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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第二章 夏、二軒目の家

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俺の段取りは正しくて、それでも誰も動かなかった

 板に炭で線を引いた。

 左の端が村の東の流れ、右の端が段になった畑のいちばん上になる。そのあいだに、数字を書き込んでいった。

 距離は歩いて測った。取り入れ口から畑の上手まで、二百三十歩。高さは縄に結び目を作って、三度往復して出した。流れのほうが、俺の背の二つ分ほど上にある。落ちる分は足りている。

「……できるの、それ」

 文乃が、いつのまにか横から覗き込んでいた。

「できる」

 決めなければならないのは、どれだけ緩く落とすかだった。急にすれば水が跳ねて、継ぎ目から逃げる。緩すぎれば途中で溜まって腐る。丸太を縦に割って内側を刳り、継ぎ目は重ねて、上から布を巻いて土で押さえる。受けは畑の上手に一つ据える。そこから下は、いまある溝がそのまま使える。

 材は、村の裏の林の細いのを二十本。刳るのに三人、据えるのに五人。四日あれば水は来る。

 炭を置いて、板を裏返した。

 裏には、井戸から畑まで女たちが桶を提げて上がる回数を書いてある。朝と夕で、一人あたり四往復。段の上のほうの家は六往復していた。

「これが、要らなくなる」

 文乃は、板の上の線を指でたどった。それから何も言わずに、自分のノートを開いた。

 娘には言わなかった。決まっていないことを先に言うと、あとで説明することが増える。

 誰にどの順で話すかは、もう決めてある。村長、ヨナス、それから手の空いている者。


 村長は、いつもの石段にいた。

「まず、水を汲み上げる話ではありません。上から下ろす話です」

 板を回して、村長のほうへ向けた。老人は目を細めて、線の端から端まで見ていった。

「東の流れが、畑より高いところにあります。あそこから樋で引けば、水は勝手に下ります。人手が要るのは据えるときだけで、あとは何も要りません」

「……水が、勝手に下りるか」

「下ります。高いところから低いところへしか行きませんので」

 村長は板を指で押さえて、俺の描いた線をなぞった。爪の先が、取り入れ口のところで止まった。

「よく見てあるな。あんた、あの林まで上がったのか」

「はい。材も見てきました。細いのを二十本ほど使います。太いのには手をつけません」

 それから、桶の往復の数を話した。段の上のほうの家がどれだけ余計に歩いているかを話した。村長は「ほう」と言い、「そりゃあな」と言った。手ごたえはあった。

 最後に、老人は空を見た。

「……麦が近いな」

「はい。刈り入れの前に、材だけ揃えておきます。刈ったあとなら、四日で水が来ます」

 村長はしばらく黙っていた。それから、日の当たるほうへ少し体をずらした。

「……あんたが言うなら、そうなんだろう」

 断られてはいない。俺はそう受け取った。

 その日のうちに、手の空いていそうな家を回った。板を見せて、初めから話した。相手が何を気にするかによって、入口だけを変えた。畑を持っている者には水の話から、若い者には材の話から入った。

