第2章-4
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翌朝、玲玲の慌てた声で香蘭は目が覚めた。
「香蘭さん! た、大変でございます!」
香蘭は牀から飛び起きた。戸の前には玲玲が手に淡い桃色の綺麗な紙を持って立っていた。
「淑妃様からのお茶会への招待状でございます。二日後、開かれるそうです」
香蘭は実際に音にならないだけで、喉の奥で驚きの声を上げた。
現在は貴妃が空席のため、明龍の母である皇后に次いで、淑妃は後宮の高位にあたる。三年前に公主を産んでいて皇帝からの寵愛も厚い。近年は臥せがちな皇后に代わって後宮のことを取り仕切っていた。
「殿下のお墨付きの香士殿にぜひ会ってみたいとのことです」
玲玲は招待状に目を通しながらそう言った。こんな状況でお茶会なんて、と思ったが皇帝に届いた脅迫状については混乱が広がらないようにと伏せている。さらに今調査をしている沈婕妤の幽霊騒ぎは外廷での出来事だ。玲玲が怪談として語っていたように、後宮妃たちにとっては数ある噂話の一つにすぎない。
――どうしよう
尚香局を離れても香蘭の立場は香士として変わりはない。香士の役割は妃嬪からの依頼で香を作ることも含まれる。皇太子付きの女官になったとはいえ、断ることはできないだろう。
玲玲とともに明龍へ相談しに行くと、あっさりと許可が出た。
「後宮に行くよい機会だ。茶会の中で沈婕妤のことを聞き出してくれ。手掛かりは多いほうがいい」
香蘭はしっかりと頷いてみせた。後宮妃のことは、後宮妃に聞くほうがいい。
「玲玲はその手助けをしてくれ」
「かしこまりました」
玲玲は、そのあと準備をするからと慌ただしく動き出した。
『準備って?』
「香蘭さんの身支度の準備でございますよ! 上級妃のお茶会ですから、それなりのものが必要です」
『わたしも一緒に』
香蘭が書き終える前に、玲玲が手で制した。
「ここは、世話係にお任せください。ですが、香については私にはわかりかねるので、そこは香蘭さん、お願いします」
香蘭はしっかり頷いた。招待状には、香士の作る香が見たいとも書かれていた。沈婕妤のことを聞き出すためにも、香士の務めを果たさなければならない。
お茶会への準備を進めていると、香蘭へ来客があった。
――わたしを訪ねる人なんて、誰だろう
応接室に向かうと、そこにはまるで自宅かのようにくつろいで、煙管をふかしている女性がいた。香蘭の姿を見ると、ひょいと手を上げた。
「やあ、香蘭」
香蘭は一礼すると、紙に書き付けて見せた。
『お元気そうですね、伯母さま』
「昔みたいに冥ちゃんって呼んでくれてもいいのよ?」
煙を吐き出しながら、からからと笑う。冥ちゃんという呼び方も、幼いころにそう呼んでと本人から圧を受けたから呼んでいただけだ。しかもそのせいで本名は覚えていない。
「道士の仕事で宮廷に来たからついでに顔見ておこうと思ってね。元気にしてる?」
『それなりには』
伯母の目がすっと細められた。
「声の出ない状況を見るに、反魂香を常用しているね。あの子には……まあ言わないほうがいいだろうね」
伯母の言うあの子とは、香蘭の母のことだとすぐにわかった。母に頼まれて香蘭の様子を見に来たのだろう。香蘭は後ろめたい気持ちで、目を伏せた。
「でも、一か月やそこらで皇太子殿下の女官になるとは、なかなかの出世じゃないの。出世して元気にしてるって伝えておくよ」
『ありがとうございます』
伯母が連れ戻そうとするでもなく、変に同情するでもなく、本当にただ見に来ただけの態度であることが、香蘭にとってはありがたい。
