第3章-3
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ある日、執務室で勇雲と小鈴の何やら白熱した声が響く。香蘭が部屋を覗くと、二人が投壺の練習をしているところだった。玲玲はそれを見守りつつ、繕い物の作業中だ。
投壺とは、壺に矢を投げ入れる遊びで、宴の余興としてもよく行われる。矢は十二本あり、すべて入れることができれば、その場で勝ちとなる。それ以外の場合は、矢の入り方で点数が決まっていて、百二十点になった者が勝ちである。
『小鈴の遊びに、勇雲殿が付き合っているの?』
玲玲にそう尋ねると、玲玲は笑顔を浮かべつつ首を振った。
「いえ。勇雲殿の練習を小鈴が応援しているのです。中元節の宴で投壺をすることになったのは、お聞きになりましたか」
『ええ。余興として何人かが勝負をする予定だと』
「皇太子付きの代表として、勇雲殿が出るそうです」
『それで練習をね』
話している間にも、矢が壺に入り、からんと音を立てる。
点数は、最初の一本が成功すると十点、二本目も連続して成功すると一本ごとに五点、最後の一本が入ると十五点である。壺の脇に二つある耳と呼ばれる細い穴に入ると、十点になり高得点が狙える。
「よしっ」
勇雲が矢を耳に見事に入れて、拳を突き上げた。小鈴も楽しそうに手を叩いている。
「ねえ、次は反対側に入れてよ」
「静かにしてくれ」
「もっとこっちこっち、力入りすぎだよー」
勇雲が外すと不満げに小鈴の頬が膨らむ。応援というより話しかけて邪魔をしているような。小鈴は香蘭がやってきたことに気付いたようで、ぱたぱたと駆けてきた。そして、小さな両手で香蘭の手を握った。
「香蘭さんも、やってみようよ」
『いいえ、わたしはやったことがないから……』
香蘭がそう書き付けて見せると、小鈴はきょとんとした顔をした。
「なんでなんで? 初めてならわくわくするよ、楽しいよ。ね?」
初めてが楽しいという言葉には、驚くとともに感心した。
――わたしにはそういう考えはなかったわ
小鈴の素敵なお誘いに乗ることにした。香蘭は矢の持ち方などを教えてもらって、見ていたときよりも遠くに感じる壺へ向けて、えいやと投げた。
からんと小気味いい音がして、矢が壺の中に吸い込まれるようにして入った。
「お見事です、香蘭さん」
「すごいすごい!」
初めてのまぐれのようなものでも、入ったら嬉しくて、香蘭は自然と笑顔になった。玲玲と小鈴が褒めてくれてさらに笑顔が増した。
「ねえ、二人で勝負してみてー」
勇雲が顔でなぜ自分がと不満を訴えていたが、小鈴は気にせず、じゃあ勇雲さんからねと勝手に勝負を始めてしまった。
「仕方がない」
『よろしくお願いします』
今回は交互に投げていき、点数を競う形にする。勇雲の投げる姿を見て学びながら、香蘭は矢を投げていく。最初は綺麗に入ったものの、次は外してしまい、その次は弾かれそうになりつつ、ぎりぎりで壺に収まった。
「惜しいです!」
「香蘭さんがんばれー」
「まだ逆転できるな、頑張れ」
明龍の声が聞こえて、香蘭も勇雲も驚いて振り返って矢を外した。いつの間にか明龍も戻っていたようで、腕を組みながら観戦している。
「……なぜ、殿下まで向こうの応援を」
勇雲が不服そうに呟いたのが聞こえたが、香蘭の手元は矢で塞がっている。筆談はできない。覚えたての手振りも、明龍にしか伝わらない。
――わたしが初心者だから応援してくれているだけ、と伝えたいけれど、無理そうね
香蘭は投壺に集中し直して、残りの矢を壺へ向けて放つ。二度入ったものの、勇雲との差はどんどん開いていく。
