくれ」
「え? ええっと、うん、わかった」
小鈴がよくわからないままだろうが、とりあえず頷いたのを見て、明龍は執務室を出た。香蘭もそのあとに続く。向かう先はもちろん、尚宮局だ。
「もう一度、話を聞かせてくれ。羽瑛と親しかった者は、“今どこにいる”?」
再びの皇太子の訪問に驚いた様子だったが、女官はすぐに拱手とともに答えた。
「笙恋のことでございましょうか」
「どんな人物だ」
初めて明確な名前が返ってきたことに、香蘭は息を飲んだ。明龍はすかさず質問を重ねる。
「羽瑛さんの下についていた女官です。忙しい長官の仕事によくついていっていました。歳がかなり離れていたからか、親元を離れて後宮へ来た笙恋が、かつて子を亡くした羽瑛に懐いていた印象です。上司と部下ですが、まるで親子のようで」
こう語る女官の口調は穏やかで、二人を微笑ましく思っていたのだろうと伝わってくる。
しかし、先ほど聞き取りをしたときに、笙恋と名乗る女官はいなかったように思う。明龍へそのことを簡潔に手振りで伝える。同じことを思っていたようで、一つ頷きが返ってきた。
「その笙恋は、どこにいる」
「尚宮局へは顔を出していません。新しく長官になった方が実の親子でなくても、喪に服すことがあってもいいと、特例を」
喪に服しているから、尚宮局にはいない。ようやく見えた手掛かりだというのに。
「会えないか」
「皇太子殿下へ、喪に服している者を会わせるわけには参りません。私が罰を受けてしまいます」
明龍は他にも同じことを聞き取り、尚宮局をあとにした。香蘭は明龍に短く問いかけた。
『嘘は』
「誰もついていない」
せっかくの手掛かりを得たものの、喪中とあっては明龍が彼女と会うことは難しい状況だ。皇太子の命令として呼び出そうにも、喪中だから控えると返ってくるだけだ。
「公的に会えないのなら、非公式に会えばいい。変装でもして、その者の部屋を訪ねるか」
『お待ちください』
徐々に早足になっていく明龍の前に立ち、香蘭は手振りでそう伝えて止めた。明龍の言う方法はさすがに懸念点が多い。香蘭は続けて紙に書き付けた。
『まだ、その女官が牡丹灯籠の侍女かは定かではございません』
「それはそうだが、可能性は高い」
表情にはあまり出ていないが、明龍は少し焦っているように見える。いや。皇帝から早く解決しろと急かされているのだ、手掛かりが掴めた今、焦って当然だ。
香蘭は必死に考える。笙恋という女官が何かを知っているもしくは、関わっているだろうことは香蘭もわかっている。
「魂ではなく、生きている人が相手ならば上手くおびき出せないものか……」
『牡丹灯籠の噂の中で、気になることがございます。本来の牡丹灯籠の話の中にはない、“自分を殺した犯人を探している”というところです。どうしてそんな噂があるのか、もしかすると、牡丹灯籠がそう言っているからではと思ったのです』
「なるほど……玲玲に聞くのが早いか」
『わたしもそう思います』
執務室に戻ると、すでに冷めてしまった茶とともに玲玲が待っていた。
「すぐに淹れなおしてまいります」
『玲玲、その前に確認したいことがあるの』
香蘭は、牡丹灯籠が犯人探しを広めているのか確認したいと伝えた。すると、玲玲は少し驚いた表情になった。
「まさに報告をしようと思っていたところでございました」
「牡丹灯籠が言ったのか」
「その通りでございます。侍女が『主人を殺した犯人を探している』、『殺したのはお前か』と聞かれた者もいるそうです。本来の怪談とは違う噂を聞き、ご報告をと思った次第です」
玲玲は、お茶を淹れなおしに一度執務室を出た。明龍から勇雲も連れてくるようにと指示も受けていた。
玲玲と勇雲が揃ってから、明龍は尚宮局に所属する笙恋という女官が関係していることを話した。そして香蘭は書き付けた紙を全員に見せた。