「さて、これだけで帰るんじゃあ、味気ないから久しぶりに講義でもしようか」
香蘭は一つ頷いた。香のことは両親から学んだが、どちらかといえば術の要素の強い反魂香については伯母から学んだことが多い。香蘭は伯母の隣に腰掛けた。
「基本的に、あたしらの使う術は自然の力を借りる。あたしは地脈の力を借りることが多いね。今回の仕事も、お偉いさんが体調不良ってことだったから、牀の位置を地脈の位置から外したのよ」
『地脈の上にするのではなくて、ですか』
「そう。受ける力が強すぎると体調を崩す人もいる。逆に力を受けなさすぎて、心がふさぎ込む人もいる。人それぞれだね。あとは部屋を新しく増やすならどこがいいかって相談とかね。これは占いに近いか」
伯母は肩をすくめるように笑ってから続けた。
「でもまあ、重大な事件で道士が呼ばれないのなら、平和ってことだ。いいことだよ」
香蘭は、宮廷に僵尸がいることを相談しようと筆を動かしかけて、止めた。脅迫状の件も含めて皇帝からの命令の内容は話してはならない。だから、講義の場を借りて質問として聞いてみる。
『術のことで聞きたいことがあって』
「何が聞きたい?」
『僵尸について、詳しく聞きたいです』
「僵尸か……。あたしも魄の専門ではないから、詳しくはないのよね。前に話したことは覚えている?」
香蘭は頷いて、覚えていることを伝える。すると、伯母はふるふると首を振った。
「なら、それ以上教えられることはないね。……何かあった?」
今度は香蘭が首を振る番だった。
『少し気になっただけです』
「そう。言えることとしたら、反魂香は魂に通じるもの、だから天にのぼる香の煙の力を借りる。同じように魄は地に通じているってことくらい。……それでいうと、ここの土は何か変な感じがするね」
伯母は窓から外を見て、首を傾げた。香蘭は血の雨として、赤土が降ったことを説明する。これは宮廷にいる皆が知っていることだから、話しても問題はない。
「へえ、面白いね。持って帰って調べてみるよ、単なる興味だけどね」
伯母は席を立つとすたすたと応接室を出ていく。講義は終わりのようだ。去る直前、伯母は小さく笑みを浮かべながら振り返った。
「春香にもよろしく伝えておいて」
香蘭はこくりと頷いた。
伯母に言われたからではないけれど、その日の夜は部屋の中で反魂香に火をつけた。銀の香炉からはゆったりと白い煙が昇っていく。こうしてきちんとした部屋を与えられたことで、誰かに見られる心配をしなくていいのはもちろん、以前の物置部屋のように隙間風で震えることがない。
濃い蜜のような香りに、金木犀の花の香り、そして雨上がりのような香りが部屋を包み込む。香蘭は春香の遺品である櫛を煙にくゆらせる。特定の魂と話がしたい場合、その人物が生前大切にしていた物を反魂香の煙にくるらせる必要があるのだ。
「魂在何許(魂はどこにあるのか) 香煙引到焚香處(香の煙に導かれ、香の焚かれるところ)」
香蘭が文言を言えば、甘く切なく香る煙の向こうに春香の姿が浮かび上がる。
「姐姐、今日ね伯母さまに会ったよ」
「心配していたでしょう」
「うん、まあね」
伯母に何を言われたのか、言わなくてもだいたいのことはわかってしまうようだ。香蘭は少々強引に話題を変えた。
「今度、淑妃様のお茶会に行くことになったの。ようやく、姐姐に綺麗で華やかな後宮を見せてあげられるから。待ってて」
春香はゆるゆると首を振る。その動きに合わせてさらりと長い黒髪が揺れている。
「それは、香蘭が見るべきものよ」
「何言ってるの。わたしは姐姐の代わりにここにいるんだよ。頑張るから、見ていてね」
自分への叱咤も込めて言ったのだが、春香は寂しそうに笑うだけだった。