「勝者は、勇雲さんです。惜しかったですね、香蘭さん」
「おとなげないよー」
小鈴が覚えたてらしい言葉を使って勇雲に不満を訴えている。勇雲はそれに対して軽くあしらった。
「初心者だからと手を抜くのは違うだろう」
『その通りです。一緒にしてくださってありがとうございます』
矢から筆に持ち替えた香蘭は、そう書き付けて勇雲に見せた。当人から不満ではなく感謝を言われたことが意外だったのか、勇雲は目を丸くした。
「さて、勝負が終わったのなら調べてきたことを共有してもいいか」
臣下たちが楽しそうにしているのを見て、明龍がどこか嬉しそうな声音をしつつそう声をかけた。
香蘭たちはさっと拱手を持って是を示した。
「羽瑛について、本当に事故なのか、当時記録をした者に確認を取ってきた。転落事故があり、怪我がもとで高熱が出て、亡くなったという事実に相違ない。不審な点も特に見当たらない」
「承知いたしました」
勇雲が代表してそう答えた。玲玲もそれに倣って一礼をして承知したと示していたが、顔を上げながら首を傾げる。
「勇雲さん、殿下に調べ物をさせて遊んでいたんですか……?」
記録者が嘘をついていないかどうかの判断は明龍の耳にしかできない。勇雲が同行することはあっても、勇雲だけが聞き取りを行っても得られる情報は減ってしまう。嘘がわかることは玲玲や小鈴は知らないのだから、どう説明をするのかと思っていたら、明龍が肩をすくめて答えた
「投壺は、余興とはいえ貴族たちが参加するからな。できていないと文句をつけられて面倒だから、勇雲には練習を命じたんだ」
「こういうのは弟のほうが得意なんですがね」
勇雲は自分の投げた矢が入った壺を見ながら、明龍へ恐縮の返答をした。
『弟さんがいるんですね』
香蘭はそう書き付けた。勇雲に兄弟がいたことは初耳だった。
「ああ。今は地方任務に行っていて宮廷にはいない」
「半年前までは勇雲が地方任務にあたっていたが、怪我をして弟が代わりに行っているんだ」
明龍が補足した言葉の中に心配なことが混ざっていて、香蘭はすばやく書いて聞いてみた。
『怪我を……?』
「今は何ともない」
勇雲の返事は短かったが、もう大丈夫なら一安心だ。そのあたりのことは玲玲も知っているようで、大きく頷いて見せた。
「勇雲さんの弟さんは一歳差で双子みたいにそっくりなんですよ」
『そうなの』
「会ってみたいー」
小鈴も興味津々といった様子で手をあげた。
「あれ、小鈴は会ったことなかったっけ」
「うん、ないよ」
期待を込めた二人分の視線を受けて、勇雲はやれやれといった具合でため息をついた。
「機会があれば紹介する」
「その弟から、報告書が届いていた。ついでにお前への手紙も入っていた。ほら」
明龍から報告書と手紙を渡されて、あからさまに嫌な顔をしていた。
「そんな顔をするな」
「弟は細かくて心配性なんです。報告書も膨大な量ですし、手紙もいつも宮廷の状況の質問ばかりつらつらと書かれていて、返事が一苦労です」
勇雲がさっそく卓に向かって報告書を広げ始めた。
明龍がすっと香蘭と距離を縮める。
「あいつは面倒と言いつつ、全部の質問に返事を書いてやるんだ。なんだかんだ弟からの手紙が嬉しいのだろう」
小声でそう教えてくれて、香蘭はすでに頭を抱えている勇雲を見て微笑ましく思った。この人にも大切な兄弟がいるのだ。
『わたしも、お会いして、みたいです』
香蘭は、一つ一つ確かめながら明龍に教わった手振りを使ってそう伝えた。明龍は、表情を緩めて頷いた。彼の笑顔を見たのは二度目だろうか。
「ああ、よくできている」