『牡丹灯籠についての、別の噂を流しておびき出せないかと考えました。探している犯人はとある場所――例えば中庭の東屋にいるなど』
「いっそ、皇太子が犯人を匿っている、近日中には外部へ引き渡す、のほうがいいのではないか」
「殿下、いくらなんでもそれは……!」
明龍の提案に、勇雲がすかさずかぶりを振った。しかし、明龍は引き下がるつもりはないらしい。
「これ以上長引かせるものではない。相手に悠長にしている暇はないと思わせるのが効果的だ。玲玲、噂を早急に広めてくれ。尚宮局を中心に、後宮へ広がるように」
玲玲は戸惑った様子だったが、皇太子の命令だ。すぐに拱手をして受け取った。
「涼雨――私の友人で、淑妃様の侍女に協力を要請してもよろしいでしょうか」
「構わない。勇雲は羽瑛の死の前後で不審な人の動きがなかったか調べてくれ」
いまだに噂の内容に不服そうな顔をしている勇雲だが、明龍の指示に口を開いた。
「羽瑛の転落事故についてはすでに調査済で、特に不審な動きはございません」
「その後は?」
「高熱で寝込んでおり、尚宮局にも出ていないようで、動きも何も……」
「念のため、調べてくれ」
「はっ」
香蘭は、反魂香の出番は来ないかもしれないと思い少し残念に思う自分に驚いた。使わなくていいのなら、そのほうがいいはずだ。香蘭にとっても、生きている笙恋にとっても、亡くなった羽瑛にとっても。
その夜、香蘭は部屋で反魂香に火を付ける。誰かのためではなく、香蘭自身が姉に会うための金木犀と雨上がりの香りだ。
「魂在何許(魂はどこにあるのか) 香煙引到焚香處(香の煙に導かれ、香の焚かれるところ)」
香蘭の文言に応えるようにして、煙の向こうに春香の姿が現れる。
「ねえ、姐姐は牡丹灯籠を見たことはある?」
「遠くからぼんやりと明るい牡丹の花は見たわ。けれど、顔がわかるほどには見てないわね」
「やっぱり、笙恋って人を探すしかないよね」
「頑張っているのね、香士の仕事はどう?」
春香が穏やかな表情でそう聞いてきた。香蘭は少し悩んでから肩をすくめて答えた。
「中元節の香は、尚香局が主体だから。牡丹灯籠のことは、香士の仕事かよくわからないけど……」
「そうね、じゃあそれは私の代わりじゃなくて、香蘭の仕事ね。私にはできないこと」
「そんなことない。姐姐ならわたしよりももっと上手くできるよ」
香蘭は首を振ってそう言えば、春香はすっと笑顔を引っ込めた。
「そうかもしれないわね。でもやると決めたのは香蘭でしょう。……後悔しているの?」
景月や珀静の顔、匂い袋を握りしめた小鈴の顔、そして明龍の笑顔を思い浮かべて、考えるよりも先に否定の言葉が出た。
「してない」
香蘭はひとつ息を吐いてから続ける。
「後悔はしてないけど、でも、戸惑ってるの。何かが変わってしまう気がして、このまま進んでいいのか、わからない」
春香はふわりと煙に乗って香蘭の近くへやってきた。
「頑張っている香蘭の頭を撫でてあげたいわ」
「ふふ、わたしも撫でてもらいたいなあ」
香蘭はかつて春香が撫でてくれた手のひらの温度を思い出して、微笑んだ。
「あら、素直で可愛いことを言ってくれるのね。本当にしようかしら」
「だめっ!」
春香が手を伸ばしかけていることに気がついて、香蘭は鋭い声で制した。
魂は現世の者や物には干渉できない。しかし、己の存在を代償にすることで触れることもできると伯母が話していた。存在が消えるということは、魂そのものが消え、いなかったことになる。反魂香をもってしても、二度と会えなくなってしまう。
春香だって、それは知っている。
「もう、いなくならないでね、姐姐」
煙が風に揺れて、春香が泣きそうな表情なのか微笑んでいるのか、よく見えなかった。




