村は娘へ、何も訊かずに種を渡した
朝のうちに、置き場から畑の上のはしまで運んだ。荷車は使わない。上のはしまでなら、担いだほうが早い。袋は肩で担ぐ。二袋ずつ担いで、往復のあいだに日が上のはしまで来た。
並べるときは、口を坂の下へ向ける。取り出すときに体が下を向く。下を向いていれば、こぼしても足もとに落ちる。上へ向けて置くと、こぼれたぶんが坂へ散る。
枡は、村長の家から出てくる。底の板は継いである。持つところの角は丸くて、握ると指の形に合う。何十年ぶんの手が当たると、そうなる。
村長は枡を渡してから、袋の前へ回った。
「今年も、あんたが計る」
「はい」
「あんたは、どの家にも貸しが無い。貸しのある者が計ると、ならしが甘くなる。甘くなったと言う者も出る。どっちも困る」
俺は枡を裏返して、底を叩いた。去年のぶんが、縁の内がわに残っている。爪の先で落とした。
村長は袋の上へ上がって、一軒めから呼びはじめた。
木の桶は、麦の落ちるところで低く鳴る。布の袋は鳴らない。底が先に膨らんで、あとから口のあたりが動く。
音と形で、どこまで行ったかが分かる。だから手もとは見ない。
誰が来るかが先に分かれば、流す量を先に決めておける。子供が受けに来る家には、一度に持たせない。二度に割る。
袋を開けた最初だけ、においが上がる。乾いて、粉っぽい。三袋も開けると鼻のほうが慣れて、分からなくなる。
三軒めのところで、うしろの袋の口が起きた。
見てはいない。枡へ落ちる音が、そのぶんだけ太くなった。倒れた口のふちに麦が当たると、落ちるところが散る。散らなくなったということだ。
外へ折り直してあった。去年のままだ。
「下の家」
村長が呼んだ。おばさんが前へ出て、桶を持ち上げた。ふちの二重になっているほうだ。枡を二度、返した。
「助かった」
「重いですか」
「重い。去年とおんなじ量で、こっちの腕だけ減ってる」
おばさんは桶を胸まで上げて、脇へどいた。
「つむぎ、下まで一つ持ってっとくれ」
娘が袋のところから出てきて、桶のはしを持った。二人で下りていく。下りるあいだ、おばさんは自分の畑の話をしていた。上の面が固まっていて、鍬が跳ねる、という話だ。
そのあとの二軒で、去年のぶんの話になった。
「去年、そっちが先に取った」
「取っとらん。取ったのは、その前の年だ」
村長は、二人のあいだへは入らなかった。袋の前に立ったまま、次の家の名を呼んだ。呼ばれた家が前へ出ると、二人は袋の前から外れて、自分たちで続きを喋っていた。
しばらくして、どちらも黙った。決まったのかどうかは分からない。分からないままで、二人とも列のほうへ下りていった。
次の家のぶんを流して、木ではしをならした。ならしてから、もう一度ならした。
二度めは、ならすところが無かった。
「今年は、手が一つ多い」
村長が、袋の数を見ながら言った。
「多いぶんは、下へ回す。上はもう詰まっとる。詰まったところへ足すと、あいだが狭くなって、かえって遅い」
言いおわってから、また呼んだ。
娘が上がってきて、空いた桶を袋のわきへ伏せた。伏せてから、両手を上着でこすった。
「つぎ、だれ」
「北のとなり」
「じゃあ、もってく」
娘は次のぶんを抱えて、また下りていった。抱え方は、腹のところで受けている。肩ではない。肩で担ぐには、まだ丈が足りない。
ヨナスが上がってきた。器は木の鉢だ。
「鉢ですか」
「袋の底が抜けた。縫い目から順に抜けていく。婆さんが縫ったのは、もう一つも残っとらん」
「鉢のほうが、こぼれません」
「こぼれんが、重い。まあ、下りるだけだ」
鉢は深い。枡で三度移すと、ふちの指二本ぶん下まで来た。
「そんなもんか」
「去年と同じです」