 誰も反対しなかった。

「……悪い話じゃないな」

「そうさなあ」

 三軒目でそう言われ、四軒目でも同じことを言われた。五軒目の男は、板を最後まで見てから、こう言った。

「今はな。今は、やめといたほうがいいんじゃないか」

「なぜですか」

 男は麦のほうを見た。それから俺のほうへ向き直って、「まあ、な」と言った。

 俺は説明を足した。刈り入れの手は止めないこと。材は林から出すだけで、畑には一歩も入らないこと。刈ったあとの四日は、どの家からも一人ずつでいいこと。

 足すほどに、相手の返事は短くなった。


 材を出す日は、刈り入れの十日ほど前にした。

 朝、林に来たのは、俺とヨナスと、あと二人だった。五人を見込んでいたが、二人足りない分は日を足せば済む。

 丸太は思ったより素直だった。真っ直ぐな細いのを選んで根元から切り、枝を払って引き出す。ヨナスは鉈の扱いが速く、俺が一本を割るあいだに二本の皮を剥いていた。

「水の道な」

 ヨナスが手を止めずに言った。

「うちの婆さんが聞いたら、なんて言うかな。水が坂を下りてくるなんて、行儀の悪い話があるかってさ」

「行儀は悪いですが、早いです」

「そりゃそうだ」

 昼前に、取り入れ口の話になった。

「上の段の脇から入れます。あそこなら、いまある溝に落とせますので」

 ヨナスの手が、そこで止まった。

「……あそこは、雨のときに水が来るところだ」

「はい。だから、そこへ入れれば溝がそのまま使えます。掘り直す必要がありません」

「順は」

「順、といいますと」

「上から入れたら、下まで一度に行くだろう」

「行きます。そのほうが早いので」

 ヨナスは何も言わなかった。伝わっていないのだと思った。だから、続きを話した。

「いまは、上の段に水を入れて、下へ回すのに半日待つと聞きました。段ごとに順を決めて、待って、また回す。樋を通せば、待つ必要がありません。どの段にも、同じだけ行きます」

 言ってから、少し考えて、付け足した。

「そのほうが、公平です」

 残りの二人が、丸太のほうを見た。

 ヨナスは鉈を丸太に立てて、それから抜いた。刃についた木屑を、親指で払った。

「……そうか」

 道具をまとめて、林を下りていった。呼び止める理由が、思いつかなかった。

 残った二人は、しばらく黙って皮を剥いていた。それから一人が「昼にするか」と言い、もう一人が「するか」と答えた。二人とも、午後は戻ってこなかった。

 俺は、自分の言ったことを最初から並べ直してみた。距離も、落差も、材の数も、日数も、間違っていない。公平だというのも、間違っていない。

 間違っているところが、一つも見つからなかった。


 翌朝、林には誰も来なかった。

 丸太を一本、肩に担いで下ろした。二本目を下ろして、腰を伸ばした。三本目に手をかけて、そこで置いた。


 村は、何も変わらなかった。

 井戸端で会えば挨拶をされたし、東のはずれの家の人には、壁の礼をもう一度言われた。ヨナスとも道で二度すれ違った。二度とも、向こうから顎を上げて寄越した。

 樋の話だけが、どこにも出てこなくなった。断られたわけではない。話題にならないのだ。

 何日かして、村長が石段から声をかけてきた。

「あの溝はな」

 俺が足を止めると、老人は膝の上で手を組んだ。

「ヨナスの親父が死んだ年から、ヨナスが見てる。どこを先にするかは、その年の降り方で毎年変わる。上を先にする年もあれば、下からやる年もある。誰の畑がどれだけ乾いてるかを、あれは全部覚えてるんだ」

 知らなかった。訊いてもいなかった。

 俺は黙っていた。村長も、それ以上は言わなかった。日の当たるほうへ体を向け直して、また目を細めた。

 その夜、文乃はノートを開いていた。

 樋のことを訊かれるかと思ったが、訊かれなかった。娘の手のことを書いているらしく、ページをめくる音がずっとしていた。文乃の紙は、俺がどうであろうと増えていく。

 戸の外で音がして、娘が入ってきた。

「おとうさん、あれなに? 家の横にある、長いの」

「樋だ。……水の道だな。上の畑まで、水を引く」

「水の道?」

 娘は少し考えて、それから自分の手のひらを俺のほうへ向けた。

「……水は、もう出るよ?」

 畑一枚に要る水は、桶で数えられる量ではない。言ってもしかたがないので、そうだな、とだけ返した。娘は「うん」と言って、それで終わりにした。

「あのね、鶏がね」

 娘は敷居に座って、足をぶらぶらさせた。

「いちばん小さいのが、あれの上に乗ったの。長いやつの。乗って、端っこまで歩いて、落ちた」

「……そうか」

「そんで、もう一回乗った。三回やったよ。三回とも落ちた」

「なんでだろうな」

「わかんない。でも、たのしそうだったよ」

 娘は言うだけ言って、水瓶を見に行った。もういっぱいだと分かると、満足して隣へ帰っていった。

 俺は板を裏返して、竈の脇に立てかけた。


 麦は、畑いちめんが黄色になった。

 刈り入れは村総出で、俺も呼ばれた。手が要る仕事で、手だけなら足りている。三日で刈り終え、束にして、屋根の下へ運んだ。ヨナスは同じ畑にいて、束を渡すときには渡し、受け取るときには受け取った。

 そのあいだ、一度も降らなかった。


 井戸を覗いた。石組みの内側には、いつも濡れて黒くなっている段がある。その黒い段の上のほうに、乾いた線が一本出ていた。前に覗いたときには、無かった線だ。

 村の東の流れを、もう一度見に行った。

 水に浸かっていない石が、このあいだ来たときより広がっていた。


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