いたの続きは、サナのうちで書くことにした
段を、上のはしから下のはしまで歩いた。
蒔いたあとは、しばらく中へ入らない。入ると踏むからだ。だから、はしの細いところだけを行く。はしは足の幅しかなくて、片がわが下がっている。下がっているほうへ体が寄ると、押し返して歩く。
落としすぎたところを、見ておきたかった。かたまりで落ちたぶんは、あとで抜かなければならない。どこだったかは、足がおぼえている。三つ目の段の、まん中より少し下だ。
しゃがんだ。土はならしたままだった。何も出ていない。
「なんにも出てない」
指で上のところをどけてみた。下は、色が濃い。麦は見えない。もどして、上から押した。押したところだけ、あとがついた。
「ここだと思ったんだけどな」
出てからでないと、どこがかたまりだったかは分からない。でも、来てしまった。
段のあいだの土に、足あとが残っている。蒔いた日のぶんだ。どれも上から下へ向いていて、つま先のほうが浅い。わたしのも混じっている。わたしのは、かかとだけ深い。
立ったら、膝のうらに風が当たった。日は、上の段のはしにだけ残っている。
坂を上がった。うちの前まで来たら、鶏はもう囲いの中にいた。三羽とも入っている。いちばん小さいのが、いちばん奥にいて、こっちを見ていた。
戸に手をかけて、もう下ろしてあることに気がついた。かけた手を、そのまま離した。
板は、上着の内がわにある。歩くと、角がわきのところに当たる。当たるのはいつも同じところで、そこだけ布がへこんでいる。
戸をあけた。中は外より暗い。火の音が低くなっている。はじめのぱちぱちは終わっていて、太い薪の芯のほうで鳴る音になっていた。
火の前に、器が一つだけ出してあった。サナが戻っている。
「きょうは、はやく上がったの。上の段だけだったから」
上着の前をひらいて、板を抜いた。村へ帰ってきてから、まだ一行も書いていない。
いちばん下の行へ、指のさきをあてた。あてたまま、はしまですべらせた。指が黒くなった。
「ここだけ、うすい」
消えたのではない。うすくなっただけだ。上の行は濃いままで、下へ行くほどうすくなる。歩いているあいだに、上着の中でこすれるからだ。
表は、しまいまで来ている。うらも来ている。線から上にも、下にも、空いているところが無い。
これ以上は、書けない。
「板、もう一まいある」
棚の上に、置いたままになっている板だ。村を出るときに、持っていかなかったほうだ。
取って、膝へ置いた。こっちのほうが厚い。はしのところが丸くしてある。おとうさんが削ったからだ。持つと、指の腹のあたるところだけ、つるつるしている。
表は字でうまっている。ならべて引いた棒が上のほうにあって、そのあとに自分の名前がある。名前の字は、いまより大きい。下のほうは、塾で習った字が順に並んでいる。まちがえたところは、こすって消した跡が残っていた。
うら返した。
うらは、名前が一つあるきりだった。はしのところで、切れている。
「つかえる」
炭は、布のあいだにはさんだままになっていた。荷から出したあと、そこだけ動かしていない。出してみると、行くまえより短い。持つと、指のあいだからはみ出るぶんが、もう少ししかない。
どこで書くか。
おとうさんのうちの台には、おかあさんの紙がのっている。夜になると、あかりもそっちへ寄る。台のはしは空いているけれど、空いているのと、置くところがあるのとは、ちがう。
ここでいい。
板を二枚とも膝に置いて、棚のほうを見た。いちばん奥は、サナのぶんだ。そこから手前は、なんにも置いていない。あずかりものは、返したきりになっている。
「ここ、あいてるね」
棚は、板を一枚わたしただけだ。奥は壁にくっついていて、手前はすこし浮いている。重いものを手前へ置くと、そっちへ傾く。
サナが立った。
棚のところまで来て、いちばん奥の布に手をかけた。かけて、手前から奥へ、手のひらぶんだけ寄せた。それから、板の置けるあたりを、一度だけなでた。ふちから、ほこりが落ちた。
「乾く」
サナは戻って、座った。棚のほうは、もう見ていない。
わたしは、そこへ手を当ててみた。かわいている。竈のがわだからだ。うちの中では、ここがいちばん早く乾くはずだ。
膝の上で、炭を板に当てた。
線を引こうとして、止まった。あっちでは、うらに線を一本引いていた。上が字で、下が数だ。右のはしは、三つぶんあけておく。
引かないことにした。うらは、ぜんぶ上でいい。
「とる。あるく。ひらく。かぶせる」
言いながら、四つ書いた。
書いてから、二つ目と三つ目のあいだに点を打った。ここが、いちばん切れるところだ。切れると、二歩さきまで行ってしまう。点があれば、見たときにそこで目が止まる。
「ここで、いっつも切れるの」
つぎに、はしからはしまでを三つに分けることを書こうとした。それは、字にならなかった。
だから、線を三本引いた。長さをおなじにして、あいだに短い棒を立てた。棒と棒のあいだが、一袋ぶんだ。
字が大きくなった。板のほうが紙より広いのに、一行に三つしか並ばない。板を持って、顔から遠ざけてみた。遠くにしても、字は大きいままだった。
笑ったら、炭の粉が板から飛んだ。小さくするのは、あとでもできる。そのままにして、次の行へ行った。
ヨナスのことも書こうとした。名前の字のうち、二つ目が出てこない。
「ヨナス、どう書くんだっけ」
そこだけあけて、先へ行った。
書いたところへ鼻を近づけると、においがする。引いたばかりのところが、いちばんする。
板を立てて、下から上へ二回振った。落ちるぶんは落ちた。口に入ったのが、少しにがい。
「にがいよ、これ」
戸のがわは、暗い。
炭の音は、板のほうが大きい。引くたびに、指のところまで音が上がってくる。紙のときは、上がってこなかった。紙は、下へ逃げる。板は逃げない。
こっちのほうが、すきだ。
板は、膝の上であたたかくなってきた。木は、そうなる。紙は、そうならなかった。
書いているあいだ、外の音が聞こえなくなっていた。風が止まっていたのか、わたしのほうが聞いていなかったのかは、分からない。
「あした、ぬくんだって」
もう一行あけた。あしたのぶんだ。
あしたは、こぼれたところを抜く日だと、おとうさんが言っていた。抜くのは、はじめてだ。どうやるのかは、まだ知らない。知らないことは、書けない。だから、あけておく。
あけておくと、そこに入るもののほうが、先に決まる。
書いていると、肩が下がってきた。下がってから、上がっていたことに気がついた。
あかりを、膝のところまで持ってきた。近づけると、手の甲のほうがあたたかい。板の上は、明るいところと暗いところに分かれる。暗いほうは、字がふくらんで見えた。
しまうことにした。
二枚とも、棚へ上げた。あっちから持って帰ったほうは、サナのぶんのとなりへ立てた。立てると、うすいところが下になって、見えなくなる。
「うすいの、かくれた」
書いたほうは、その手前へ寝かせた。あしたも出すからだ。寝かせておけば、取るときに上からつかめる。立てると、はしを持つことになって、そこがまた黒くなる。
棚の前で、しばらく見ていた。板が二枚ある。手前と奥で、厚みがちがう。奥のほうが薄い。持って歩いたのは、そっちだ。
サナのいるところまでは、あかりが届かない。
「いたの続き、ここで書くね」
聞こえたかどうかは、分からない。あかりを落とした。
ここで書くと決めたら、書くことのほうが、あとから増えた。