「去年は袋だったから、分からんかった」
ヨナスは鉢を胸の前で持った。下りる途中で、持つ手が入れ替わった。
昼を回った。
坂の上からだと、下まで見わたせる。人と人の空き方は、上の畑のほうが広い。人が少ないからではない。土が硬いと、歩幅が伸びる。
ここからでは、手の動きまでは見えない。上着の色で、誰がどこにいるかが分かる。
昼のぶんは、立ったまま食った。噛んでいるあいだに、次が来た。飲むのは、朝に汲んで置いたぶんだ。ぬるくなっているが、口に残る粉を流すには足りる。
村長が下から上がってきた。上がりきらずに、そこで止まった。
「つむぎは、入ったか」
「入りました。下の、まん中あたりです」
「なら、上へは足さん。上は腕が当たる。当たると、落とすところが重なる」
訊かれたら言うことは、先に用意してある。長いものは要らない。無事に済んだ、で足りる。言い方を三通りほど持っている。
どれも使っていない。
向こうのことを訊いた者は、朝から一人もいない。麦の話と、土の話と、去年の話をして帰っていく。
ここへ来た年も、そうだった。どこから来たかは訊かれずに、井戸の深さのほうを訊かれた。
手首の内がわが、枡のふちで赤くなっていた。去年もここが赤くなった。冬のあいだに戻って、今日また同じところが赤い。
前に立つ者は、待つあいだ、こちらではなく畑を見ている。列がどこまで進んだかを見ている。自分の家の者がどのへんにいるかも、そこで分かる。
上の三軒が下りてきたのは、日が傾いてからだ。三軒で二人しか来ない。一人が二軒ぶんを受ける。受けたほうは、あとで自分たちのあいだで分ける。分け方は、こちらへは出てこない。
「二回に分けますか」
「一回でいい。下りだ」
「桶を戻しに上がるのは、明日ですよ」
「明日は、空で上がる」
二人とも、数だけ言って持って下りた。
全部出しおわって、袋が三つ残った。
となりのぶんと、北のはずれの二軒だ。となりのは、村長が朝のうちに取り分けておいた。
「あれは、あんたが回る」
「回ります」
「北のはずれは、取りに下りてこん。待っとると日が暮れる。待つより、持っていくほうが早い」
村長は枡を受け取って、底を叩いた。俺が朝にやったのと、同じところを叩いている。
「来年もこれでいく。枡は、雨の来る前に油を引く」
村長は坂を下りていった。
北のはずれの二軒へ、順に置いた。どちらも、戸を押して中まで運んだ。ここは屋根が浅い。外に置くと、夜のうちに湿る。奥の家は、上がりのところに藁が敷いてある。その上へ載せた。
井戸で水を二回上げて、となりへ運んだ。水瓶は、朝より指一本ぶん下がっている。足して、蓋を戻した。
袋は、上がりのはしへ置いた。日の落ちるまでには、誰か気がつく。
外へ出て、桶を伏せた。
家へ戻ると、台の上があけてあった。灯りも、書くほうのはしへ寄せてある。椀は二つとも伏せて、向こうの縁へ並べてあった。俺が板を出すより先だ。
「……つむぎは」
「あっちだ」
「……となりのは」
「置いてきた」
「……手首」
「毎年のことだ。痛くはないよ」
文乃は台の下から布を出して、台のはしへ置いた。水につけて、絞ったぶんだ。冷たいほうが、赤みは早く引く。
置いてから、奥へ行った。
軒の下から板を取ってきた。かけた布は、湿っていない。
土間の棚の奥に、紙が一枚ある。折らずに置いてある。見せた相手は、まだいない。
帰る日の行は、次の朝に消した。いちばん下は、そのぶんだけ空いている。
一行書いた。こぼれたところを抜く日だ。芽の出る時分から数えて、二日手前へ置いた。早すぎると、抜くものが見えない。遅いと、根が下まで行く。
去年の蒔く日は、書くことが板の下のはしまであった。
今年は、一行で足りた。




